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小説『オスカルな女たち』53


     《 エピローグ 》

赤ちゃんの泣き声が「おぎゃぁ」だと、だれが最初に言ったのだろう。

「まったく、人騒がせな夫婦だよ…!」
店に着いてそうそうからぶつくさと口元は歪み、席に着くなりため息を落として憮然とした態度を崩さない真実(まこと)に、
「まぁまぁ…。それで丸く収まったのならよかったじゃないの」
そう言ってワイングラスを真実のジョッキに合わせるつかさ。
いつもの『kyss(シュス)』で珍しくカウンター席に座っているのは、つかさを真ん中に、この場にいない玲(あきら)に「言いたいことが山ほどある」と頬杖を突き不貞腐れる真実と、それを受けて苦笑いの織瀬(おりせ)の3人だった。
「一時はどうなることかと思ったけど、結婚までこぎつけたんだから」
なにがあったのかは知らないが、玲の思惑通り娘の羽子(わこ)の入院は夫〈泰英(やすひで)〉にとってはいい薬になったようだ。当の羽子の方も、さすがに入院を宣告されてはおとなしくせざるを得ないというところで、担当医である真実の母〈操(みさお)〉の言うことにも素直に応じているということだ。
「そりゃ、そうだけど…」
ジョッキを大きく傾け、喉を鳴らしてビール流し込む真実は、それでもまだ納得がいかないといった様子だ。
「今は羽子ちゃんのこともそうだけど、結婚式のことやらその他のことで手一杯なんでしょー」
空になったワイングラスをカウンターの一段高いところに預け、お代わりを要求するつかさ。
「それにしたって、だよ」
入院当日、玲の夫が〈吉沢産婦人科医院〉に現れてから、散々ごねた挙句になんの挨拶もなくそそくさと帰っていったふたりの姿を、喫茶店の窓から眺めていた真実は「なんだよ、あれ」と見送っていたことをぼやいた。
「真実がいちばん振り回されたもんね」
「織瀬だって、いいたいことあんだろ? 怒っていいぞ」
「あたしは…」
いろいろと言いたいことはあるが、今の真実にそれをすることは逆効果だと言葉を飲み込む。
織瀬にしてみれば、玲の態度うんぬんよりも、機嫌の悪い真実ばかりかさほど面識のない真実の元夫〈佑介〉を置いていかれたことに戸惑いはしたものの、佑介は意外と気さくな男で、なんだかんだと楽しく3人でサンドウィッチを食べて談笑していた…というのが結果だった。
「入院させてから2日続けて来ただけで、それ以来10日にもなるってのに、預けっぱなしでまったく顔も出さない」
なにやってんだ…と続ける真実だったが、心配されていた〈特別患者〉である女優〈弥生すみれ〉の出産も、だれに知られることなく事なきを得たことを思えば、御の字ではある。
「だってもう、下の子たちの学校だって始まったでしょうし…」
相変わらずの真実のご立腹ぶりに、つかさの頬は緩みっぱなしだ。これまでの「日常」が返ってきたのだと安堵する。
「おかわり!」
「いつになくピッチが速いですね」
腫れ物に触るようなしぐさでジョッキを受け取る真田に、
「明日は午後からだから、いいの」
余計なことは言うな…とばかりに睨みを利かせる真実は、
「そろそろ、ナッツ、出てきてもいいんじゃないの?」
サービスにも厳しい。
「はい。心得ております」
何杯目かのビールと出てくる〈ナッツの盛り合わせ〉は、すっかり定番になっている。
「織ちゃんの赤ちゃんも、明日退院だっけ…? もうこうしてここでみんなで飲むこともなくなるのかな~。ちょっとさみしいな」
無意識に真田に目を向ける。
「まったくなくなるわけじゃ…」
とはいえ自身の育児について、先の読めない織瀬は苦笑い。
「そうは言っても、赤ちゃん連れてここには来れないでしょう?」
つかさがのぞき込むと、
「落ち着いたら、ランチでも…」
やわらかな笑顔で返す。
「お~いいね。その時は誘ってくれ。しばらくゆっくりできるんだろ…」
ジョッキを受け取りながら、同じく織瀬を窺う真実。
「うん。仕事の方も当たり前に育休として扱ってくれるみたいだから…」
「待遇いいね」
「それだけあてにされてるってことだ」
「ひとが少ないだけだよ」

羽子の入院から数日、結局弥生子(やえこ)は待ちきれずに帝王切開で出産に臨むことになった。
織瀬は、出産前の弥生子に「聞きたくない」と言われるのを無理矢理、
〈赤ちゃんの名前はもう決まっているの。『橙星(あきせ)』…明るい星。男の子でも、女の子でもどっちでもいいと思って…〉
そう言って励ましたのが1週間前のことだ。
〈織姫と彦星。か…〉
そう語る真実に、
〈橙(だいだい)ってね、冬に熟すらしいんだけど、木からは落ちずに翌年の夏にまた青くなるんだって。実が落ちずに歳をまたぐから縁起物としてお正月に飾られてるって〉
〈へぇ…いろいろ考えてんだな〉
〈星って、スターじゃない? 弥生子さんの名前をもらうよりふさわしいかと思ったの〉
そう微笑む織瀬に、
〈よ、余計なお世話よ!〉
手術室に運ばれていく弥生子の目には、光る星が輝いていたことは言うまでもない。

