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『迷子のほのか』(短編小説)


   水曜日は迷子になる。ほのかは、そう決めていた。

   放課後は、いつも一緒に下校している仲良しの友達にバイバイと手を振って、先に一人で教室を出ていった。

   校門をくぐり、いつもとは逆の方向に向かって歩き始めた。知っている道を歩いていても迷子にはなれないから、知らない道に行かないといけないのだ。コンクリートの道をどんどん行くと、また分かれ道に出た。まっすぐ行けば桜花公園で、左に行けば田んぼや果物園が広がる道だ。ちょっと迷って桜花公園の方に行くことにした。

   まだまだ、ほのかが知っている道だった。まだまだ、ほのかは迷子ではなかった。

   桜花公園に着くとベンチに腰をかけた。いつもパパとママに連れてきてもらっているあの桜花公園に、一人で来るなんて初めてだった。ほのかは、胸の高鳴りを感じつつ、うれしくて一人でクスッと笑った。赤いランドセルから水筒を取り出してお茶を飲んだ。麦茶はいつもよりもおいしかった。

   ほのかは立ち上がり、公園の遊歩道を歩き出した。一歩一歩進みながら、いろいろなことを考えていた。



   いつも、ほのかのそばには誰かがいる。パパ、ママ、お兄ちゃん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、学校の先生、クラスの友達、仲良しのサラちゃん、隣に住んでいるカナちゃん、ピアノの先生・・・。とにかく、どんな時も誰かと一緒だ。

   それは、ほのかにとって、常に誰かから見張られているのと同じだった。家はせまくて一人になれる場所はトイレしかないし、パパとママは心配だから一人でお出かけするのを許してくれないのだ。

   まだ9歳のほのかは「一人」をあんまり知らない。それはつまり「寂しい」という感情をあまり感じたことがないということだった。だから、漠然と「一人」に興味があった。というより、憧れていたといった方が正しいかもしれない。

   きっかけは図書室で出会った絵本だった。

   主人公の男の子が街でお母さんとはぐれて迷子になって、狭い路地とか、薄暗い森とか、大きな川とか、公園の秘密基地とかいろいろなところに行って、たくさんの人や動物や虫と出会って、ぐんと成長して、自分の力で家に帰るストーリーだ。ほのかには、それがとってもまぶしかった。

   一人になってみたい。迷子になってみたい。薄暗い森を探検したい。ほのかの好奇心は、どんどん大きく膨らんでいった。

   ある夜、ほのかは布団の中で思いついた。「学校の帰りに迷子になる計画」だ。その日はパパとママにこう言えばいい。「友達のサラちゃんの家で遊んでから帰るよ」。

   迷子になる日は水曜日に決めた。木曜日はピアノ教室があるし、金曜日はほのかの大好きなドラえもんを見なきゃいけないからだ。



   桜花公園を出て大通りの信号を渡ると住宅街に出た。目の前には知らない街が広がっていた。ただ、振り返ると桜花公園がある。まだ迷子とは言い切れなかった。もっと遠くに行かないと迷子になれないと思い、住宅街の坂道をのぼっていった。

   ほのかの家よりも何倍も大きな家がいっぱい並んでいた。お金持ちの街だと思った。

「バウウウ・・・」

   何かの声がして、そっちの方を見てみると、大きな三角屋根の家の塀の隙間から犬が顔を出していた。ほのかの大好きな柴犬だった。

「犬くん。きみも迷子になりたいの?・・・・・・・ふーん。わかってるわ。おいしいエサがもらえるから一人にはなりたくないのね。つまんない子っ。べーだ」

   ほのかは犬に向かって、変な顔をした。犬は表情も変えずにじっとほのかを見ていた。

「ふんっ。もういくんだから」

   そう言い放って、ほのかは犬に小さくバイバイした。

   さらに進んでいくと、家と家の間のところに、抜け道のような細い小道の入口を見つけた。まるでトンネルみたいだった。道を挟むように建っている両側の家の木が屋根みたいになっていて道は薄暗かった。道の先もはっきり見えなかった。

