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『腐葉土の匂い』



    許せない。それだけだった。

    身長180cm近くある夫の死体を抱えるのは小柄な私には簡単ではなかったが、何とか車の後部座席まで運んだ。ダッシュボードの時計は23時だった。

    車は国道をひたすら北へ。真っ暗な峠道に入り、さらに脇道の旧国道を進む。ここまで来れば後続車もすれ違う車もいない。路肩に車を停めた私は、重い死体をひきずって樹海の中に入っていった。

「ふう、終わった」

    服と肌から、土と血と汗が混ざり合った匂いがする。帰宅後、全てをシャワーで流そうとしたが、どれだけ洗っても記憶だけは消えない。

    リビングのソファで私は倒れるように寝た。


    翌日、私は何事もなかったように会社に出勤した。普段と何ひとつ変わらない。そう心に言い聞かせルーティンワークを黙々とこなす。パソコンをタイピングする指の一本一本が夫を刺したあの感触を覚えている。

    仕事を終えて帰宅した時、時計は20時をまわっていた。夫と食卓を囲んでいたのはちょうど昨日の今頃だ。そう、それが最後の晩餐だった。夫を豪勢な料理でもてなし、高価なワインをグラスに注いで酔わせた。

    許せなかった。若い愛人と何年もよろしくやっている夫が。この数年間、私は“知らないふり”と“殺意”をセットにして生きてきた。

    念入りに準備してきた計画は順調に進んでいる。

    明日の夜は警察に捜索願を出す。夫が数日間帰ってこない、連絡がとれない。受話器越しに泣きながらそう話せば、妻の私が疑われる可能性も低いだろう。そして次は愛人だ。


    しかし、完璧なはずの計画は、早くも狂い始める。


(ピンポーン)

    23時。不意に家のインターホンがなった。こんな時間に誰だろうと不審に思いつつテレビモニタをのぞく。

「えっ・・・」

    死んだはずの夫がいる。普段と同じ上機嫌な調子で「ただいま」と微笑んでいる。


[続く]



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