・・・・ほどなくして空港で大きなサングラスをかけた女優の帰国映像がメディアを騒がせた。
当の本人は産婦人科の談話室のソファでテレビに映るその様子を見ていた。
「なんだか不思議…」
同じく横で観ていた織瀬は、その姿に「芸能人てこういうことか」と感心していた。
「あぁ、またこの娘(コ)は…『猫背になるから気をつけなさい』っていつも言ってるのに」
当の弥生子は厳しい目つきで、画面の中で激しくフラッシュを浴びるその姿に舌打ちを繰り返す。
「〈弥生すみれ〉って言われてるそいつはだれだ? わざわざ空港に役者を仕込んだのか?」
その様子を腕組して突っ立ったまま眺めていた真実が「さすがだな」と、半ば呆れた口調で返す。
「わたしの代わりに〈語学留学〉に行ってた…女優の卵? 背格好が似てる子探すの大変だったのよ」
画面から目を離さず応える弥生子に、
「えぇ? わざわざ留学させたの?」
驚きを隠さない織瀬。
「こういう時のためにね。影武者は必要でしょうよ」
当然…と答える弥生子に、
「さすがというべきなのか…やり過ぎなのか、念がいり過ぎてる気もしないでもない」
なにが正しいということはない。
ただなにが起こるか解らない世の中で、まして些細なミスや見えない綻びがスキャンダルになりかねない弥生子のような職業は、準備が良すぎるということはない…と改めて認識させられた。
「自分は大丈夫なのかよ? 仮にも語学留学だろ? 突っ込まれたらどうすんのよ」
弥生子の語学力を問う真実に、
「I am an actress once every 100 years.」
なにやらぺらぺらと日本語ではない言葉を発したかと思うと、
「あなたたちお忘れかもしれないけど、わたしの祖母は国際結婚をしたバイリンガルよ。当然わたしも、幼いころから英語はネイティブだわ。これからの女優は英語くらい話せないとね」
そう、得意顔で答えた。
「あぁ、そう言えば…」
すっかりとその境遇を忘れていた織瀬も、すべてに抜かりがない…と自信満々の弥生子がたくましく思え「ここは『さすが』というべきね」と、真実と顔を合わせた。 
「あら、今さら? この業界、したたかでなければやっていけないのよ。さぁ…これから忙しくなるわ」
目を輝かせる弥生子の顔はまさに女優だった。

ぎんなん

「ね、このシチュエーション、覚えがない?」
カウンター越しに視線を交わす織瀬と真田を見ながら、つかさがおもむろに語り掛けた。
「なに?」
「去年の同窓会の帰り、あの時も3人でこうして並んでた。おりちゃん、あたし、まこちゃんって、並びも同じ。真田くんもそこにいた」
人差し指を立て、ふふ…っと笑う。
「あぁ、そう言えば…」
わずか半年前のことを遠い昔のように振り返る。
「あの日は織瀬、だいぶ酔ってたな~」
なんかやなことでもあったのか…と、今さらな質問に、
「そうそ。わざわざ記念写真まで撮った…」
つかさが続いた。
「やなこと思い出すな~」
上目遣いに唇を突き出す織瀬は、明らかにあの日よりも気分が晴れていた。
「あん時、織瀬の電話が鳴ったよな、確か…」
「そうそう、まこちゃんがカッコよく『そんなのほっとけ』って…」
口真似しながら織瀬の腕を掴むつかさ。
「そんなこと言ったか?」
「いった、いった。男前~って感心したもん」
「あ~それ、オレです…」
「へ?」
つかさは真田と織瀬を交互に見た。
「あの時、写真のついでに織瀬さんの携帯から自分の携帯に電話かけたんです。で、確かめるために帰り際鳴らしました」
「ほぉ…。あの時から仕掛けてたってわけか」
敵意丸出しの真実に、
「そんな…。つもりじゃぁなかったですけど」
たじろぐ真田。だが、
「結果、こうなった…と」
いたずらな目で、織瀬と真田の間でワイングラスを振るつかさ。
「もう、いいじゃない…」
その件に関して織瀬はなにも言えない。
「あれから半年ちょっとしか経ってないなんてね」
「あの頃とはずいぶん変わったな」
「あたしは離婚、織ちゃんも離婚…そしてBaby誕生。まこちゃんはぁ…」
「なにもないよ」
無理矢理話の腰を折る真実に、
「またまたぁ…いろいろと聞こえてるよ~」
肩を揺らして右隣の真実を小突くつかさ。
「空耳だ、気にするな。自分はどうなんだよ、ハウスメーカーとは…!」
「あ~わかったー。空耳だったー」
わざと棒読みに応えるつかさ。
「調子いいんだから…」
「あはは…。これから先も少しずつ変わっていくんだろうね、あたしたち」
右隣のふたりの顔を覗き込む織瀬。
「そりゃ、おばさんになってくだろーよ」
「やだ、まこちゃん。そこははしょってよ」
「なんだよ、はしょれねーだろ、現実はー」

かつてお嬢様学校ともてはやされた世界で、生徒達の憧れの象徴『オスカル』の名を冠されて過ごした乙女たち。

乙女らは成長して大人になり、社会に揉まれながらもそれぞれの家庭を守り第2の思春期を謳歌している。

今後もなにかと心揺さぶられることがあるかもしれない。自分以外のやんごとなき事情に振り回されることもあるかもしれない。

だが乙女たちはいつまでも、繊細で、赤裸々で、オスカルがたった一度だけドレスを纏ったときのようにときめくことを忘れない。

彼女たちはこの先なにかを諦めたとしても、だれにも言えない秘密を抱えることになったとしても、キラキラと今を生きていく・・・・。


                             ~ 完 ~



長い間、おつきあいありがとうございました * * * * 平沢たゆ


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まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します