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中高年デザイナーはどこまで現役が続けられるのか

FOLIO Advent Calendar 2022 7日目用

その昔、ひょんなことからIT界隈の飲み仲間と共著ブログなんてのをやってた時期もありまして、その当時はやれ「はてブで1,000超えた!」だの、「アクセス10万行ったぜウヒョー」だなんて小躍りしながらやってたのですが、勝手にやり切ってビール片手にうっかりのんびりしている間に情報はnoteだったりスペースだったりと、多様な手段で発信されるようになっておりました。そんでもってまぁもう自分は書く気もない隠居の身ですしいっかー。と呆けてたんですが、此度うっかり社内のアドベントカレンダーを書くことになりました。まぁ実は一度も書いたことないんだけどねアドベントカレンダー。と思いながらも数年前に登録したまま一度も投稿してなかったnoteをよっこらしょと開いたわけです。

そんなわけでお久しぶりの方お久しぶりです。初めましての方こんにちは。“たあ”です。

よく耳にするデザイナーやエンジニアの30代定年説

どうでもいい話から入りましたが、こちらもまぁまぁどうでもいい話。
デザインやエンジニアリングだけと言うわけではないものの、なぜか良く耳にするものに“デザイナー(エンジニア)●●歳定年説”というのがありまして。
どこのあいつが言い出したかもわからないお話なのですが、割と定説みたいな扱いをされています。
凡そ原因としては、「30代になって新しいことを覚えられなくなったのよねー」とか、「もう徹夜するような体力なんてねぇっすよまじ」とか加齢を理由にしたものが多く、そりゃまぁそうだよね。と反論のしようもないのですが、だからと言ってこの●●歳定年説、正しいとも間違っているとも言い難く、実際40代後半まで来ちゃっているわたしからすると、「一理ある。だが一理しかない。」という感じがしています。

今回はそんな中高年デザイナーについてのお話です。

40代になって衰えるもの

ぶっちゃけ先にあげた体力や知力なんてものは、わざわざ例としてあげるまでもなく、どんな業界のプロであっても同じように衰えというのは出てくるものなのでここでは流します。
その上でデザイナーにとって一番恐ろしい衰えというのは“感覚の衰え”じゃないでしょうか。

「今の音楽はつまんねぇな」
「昔のゲームはなんであんなにずっと遊べたんだろう」
「T●kT●kそんなに面白いん?」

うっかりわたしも感じてしまうところだらけで、なんなら自分の首を絞めている気がしますがもう完全に感覚が鈍ってますねこれ。
デザインにとって感覚というものは非常に大事な部分で、世間的にはセンス、とか才能なんてな言い方をされますが、商業デザインにとってのセンスと言うのはこの世間の感覚を如何に取り入れるかが大きいところでして。
然る方が「カップラーメンって今400円くらいじゃないの?」と言っただけで鬼の首を取ったかの如く騒がれたように、世間とのギャップがありすぎると受け入れてもらい難くなります。とか言ってる間に値上げが続いててそのうち本当にカップラーメン400円くらいになりそうで恐ろしい時代です。

そんな感覚の鈍りを感じる機会はいくつかありますが、一番わかりやすいのはなにかしらの新しいものに触れたときではないかなと。

期待より警戒が先に立つ

新しいもの、とかくこれまでの自分の想像の外、引き出しにないものに出会ったときに身構えてしまうことがあります。
おそらく…も何もないのですけれど、経験が増えたことで、それに対する警戒心が興味よりも強く出てしまうわけです。
「昔はさわれたカマキリが素手でさわれなくなっちまった」と最近思いますが、まぁそんな感じですねだいぶ違うけど。
警戒した結果、新しいものの受け入れ態勢がワンテンポずれてしまい、納得がいく、馴染むまでに若かりし頃よりも多分に時間を要することになります。
「昔はそれはNGとされていたもんだ」なんてな具合に音楽やファッションなんかは特に顕著にその辺が表れてると思います。
ちなみに、昔のわたしはライブにはいつもベルボトムに柄シャツで出ていましたが、その場、つまりTPOとしては間違っていなかったと思います。でも今それでライブ出たらどうなんでしょう、70年代ファッションのイタイ人認定されそうな気もしつつ、ついでに自分の子がそれを見たら泣くかもしれませんね。きつくて着れないけど。

