【自己紹介】後編

 自己紹介の前編では、私の幼少期から高校までをまとめました。後編では、大学の学部・院生時代について、どんな研究をしていたのかを踏まえて書きます。

1. 私が学んでいた学科


私が進んだ学科は環境資源科学科というところです。
どんな学科かというと、

1973年、日本で初めて「環境」を専門に研究する学科として、本学に環境保護学科が創設され (~中略~) 科学の立場から、環境や資源の問題を分析し解決していくことを目指しています。

出典:東京農工大学環境資源科学科HP

こんなところです。(日本初って知らなかった!笑)

学科内でも大きく2つ「循環系」と「資源系」に分かれています。
大まかに説明すると、


循環系(正式名:物質循環環境科学)
水界・大気・土壌・生物における物質循環とそれに関連する研究。
循環に関する諸因子の解明、汚染環境のモニタリング、生物に及ぼす影響の解明、現状評価・予測を行う。

資源系(正式名:環境資源物質科学)
生物資源の形成・機能開発・再生化から分解・廃棄までの資源循環利用の研究。

今読むと、現代にちょー必要じゃんと改めて思いました。笑
はじめは両分野を広く学び、研究室でそれぞれどちらかの分野に専門が分かれます。私が高校生の時にビビッと来たのは循環系でした。


2. 私が研究室で行っていたこと

 そして入った念願の研究室は

水環境保全学研究室/Laboratory of Organic Geochemistry

 人間活動による環境汚染の実態、挙動、起源を把握するためのアプローチをしていて、特に水環境(海、川、地下水、堆積物)とそれに関わる生物における汚染物質の分析をしています。その中で私は、やりたかった「マイクロプラスチックによる海洋汚染」の研究が出来ることになりました。
 具体的には、前編でご紹介した International Pellet Watch を地点数を増やして経時的に行うことに加えて、砂浜に落ちているプラスチック製品が砕けた破片も、同時に分析していました。

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 想像していた通りただ分析をするだけでなく、一般市民と繋がり巻き込めていることを実感しました。主に日本ですが、世界中の研究者・学生・旅行者・NPONGO・ボランティア・サーファーからサンプルが送られてきたり、
市民団体への高田秀重先生の講演会の際には一緒にビーチコーミングをしたり。


 高校生までは自分が白衣を着て実験なんて想像もせず、むしろ「そんなこと難しいしつまらなそう」と思っていたほどでしたが、フィールドと実験室を行き来でき、理想的な時間となっていきました。

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3. 外への情報発信に興味を持って

 同じ研究で大学院に進みました。日常的な会話や毎週のゼミで、この分野に関する最新の情報が飛び交うのですが

「これって研究分野意外の人でも興味のある人がいるのでは」

と思い始めました。環境問題にアプローチするためには、学術の世界で論文を出すことはまず大切。でもそれと同じくらい、一般の人に行動を変えてもらうよう発信していくことも大切なのではないか。

 そう思って、大学院2年目、卒業まで1年を切ったタイミングで、研究室の外へ情報発信のために動いてみました。様々なご縁に恵まれて、関わりのあったコミュニティやNPOで、授業として私立・公立の高校生へ、そして企業の方へ、プラスチック汚染と行動を変える必要性を研究分野から伝える機会が生まれました。共感してくれる人、行動を実際に変えてくれた人が生まれて感動したし、一学生の私でも出来ることがあると気づき嬉しかったです。

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4.  研究、発信を通して分かったこと

行動して良いことがあった半面、痛感したことが2つありました。

それは、
1. 危機訴求だけでは問題は解決しない
2. 自分からアプローチできるのは既に環境問題に興味を持っている人で、大多数であるそれ以外の人には働きかけられない
この2点です。

どうしたら良いのか考えた結果、結局お金が動かないと人の行動は変わらないことが分かりました。それに、自分だって伝えるだけでは食べていけない。こんな経緯があって、「環境問題を解決する手段をビジネスで広げたい」と思い、民間企業で働くことを決めたのでした。


後編、終了!
(次は現在!)

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