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小説『オスカルな女たち』48

第 12 章 『 決 断 』・・・4


    《 トレース 》


「あなたが気になさっているのは、それだけじゃないでしょう?」
あくまでも語気は静かに、言葉は丁寧…を心掛けてはいたが、かなり棘のある言い方であることは否めない。だが玲(あきら)なりに、精一杯言葉を選んでいるつもりではいた。
「マンションのことは、心から申し訳ないと思っているわ。でも、お兄様の社宅の話が出た時点で、そういうつもりなのだと思っていたから…いずれはと。今はそれどころじゃ…とにかく、一度帰ってらして」
つい早口になってしまうところを、喉元を抑えて冷静を保った。
それでも、相手の冷静を欠いた態度にしばしば感情を左右されることもある。ゆえに、不快な電子音が耳に響いた瞬間、
「大人気ないことしないで! いつまで拗ねてるつもり!」
と、突如声を荒げてスマートフォンをテーブルに置いた。
「大きい溜息ね、ママ。電話、それ絶対繋がってないよね」
目を細め、疑わしい視線をくれる愛娘〈羽子(わこ)〉をついと見遣る。
「最後はね、切られたわ。…当り前じゃない、あんなこと言ったら、本当に帰ってこなくなるわ」
ため息混じりに答える。 
「ほら、パパ。やっぱり、帰って来やしないじゃない」
憤慨してどっかとソファに腰かける羽子。
「ほらほら、もう少し気をつけて…」
あなたまで煩わせないで…と、娘にさえも言葉を飲み込み、そのあとを金魚の糞のようについて回る。
「わかってるわよ」
立ち上がり、再度うろうろ動き回ろうとする羽子に、
(あぁこんなに落ち着きのない娘だったかしら…?)
「解ってないから言ってるんでしょう? 今は大事な時期なのよ。あなたがそんなんじゃベビーが落ち着かないわ」
宥めるように肩に手を掛ける。
パパは!」
羽子はその手を振り払い、見たこともない顔つきで睨みつけてくる。
妊娠のせいなのか、もともとの気性が短気だったのか、近頃の羽子はどうも沸点が低い。
(男の子…かしら?)
などと悠長に、お腹の中の性別を想像できる辺りが大人の余裕だろうか。
「ねぇ、ママ~」
かと思えば急に甘えた声を出す。
ころころと面白いように表情が変わる。手を変え品を変え、これが若さ、これが少女ゆえの特権か…と、羨むところではある。
「はいはい…」
聞いているわ…とソファに落ち着くよう促す。
「こないだからちっとも取り合ってくれない。彼だって年末は仕事で忙しいのに、それでも毎日、わざわざスーツに着替えて出てきてくれてるのに!」
そう言ってつい先ほど肩を落として帰っていった恋人を思い、涙目で訴える。
「ほら、今は不安定な時なんだから、体を冷やさないようにしないと…」
そう言って玲は、ソファに座る羽子の肩にブランケットを掛けてやる。
「ママ~」
腕にしがみつく羽子の情緒不安定は、今一番心配されるところであった。
「ママだって、彼の良さは解ってくれてるでしょ」
そうなのだ。羽子の恋人である〈水本瑶平(ようへい)〉は、年末の忙しい時期も時間を見繕い、迷惑にならない時間にわざわざスーツに着替えて毎日出向いてくるのだ。その誠意は玲も買っている。
「だからさっきも『年内は仕事のお付き合いで時間が取れない』って言ったじゃないの。毎年のことよ。あなたたちだってこれまで冬休み中はおじいちゃまのお屋敷に行っていたでしょう」
ここでのおじいちゃま…とは、玲にとっての祖父を指す。玲が高校を卒業後すぐに家出同然に〈花嫁修業〉という名目で転がり込んだ、山海に恵まれた静かな場所だ。御門(みかど)家の別邸としてはいちばん規模が大きく、現在の住人は90歳を越えた玲の祖父と使用人が数名である。最近では海外からの訪問客のいい宿泊施設になっているらしい。
「じゃぁ、年内は話ができないってこと? それじゃぁ週末のクリスマスパーティーは、向こうの家に行っていいよね? パパはよそのパーティーで忙しいんだから」
子どものようなことを言っていてもやはり女、皮肉を忘れない。
「羽子…」
「ねぇ、イブは家にいるから~」
駄々をこねるようにせっつく。
「だから、それはダメだって言ってるでしょう?」
「家にいないんだからわかりゃしないじゃない!」