過去の経験や体験が行動の邪魔をする

経験というのは大事な要素なのですが、その経験があるがゆえに新しい手法よりも自分の経験を優先、肯定するために他を排除してしまおうとする場合もあります。
例えば、一見すると変化が少ないと思われがちな印刷業界なんかにはよく見られる光景で、印刷機やRIP処理の進化に合わせて変わってきている入稿方法を「でもこれでもいいでしょ?」と昔ながらの手法で入稿するというのは、ある意味ベテランならではの行動じゃないでしょうか。
こういうものはお若い方の方が「ほほーこんなやり方があるのか、早速試してみましょうよ」とすんなり始められるものです。
そんなベテラン勢であるがゆえの行動が積み重なると、技術が一段階変化しただけならまだしも、2つ先、3つ先の技術へと進化したとき完全に置いてけぼりで気づいたら「まだ20年前のやり方です」というパターンも割とあります。
デザインする技術としては事足りていたとしても、チームとして動く場合にはこれはもうハードルにしかならないのが現実です。データ送りますと言ってフロッピーディスクを送り付けるようなもんです。

とまぁ道具的な話をしましたが、実際問題色使いやレイアウトなどにもトレンドというのは確実にありまして、その辺も含めて新しいものへの壁をなるべく下げて受け入れ体制は常に整えておきたいところ。

だがしかしめんどくさい

先述したような新しいもの対して始めるのがめんどくさい。
noteを登録したまま4年以上放置したわたしはまさにこれ。
勉強するのがめんどくさい。使うのがめんどくさい。変えるのがめんどくさい。今のままでいいや。
てか年齢全然関係ない一番ダメなやつでしたごめんなさい。

結局40代以降どうするの

デザイナーのキャリアとしては以下のようなパターンがあると思います。

  • デザインを続けるスペシャリスト

  • デザイナーをまとめるディレクターやマネージャー

  • 知識や経験を活かしたコンサルティングや講師

先ほどのデザイナーの感覚問題を前提とした場合、結局どれをとっても不要とは言えませんが、それ以上に積み重ねた経験や知識がものを言うのはディレクターや講師ではないでしょうか。
結果40代以上のデザイナーは現場の職人一筋ではなく、周りとのコミュニケーションにも比重を置いた取りまとめ役としてキャリアを積む人が多くなっていると感じます。
また近年ではデザイナーからCDO、つまりチーフデザインオフィサーなど、組織の中でも重要な位置にデザイン経験者を立たせるところも増えているので、デザイナー=現場の技術屋という感覚は無くなってきているようです。

40代のフリーランスはどうする

ところで、わたしは4年ほど前までがっつりフリーランスでした。
30歳で無職になったのをきっかけに、行き当たりばったりで技術と知識を漁って、気づいたら10数年、会社員と兼業をしている今も含めれば16年くらい経つことになります。

そんなわたしが会社員に再び足を踏み入れたのは、知人からの「ちょっとおまいさん手伝ってくんねぇか」のお誘いがあったからなのですが、それ以前に一つ、30代の頃から考えていたことがあったからです。

50代以降の技術屋が現実的ではないと考えた

これは言い切ってしまうと語弊があるかもしれませんが、わたしが言うのは手を動かすデザイナーとして一人で動き続けるフリーランス。を指しています。

これについては主戦場(クライアント)次第かもしれませんが、凡そ外部に制作を依頼する担当者というのは、さまざまな業種のディレクターやマネージャー。または同じ受託制作業であるもののエンジニアリング主体の会社さん。というのが多く、そうなってくるとそのディレクターさんはややもすれば40代ないし30代。下手をすれば20代もあるわけで、そんなお若い方々が50代60代の、ある程度経験と実績を積んで、それだけならまだしもその分デザインフィも嵩むフリーランスに好き好んで発注するだろうかいやしない。

