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どこまでを「自分」だと思えるか

1.自分以外の人間をどのように感じるか

せっかくの1度きりの人生、みんな幸せに生きていきたいですよね。

でも幸せって一部の容姿に恵まれた人や、努力して大金持ちになった人など、全体の中でごく少数にしか訪れないようなイメージがあるかもしれません。

大多数の人間が到達するような幸せなんて、どうせささやかなものでしょうと。

そんなあきらめにも近い感覚でいる方もいらっしゃるかもしれません。

確かにわかりやすい幸せについてはそうなんでしょうね。

幸せの形は人ぞれぞれ、なんて言葉もきれいごとのように聞こえる部分も確かにあります。

でも、それでも自分の心の持ちようによって、幸せの感じ方が大きくなったり、小さくなったりするという部分は信じられるんじゃないでしょうか。

そんな中で、私が幸せを感じるために非常に重要だと感じていることがあります。

それは「なるべく自分以外の人達を自分と同じ仲間だと思う」ということです。

人生は、どこまでを「自分」だと思えるかに挑戦する旅だと言ってもよいかもしれません。


2.「他人」を「仲間」だと思うのは難しい

ONE PIECEという漫画を知っている方は多いと思いますが、

主人公のルフィは自分の海賊船に乗ったメンバー達のことを「仲間」と表現します。

ルフィの「仲間」に対する想いは人一倍大きく、それは「自分」に対する気持ちをはるかに超えていきます。

「仲間」を守ろうとしている時の行動にはエネルギッシュで生命力に満ち溢れていて、「自分」の幸せにも通じている行為だと私には思えるのです。

時には自分の命が危機に瀕するような無茶までしちゃうルフィですけれど、

「自己犠牲」にも思える行動で危ういですけれど、たぶんルフィの中ではそれでも「自分」の幸せへとつながっているのが「仲間」意識なのではないかと思います。

「仲間」と思えるかどうか、すなわち「他人」を「自分の一部」だと思えるかどうかが「幸せ」において重要なのだとすれば、

現時点で私達はどこまでそれを実践することができるでしょうか。

例えば、「家族」は仲間だと思えるでしょうか。

何か個別的な事情がある人もいるとは思いますが、多くの人はYesと言えるのではないでしょうか。

それでは「友人」はどうでしょうか。

これも一口に「友人」と言っても、そのつながり具合は千差万別ですが、「仲間」という言葉に一番フィットしやすいのがこの「友人」ではないかと思います。

それでは「仲の悪い人」「気に食わない人」はどうでしょうか。

そんなの「仲間」なわけがないと思えるかもしれませんが、その人が自分がいるグループの中に所属していれば、彼がグループの構成員であること自体は紛れもない事実で、

もしかしたら彼が「自分」のグループを動かすのに欠かせない役割を持っているかもしれません。そうすると「仲間」としての要素はゼロではないと思います。

さらに進めていきます。「会ったこともない異国の人」はどうでしょうか。

会ったこともないわけだから「仲間」なわけがないと思うかもしれません。しかし「地球」という「自分」が所属するグループを構成する一員なのですから、「仲間」としての要素がゼロとは言い切れないかもしれません。

では「人間の言葉が通じない動物たち」ではどうでしょうか。

そもそもコミュニケーションの手段が限られているのだから、仲間意識を持つなんて不可能だろうと思うかもしれませんが、

やはり「地球」という「自分」が所属するグループを構成する一員であることには違いないので、「仲間」としての要素は……どうでしょうか。

もちろん、関係性が離れるにつれて「仲間」としての要素は薄くはなっていると思います。

ただ考えようによっては「仲間」と思えないこともない、ということは言えるのではないでしょうか。


3.人生は「仲間」を増やして「幸せ」を求める旅

すべてを「仲間」だと思うのが難しいことはあるわけですが、「仲間」だと思うことには大きなメリットがあります。

長く生きていると人の悪口を耳にしたり、自分で言ってしまうこともあったりすると思います。最近では誹謗中傷の声もネット界隈でよく聞かれるようになった印象さえあります。

しかし皆さん、「仲間」だと思っている相手を誹謗中傷しようと思いますか?

おそらくNoだと思います。ということは悪口や誹謗中傷をしているということは相手のことを「仲間」だと思えていない、ということの証明です。

確かに「仲間」要素の少ない相手を「仲間」だと思うのは至難の業です。

自分では絶対しないような悪事を働く相手を自分の「仲間」だと考えるのはほぼ不可能に近いとさえ思えるかもしれません。

しかし、その苦行を可能にするコツとしてはひとつは「善悪のものさしを外す」こと、もう一つは「本質的には相手も自分も同じようなことをしていることに気づく」ことだと私は思います。

そうすれば「嫌な相手」から嫌が消えて、人間としてのありのままの姿、もっと言えば動物としてのありのままの姿、

本質的に誰もに共通する部分」が見えてきて、「仲間」だと思える予知が生まれてくるような気がするのです。

……だいぶきれいごとに聞こえてしまっているかもしれませんね。それだけ「仲間」を増やすというのが難しいということだと思います。

でも、もしもその修行を人生で達成することができたら自分の「幸せ」が大きくなるのだとすれば、やってみる価値はあるのではないでしょうか。

これならば、容姿やお金に恵まれなくてもチャレンジできる、チャレンジしがいのある修行なのではないでしょうか。

一緒にやってみませんか。

そうすれば、もうあなたは私の「仲間」です(^-^)

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