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【機能とデザインの境界】企業とアーティストは、「分業」すべき

いまだ現世には、“仕組みと芸術”を統合させられると信じている節がある。だが企業が芸術を語ることはアーティストへの無礼であり、アーティストがプランニングに口出しすることは企業への攻撃である。このトピックでは、「平穏にキャリアを積むルール」を、知ることができる。情熱と怒りの両極に揺れながら日々懸命に不自由な精神世界を生き抜くアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 アーティスト主義、企業支持。 』

アーティストと企業との不可逆な不協和を、ここ「アーティスト情報局」の読者は苦もなく理解できている。しかし未だ、会議の度に営業の度に傷つき、怒りに震えるアーティストは多い。企業にとってはその“感情主導”な態度がまた、事業への不安要素となっている。

多くの企業人とコンサルタントは調整能力が無いために“人選”で対応してきたが、もうその差し替え手法、遣えなくなる。本陣を護るべくコアコンピタンスを切り替えられる企業は多くなくまた、企業に従属する程度のアーティストレベルは下がり続け一方で精鋭は、“コミュニティ”に帰依する路を選んだためだ。

一般社会を、「キュレーター」が導く時代が着た。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:米国のメジャー美術展「Armory Show」のエグゼクティブ ディレクター、ニコル ベリーが語る。

「卒業後、サザビーズでのインターンを経て展覧会の企画やキュレーション、アーティストやコレクターとの交流など、新しいスキルを身につけました」

「同時に、自分のアートブログ“Accessible Art”を立ち上げました。これは、ニューヨークにいて、アートに関するあらゆるものに参加していたことから、有機的に発展したものです」

「私の友人には、アートの世界に怖気づいている人がいました。私の哲学は、アートはすべての人の人生の一部であるべきで、それは人生を豊かにするものだというものです。」

キュレーターとフェアを有意義な形で結びつけることが重要だと考える理由は何ですか?

「キュレーターはアートの世界で何が起こっているかを把握しています。だからこそ、私たちはプログラムでもキュレーターと協力しています。私たちは、キュレーターが同業者と集まって、仕事上の課題について話し合う機会を作ります。非公開のセッションだけでなく、誰もが興味を持つようなトピックを一般向けの講演に持ち込むことも重要です」

Armory Showの現地では、非公開のセッションと公開討論が行われている。また、今回のフェアでは、新しいデジタルプラットフォーム「Armory Online」が初めて導入された。

Armory Showは、アーティストらのビジネスに欠かせないものなのでしょうか?

「私たちは、ニューヨークのアートコミュニティと、よりグローバルなアートワールドを結びつけるという、極めて重要な役割を一貫して担っています。デジタルの世界は確かに重要な部分を占めていますが、国際的なアートマーケットの成功には、ブースを自由に行き来して、さまざまなアーティストをさまざまなコレクターに紹介できることが不可欠です」 - SEPTEMBER 07, 2021 ARTnews -

『 ニュースのよみかた: 』

芸術界の大手展覧会が果たす役割は、“各部の交流”の推奨とプラットフォーム提供を含むつまりは「異部門への理解」だ、という記事。

これまで業界を支えてきたのは、彼らが交流の場を提供し更に、栄誉の授与による「ブランディング」維持継続してくれたがためだ。しかしもう世界は、彼らが先導できる場所では無くなってしまった。

図らずも記事で触れながらスルーされている“有機的に発展”点にこそ、現代が宿る。現代のコミュニティは金融同様、「非中央集権型」へと向かっている。

『 非中央集権型コミュニティが世界を覆う 』

企業とは、中央集権型コミュニティのクラスターである。必然の“ピラミッド構造”にはもう、賞握力が無い。二十代の新入社員に“人付き合い”以外の全てを指南できる中高年はそうそう、存在しないためだ。

非中央集権型コミュニティに、リーダーは存在しない。この最新型コミュニティの活動と成長は、誕生からの経緯と最新情報を精査して“価値を負荷”する「キュレーション」の力に左右されている。

SNSネイティヴが台頭しはじめた現代社会において「リーダー」とは、同士を持たない孤立単位に過ぎない。リーダーに従う人々は「情報」と「妄言」の区別をつけるための検証技術も持たない「盲信者」であり当然に、影響力は無い。

『 理解無用で分業すべき理由   』

企業人とアーティストは、別の生物である。
互いに腹を立てたり不平を訴えることには、何の意味も無い。
証明してみよう。

たとえばアーティストは企業人と同じ日常時間を生きられるだろうか、企業人は更にイレギュラーな交際出張も加えることができる。たとえば企業人は、部屋で枯れかけている観葉植物と会話することができるだろうか、アーティストはできる。

両者がわかり合える可能性は、無い。だが互いの能力はかけがえのない両輪でありこれからはさらに、その必要性が増す。「完全分業」にむけた最適化が必須なのだ。

企業が指揮を執ってはいけない“非中央集権型”を心がけて、そのパートの“決定権”をも同時に、アーティストに提供しなければいけない。アーティストは企業から提示された企画の仔細を、知ろうとしてはいけない。アーティストは企業人の“協調力”を、理解する能力が無いのだから。

『 機能とデザイン 』

機能性とデザイン、それぞれのゴールは同じ姿をしている、と習う。本当だろうか。すべては「妥協」という名称の交差点であった。

国際的なセカンダリー マーケットで機能しているのは常に、機能かデザイン、どちらかに振られたプロダクトである。機能性高いUI.のダサいデザインや、独りで脱ぎ着すらできないレディーのドレスなどだ。

だが、それが良い。この不均衡こそが価値である。

偏愛の果てに探求しすぎた最適化不可能な不協和を人類は、「ブランド」と呼んでいる。

『 編集後記:』

暗室が理想だ。アイマスクをしてマスクをしてイヤーウィスパーをつけて、きっちり毛布に巻かれて寝る。極度に寝相が良いわたしは4時間後にも微動だにせず、寝たままの姿勢で目覚める。丸太の上で寝て目覚め、自衛隊員に褒められたこともある。

ただ、万が一にその姿を誰かに目撃されることがあった場合あまりの犯罪色に悲鳴を上げさせてしまうのではないかと心配しているのだがそもそもに、それがどんな万が一なのかを想像すると、眠れなくなる。

魂の目覚めに正直にしかし社会の仕組みに愛をこめて、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記