「そんなわけねぇだろコンチクショウこちとら腕一本で生きてんデェ」とおっしゃる方も当然とは思いますが、なにせ当方は「技術も平凡」で「なんか賞とかとる人物」でもなく「今をときめく有名企業とコラボ」とかあるわけもない。ちょっと調子に乗り過ぎたところで炎上すらできないありふれたデザイナーなわけでして。
そうなってくると、やはり歳を重ねた後の発注に期待するのは難しく、わたし自身もそれを見越して「40代中盤までに新しい方向性を固める」を課題としておりました。

決して技術で劣るわけではない

ここで勘違いされると困るのは、技術的、知識的に歳をとるときつい。と言うことではなく、どちらかというと技術や知識というのは40代くらいじゃまだまだ先頭を走ることができます。
その上で、時代の流れを掴む感覚。周りとの年齢差。自分に求められる知見などを分析して、今後のキャリアルートをあらためて考える必要がある。それが40代だと思います。

その結果

今のわたしは、FOLIOと言う会社でデザインチームのマネージャー見習いをしております。
マネージャーと一聴すると偉くなってそうな感じだけどその実ただの見習いというまだまだへなちょこ健在です。とはあまりにもふざけ過ぎた言い方かもしれませんが、実際のところは「マネージャー兼プレイヤーとして経験を積みたい」と言うわたしを快く受け入れてくれたのが今の会社です。

で。デザインチームのマネージャーって何すんの?

と思われるとは思いますが、申し訳ねぇこれについては今書くととんでもねぇ文量になりそうなのでまた後日。

中高年デザイナーとしての自分の今後について

マネージャーとして自分がどこまでやれるかもまだわからない状況でこんなことを書いても絵に描いた餅でしかないのですが、個人的な考えとしてはまずデザイナーとして技術や知識をここで止めるつもりはないです。
そもそもの話、どんなに上の立場の人からの意見であっても、それが営業の方とかだった場合「でもあなたデザイナーじゃないじゃん」って思いません?思いますよね。わたしは思います。思わないなんて信じない。

何も「思わないから拒否します!」とかはないのですが、プロとしての意見と、一般的な意見とでは捉え方が変わります。
ユーザーとしての一般的な意見はもちろん大事なのですが、デザインとしての意見はやはりそれなりに知見のある方でないとその効力が発揮しきれないわけです。英語の発音について英語が母国語の方が意見するのと、日本の学校の英語の先生が意見するのとどっちが信頼できます?と言う感覚とでも言いましょうか。
そう考えたときにですよ。やはり自分自身も最低限納得のいく。説得力のある。影響力のあるレベルで技術やら知識やらを保持していないといけないな。と考えている次第です。
でもまぁそれが行き過ぎちゃうと「自分で経営したことのない経営コンサルタントの言葉は信じない」とかちょっと面倒なこと言い出しそうなので何事も程々が一番ですが。

中高年デザイナーはどこまで現役が続けられるのか

ここでタイトルに戻るわけですが、結論から言えば中高年でもシニアでも「デザイナーは続けられる」と思います。
問題はその中身であって、技術のプロフェッショナルとして続けるのであればそれ相応の覚悟と努力、そして信頼が必須です。またチームを牽引するマネージャーやディレクターとしてデザイナーを基礎にキャリアを建てていくのであれば、これまでとはまた違う知識やコミュニケーション能力は必要になるでしょう。
どちらに転んだとしても、デザインをデスクの上の作業の延長線にとらえていたら厳しくなるのかもしれません。グラフィックを作らないマネージャーでも、仕様書を作成するディレクターでも、それはそれでデザイナーとして楽しめるお仕事なんじゃないでしょうか。

チームを設計するのも一つのデザイン

わたしの今の考え方を一言でまとめるならこんな感じになると思います。

といい感じにまとめたところで、今の所そのチームの設計図と申しましょうか仕様書とでも言いましょうか。そんないい感じのものがいつになったら描けるのか皆目見当もついておりませんが、それはそれで成長を見守ってあげてください。わたしの。


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