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体験の少ない子供たちから、何が奪われているのかを考える

「体験の少ない子供時代」の意味

「体験の少ない子供時代」というテーマは、一人の若者の成長過程を通じて浮かび上がるものである。彼の幼少期は、両親の離婚、母親の精神障害、そして祖母との暮らしという厳しい環境から始まった。祖母の貯金が底をつき、生活保護を受けることになったため、以前のような遠出や文化的な体験が難しくなった。これが、彼にとって「体験の少なさ」を象徴する出来事であった。

制約された体験の中での成長

高校を卒業した彼は、家計の半分を支えることになった。音楽が好きだったが、楽器を購入することはできず、学校の音楽室でピアノを弾くことでその情熱を満たしていた。また、高校受験の際には、周囲の友人が塾に通う中、自分も塾に通いたいと母親に頼んだが、毎回喧嘩になり、結局塾には通えなかった。高校受験は自力で乗り切り、公立高校へ進学したが、希望していた私立高校には進学できなかった。
高校では吹奏楽部と陸上部に所属したが、楽器や道具を買うことができず、遠征や大会に参加することはなかった。

大人としての責任と制約

20歳になった彼は、家族とともに生活保護を辞めた。その後も家計の半分を支え続け、弟や妹の面倒を見る状況が続いている。そのため、自分のやりたいことに挑戦する余裕はなく、旅行なども難しい。とはいえ、彼は音楽への情熱を捨てていない。現在では、電子ピアノを購入し、仕事に行く前にそれを弾くことで、少しずつ自分の好きなことを取り戻している。

限られた体験の影響

彼が経験した「体験の少なさ」は、物質的な制約だけでなく、精神的にも大きな影響を与えている。音楽やスポーツ、教育に対する情熱を持っていたが、それを実現するための手段が限られていた。周囲が塾に通う中、自力で勉強しなければならなかったことや、部活動でも他者と同じように活動できなかったことが、彼にとって大きなハンディキャップとなった。

希望を持ち続ける力

それでも、彼は諦めることなく、少しずつ好きなことを取り戻している。電子ピアノを購入したことは、その象徴である。音楽を再び生活の一部に取り入れることで、彼は自分の中でのバランスを取り戻しつつある。彼の物語は、体験が少ない子供時代を過ごしても、希望を持ち続けることが重要であることを教えてくれる。
彼のように制約された環境に置かれても、夢や希望を捨てず、小さな一歩を踏み出すことで未来に向かう道が開かれる可能性がある。体験の少ない環境に生きたとしても、少しずつ自分の人生を取り戻すための行動を続けることが、大きな成果につながることを示している。

子供たちから、何が奪われているのか?

「体験」の有無が子どもたちの未来に与える影響
事例にあげた彼は、子どもの頃に家庭が貧困に陥り、厳しい環境の中で育った。それにもかかわらず、自らの興味や関心を追求することを諦めなかった。しかし、同じ境遇にある多くの子どもたちが、彼のように強くいられるとは限らない。それは、誰にも責められるべきではない。だからこそ、彼の努力や姿勢を単に美談として消費するだけではだめだ。子供の貧困や体験格差の根本を見失ってしまうかもしれないから。
子どもの視点に立って「体験格差」を考えると、親の努力に関係なく、子どもたちが「生まれ」によって固定された環境に置かれているという社会的な構図が浮かび上がる。この構図は世代を超えて繰り返される。貧困は連鎖すると言われるが、本当にその通りだと思う。今の親たちもまた、かつては同じように子どもであった事実が、何よりの証拠だろう。

体験の欠如がもたらす影響

彼のように「体験」を得る十分な機会が与えられるかどうかが、子どもたちの成長にどのような影響を及ぼすかを考える必要がある。「体験」が得られることで得られる楽しさや満足感の格差はもちろん、将来に向けた成長や社会的スキルの発達にも深刻な影響を与えることが予想される。
特に、体験の有無が「社会情動的スキル」にどのように関わるかは重要な指摘である。社会情動的スキルとは、忍耐力、自尊心、社交性などを含むものであり、認知能力とは異なり、非認知能力とも呼ばれる。非認知能力は、以下のように定義されている。

  1. 一貫した思考、感情、行動のパターンに発現する能力

  2. 学校教育やインフォーマルな学習によって発達可能な能力

  3. 一生を通じて社会的、経済的成長に重要な影響を与える能力

体験の機会を広げる意義

米国の研究によれば、音楽や舞台芸術、スポーツなどの活動に参加する小学生は、参加していない子どもたちに比べ、注意力や柔軟性、学習に対する意欲が高いことが示されている。日本においては、文部科学省の調査で、自然体験や文化的体験を多くしている小学生は、中学生や高校生になった際に自尊感情が高い傾向があることが報告されている。
体験の有無は、単に一時的な楽しさや満足感に留まらず、子どもたちの将来に対する意欲や価値観にも影響を与える可能性が高い。家庭や学校だけでなく、年上の兄弟や姉妹、大人のコーチなど、他者とのつながりもまた、子どもたちにとって重要な体験の場である。

社会とつながるための体験の提供

本が多い家庭で育つ子どもが本好きになりやすいように、楽器の演奏が好きな家庭で育った子どもは音楽を身近に感じやすい。このような形で、親から子どもに無形の「文化資本」が受け継がれていくが、このような「体験」の有無も、社会における格差の一因となりうる。親世代から子世代へと体験の格差が連鎖する可能性は、全国調査でも繰り返し指摘されており、決して無視していいものではない。
最後に注目すべきは、「体験」の場が単に家庭や学校内の関係性に限らず、他者とのつながりを通じて子どもたちに影響を与えるという点である。サッカーのコーチや兄姉との交流を通じて、子どもたちは社会的な孤立から救われることも多い。家計が厳しくても、サッカーや他の活動に参加することで人として成長できる子どもたちがいる一方で、参加できない子どもたちも多く存在している。
「体験」の場は、子どもたちが社会とつながる大切な機会であり、これを提供することは、教育の一環として重要な役割を果たす。社会的な格差を繰り返さないためにも、体験の機会を広く提供し、すべての子どもたちが豊かな成長を遂げるための支援が必要である。

種本


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