自分による、自分自身に対する評価の上がり下がりが激しい時

自分は出来る!と思う時と、何かもう全然ダメだと思う時と、両極端な事がちょくちょく起きる。特に仕事で顕著なのだけれども、この仕事は自分にしかできないな、だけでなく、ひどい時には次のあのポジションは自分だろうなとなんだか勝手に誇らしく思ったり勝手に思い込んだりした次の日に、あぁこんな事も分かってないなんてとか、あの人はすごくてなんで自分はこんなにダメなんだろうとか、自分はこんなつまらない気持ちになるんだからこの仕事は向いていないんじゃないかとか、そういう、自分にとっては大きい気分の変動が自分にあって。かつそれはそんなに稀な事でもなく、割と起きる。

もともと、うつ病経験者なのでそれも関連しているのだろうか。そう状態と鬱状態を行き来しているのではと言われると、そうなのかもしれないが、個人的にはもう少しそれよりはちょっと違う気もしている。何と表現するといいのかは分からないのだけれども、朝起きるのがめちゃくちゃつらいとかでもないし(まあ普通に眠いとかもっと寝てたいとかはあるけど)。仕事がとても充実している訳でもないから、そういう判別も難しいと言えば難しいのだが。

で、これがちょくちょく起きるので、そのたびにこれって何なんだろうなぁとずっと思っているのだけれども、アランの幸福論を読んで思うに、単に身体が疲れたり調子が悪いだけなのかもしれない。ある人の気持ちの変動が、血液の状態に依存しているケースの事が書いてあった。体調により気持ちの変動があるのは当たり前であると。なるほど。そういう考え方はした事がなかった。

本にも書いてあったが、自分のその気分の上がり下がりがあった時にも、あまり気持ちをそれに持っていかれないようにして、まぁそういう時もあるよね、今日は早めに帰って寝よう、くらいの心持の方が良いのだろう。自分はどうしても真剣に、まじめに、この現象をとらえてしまいがちだったり、これを何とかしないとと思ってしまいがちなんだけれども、正直コントロールのしにくい体の変化、例えば花粉とか、PM2.5とか、ほこりが多いとか、そういう事によるアレルギーで体が疲れているとも考えられるし、そろそろホルモンバランス的にも崩れてきて体調面で変化が出てくる時なのかもしれないし。単純にお通じが悪くておなかの調子が悪くて何かが起きているのかもしれないし。

そしてその体の変化がなんで起きているのかも、見えにくい事なので、健康そうな日々を普通に過ごせていて、年に一度の人間ドックの結果もそう変わらないのならば、あまりそんな気持ちの日常の変化に注目しすぎず、放置しておいてもよいように思う。どんなにきれいな布であっても、めちゃくちゃ拡大して見るとそりゃ糸の集合でデコボコもしているし、どれだけ磨かれた金属の表面についても、顕微鏡でしっかり拡大して見るとこちらもやはり凸凹している。心についてもそんな感じで、ある程度遠くから眺めて別に普通であれば、多少の揺らぎはあまり気にしないほうが良いのだろう。そういう気持ちのブレに気付けるために日記は活用して、あまりにそういう落ち込んでいる時間が多いとかであれば、また話は違うのだろうけど、そうではないなら、その気持ちにもそんなに寄り添わなくてもよいのだろう。

そして、いきなりこういう心境の変化に至れるので、本って本当にありがたいなと感じる。1000円前後でこういう一生モノの知見が手に入るなんて。

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