   地元の人の秘密の道なのかなあと思いながら、ほのかは好奇心のままに足を踏み入れた。その小道がどこにつながっているのかはわからなかったけれど、すごく長い道なのはわかった。胸がドキドキしていた。ほのかにとって、そこはもう知らない世界だったのだ。

   どれくらい歩いただろう。小道をずっと進んでいくと、小さな円形の広場のような場所に出た。傍らには、小さな祠とお地蔵様があった。ほのかはちょっとだけ怖かった。

「お地蔵様。私は迷子の探検家。ここをまっすぐ行くとどこに着きますか・・・」

   お地蔵様はウンともスンとも言わないが、ほのかはさらに話した。

「ねえ、こんな暗いトンネルの奥で一人って楽しいのかしら?お地蔵様。あらひょっとして迷子のお地蔵様?」

   ほのかはすぐ横にあった腰掛け用の丸太に座った。ポケットから飴玉を取り出して口に入れて、自作の歌を口ずさんだ。

「迷子ってたのしいな〜、迷子ってたのしいな〜♪冒険・探検・山梨県〜、迷子って楽しいな〜♪・・・・」

   空はだんだんとオレンジ色になってきていた。ほのかは、さっきまであんなに楽しくて仕方なかったのに、ちょっとずつ楽しくなくなってきていることに気づいていた。むしろ、ちょっと怖かった。楽しいドキドキと怖いドキドキが混ざってわからなかった。

「迷子って楽しいな♪冒険・探検・・・・」

   暗い小道をさらに進んでいくと、奥の方に道の終わりが見えた。出口からはキラキラとした光が射し込んでいた。ほのかは、無意識にちょっと小走りになった。

   小道を抜け出すと、視界が開け、人通りの少ない道に出た。そのキラキラの正体は夕日だった。そこは見晴らしの良い場所だった。ほのかの住んでいる街がぜんぶ小さく見えて、オレンジ色に染まっていた。なんて綺麗な街なんだろうと思った。

   その道はゆるやかな坂になっていた。ほのかは景色に見とれながらゆっくりと道をくだっていった。

   空はどんどん暗くなっていく。心はどんどん楽しくなくなっていく。ほのかは怖くなって、目に少し涙を浮かべていた。「迷子なんてならなければよかった」と思った。背中のランドセルが重かった。

   ヘトヘトになって歩いていると、どこかで見たことのある家が現れた。よく見ると、ほのかのお婆ちゃんの家だった。

「ここ、お婆ちゃんの家の近くだったんだっ!!」

   庭をのぞいてみると、ちょうどお婆ちゃんがガーデニングをしているのが見えた。その瞬間、ほのかは「寂しい」「一人」っていうのがどういうことなのか、少しわかった気がした。

「お婆ちゃーーーーん!!」

   ほのかは、今まで生きてきた中で一番大きな声を出して、お婆ちゃんを呼んだ。

「あら、ほのちゃんじゃないの」
「お婆ちゃんっ!」
「ほのちゃん、どうしたの?ママは?」
「ほのかだけだよ。一人だよ」
「えっ、あんな遠くから一人で歩いてきたの?」
「うん」
「とりあえず、おうちの中に入りなさい・・・」

   ほのかはお婆ちゃんにしばらく抱きついていた。背中を包み込むおばちゃんの手は温かかった。

   その後、お婆ちゃんはママに電話してくれた。後からお爺ちゃんが家まで車で送ってくれることになった。

「ほのちゃん、ごはん食べて帰りなさい」

   その夜、お爺ちゃんとお婆ちゃんと一緒にごはんを食べた。誰かと一緒に食卓を囲むのはいつものことなのに、初めてみたいにうれしかった。

(了)

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