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生娘と牛丼-- 4K/4G時代の写実的想像力

『生娘シャブ漬け戦略』と変な想像

 吉野家の役員が、自社のマーケティング戦略について「生娘をシャブ漬けにする戦略」という趣旨の発言をして、取締役を解任されたというニュースを読んだ(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_625e2600e4b0723f801c3ff4https://www.businessinsider.jp/post-253254)。

 僕はこの「生娘シャブ漬け」という言葉を聞いたときに、どういうことだろう、と興味を持ってしまった。美味しいがゆえの牛丼の依存性を「シャブ」に喩えて、若い女性を「生娘」という聞き慣れない言い回しにしているところが、すこしユーモラスにすら感じた。もう少し具体的にいうと、「しりあがり寿の絵柄で、縦に細長く描かれて頬がこけた生娘(江戸時代の町人の着物を着ている)が、目をキラキラさせながら牛丼をかき込んでいる」みたいな想像をした。

 ところが、現代人の想像力において、僕のようなメルヘンは少数派だ。人々の想像は、もっとリアルで、もっと写実的らしい。つまり、「牛丼のマーケティング戦略」の喩えで「生娘シャブ漬け」を出した途端、「本当の」生娘が「本当の」シャブ漬けになるところを想像し、不快に思う人が多くいるのである。

 「牛丼を無我夢中で食べる若い女性」をイメージしてもらうために「生娘シャブ漬け」と言ったのに、みんなが本物の「生娘シャブ漬け」の方を想像してしまう。なぜか。現代人の多くが、薬物依存の若い女性の苦しみを、かなりリアルな精度で想像できるからではないか、と考える。高画質のドキュメンタリーや映像資料にすぐアクセスできることはもちろん、頭の中の映像プロジェクターが、人類史上最も高画質化されているから、というのが僕の仮説である。

4K/4G時代の写実的な想像力

 4K/4Gの時代では、高精細・高画質なイメージや動画が、望めばすぐに、大量に手に入るようになった。現代社会には貧困や搾取に苦しむ女性がたくさんいるし、そのようなドキュメンタリーも多く作られている。有名人から一般人まで、薬物依存で苦しむ人たちの肉声や表情を、その気になればすぐに視聴できる。しかも、どれもフルハイビジョンや、4Kといった高画質だ。そのような情報や映像を主体的に取り入れる、意識の高い人であればあるほど、「若い女性の薬物依存」がどのような家庭環境に現れ、どのような身体的な症状を伴い、どのような治療が必要になるのか、リアルな映像として想像することができる。

 これはもちろん、薬物依存に限った話ではない。一昔前であれば、人々はあらゆる事象に関して、自分の目で見た断片的な記憶や、人から聞いた話、低画質のビデオや写真から、細部を想像して補うしかなかった。補うからこそ、ツチノコはさまざまな憶測を生んで形を変え、男子中学生は笑ってしまうほどいびつな女性器のイラストを大真面目に描いていた。

 アフリカに住むワニの生態も、地方都市の中高一貫女子校の日常も、第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦も、鼻にストローが刺さったウミガメも、今でこそすぐに4Kで見られるけれど、少し前まで映像を手に入れることすら難しかった。見ていないそれらの映像をまともに想像することは、不可能だっただろう。それが現代では、昼下がりの女子校の廊下にワニが突如として姿を現し、その背後でミサイル爆撃が起きてカメが泣いている様子だって、人々はなかなか上手に想像できる。

 そして、写実的な想像がうまくいかないとき、映像は破綻し、戯画化される。二足直立歩行のワニが真っ白な廊下を疾走し、背後では黄色や紫色の煙幕が上がる。ウミガメはこめかみにストローが刺さり、バッチリ目を見開いたまま、大粒の涙を流すことになる。

おまけ:マーケターに必要な想像力とは何か

 僕が仮定したところによると、人類の想像力の拡張は、ひたすらに写実的な方向、つまり細部までリアルに描写する高画質化の方向に向かっている。この仮定が正しければ、このような写実的想像力の時代には、たとえ牛丼の喩えであっても「生娘シャブ漬け」はまずいことになる。牛丼を「シャブを打った」ように食べる、コミカルで戯画的な想像力、つまり『クリエイティブな想像力』など、人々は持ち合わせていないし、こちらから要請することもできない。

 現代人の想像力は、とにかくリアル化・高画質化を求める。想像を低画質化し、境界を曖昧することで生まれるユーモアは理解されない。つまり、現代人の想像力は戯画化できない想像力であることを、マーケターは理解する必要がある。優れたマーケターは、人々の想像力の方向まで想像しなければならない、かもしれない。

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