「そういう問題じゃないでしょう。それに、そういうことはおいおいバレるものよ。今はおとなしくしていないと、ますます『話がこじれる』ってさっきも話したじゃない。瑶平くんの方がよっぽど話を理解していたわ」
つい先ほど帰っていった瑶平の殊勝ぶりを話して窘める。
「そりゃ、ママにそう言われたら『わかりました』っていうしかないじゃない」
ついと顔をあげ、拗ねた目をして訴える。
「そうだとしても、よ。そもそも家出なんかするから…」
それはママのせいでしょう!
矛先がこちらに向いてきた。とんだ八つ当たりだが、
「はいはい。そうよね、ママが悪いのよね」
家出を考えさせる要因を作ったのは自分かもしれないとも思っていた。
「あ~その言い方、ムカつく!」
「じゃぁなんて言えばいいのよ」
(なにを言っても気に入らないのに…)
まるで子どもの喧嘩だ。
仕方がないこととはいえ、玲はこの手のやり取りが一番苦手だった。なにより自分の人生経験の中で、この手の言い争いをしたことがない。
「お正月明けには…いいえ、年内には必ずパパに時間を作っていただくようにするから。…問題を抱えたまま年越しなんてあり得ないわ」
玲は自分に言い聞かせるように言う。
それは羽子の問題だけではなかった。言い訳じみていて実に格好が悪いことではあるが、夫のご機嫌斜めは、自分にも非があると思うからこそ玲は焦れているのだ。
それは〈結婚10周年〉の記念にとプレゼントされた例の〈赤い部屋〉を、夫になにも告げず勝手に解体したことへの怒りが収まらないことにある。さらに今回の娘の妊娠騒動でつけ入る隙が無いのだ。だが、それをそれとして羽子に告げるわけにもいかない玲。
(なんとかして機嫌を直してもらわないと…)
「説得できるの?」
いやな目つきで玲を見遣る。どこでそんな顔を覚えたものやら…と、我が子の百面相には驚くばかりだが「あなたにも、条件は出すわよ」と、そこは母親らしい顔で返す。
「なんでよ?」
「とにかく高校は卒業してもらうわ。辞められるなんて思ったら大間違いですからね」
「え~、意味ないのにぃ…」
確かに羽子は学業向きではない。そこは玲も、本音では無駄だと思っている。だが、もっともらしい条件を飲まなければ、そうそう今の夫の気持ちを和らげることなどできやしないだろう。それどころか〈結婚〉ばかりでなく〈出産〉すら納得させられる自信が今の玲にはなかった。そして、それとは別に、
「意味はあるわ。将来あなたがベビーのために後悔しないようにね」
と、玲自身、学生時代に身が入らなかったことを思えば、それも当然と思えた。
「留年しろっての?」
かっこ悪い…とふてくされる羽子に、
「通信の高校に編入手続きを取ったわ。3学期からは家庭学習よ、家庭教師もつけますからね、あなたひとりでは身が入らないでしょうから」
有無を言わさず、こちらの言い分だけを並べた。
「そんなぁ…」
「自業自得よ。とにかく、けじめはつけてもらわないとね。それから、結婚式は無事に高校を卒業できてから、にしてもらうわね」
「え~!? なんでよ、いろいろ考えてたのにぃ…」
「必要なのはそんなことばかりじゃないのよ。彼も今は修行中の身だし、その辺はママと考えは同じだと思うわ。ベビーのことがあるから、籍は…とにかく、パパを納得させられたらってことになると思うけど…」
「それ、パパに言った?」
「一応は、ね。私の考えとして…」
そう。一方的に、伝えることは伝えた。
「ふ~ん。やっぱり、パパ、逃げたんだ」
それまで落ち着きなく手を動かしていた羽子だったが、ぴたりと動きを止めて玲を鋭く見据える。
「羽子! そうじゃないことはあなただってわかっているでしょう」
さすがにそうまで言われては玲も語気を荒げざるを得ない。
「あなたまで困らせないで」
母の態度として「いけない」と思いつつ、ついついお願いじみた言い方をしてしまう。
「だって…。でも、避けてることには変わりないじゃない」
これまでも父〈泰英(やすひで)〉は、自由奔放な羽子の生き方に対し充分に甘い父親だった。だが、やみくもに言いなりだったわけではない。羽子は実の父親を知らないし、知らなくてもいいと思えるほどに充分に愛情を受けて育った。年頃となった今でこそ玲に頼りがちではあるが、嘘や誤魔化しなく真正面から向き合ってくれていたと思っている。それは羽子自身も納得していた。だがそれだけに、ここにきて急に頭ごなしに拒絶された羽子は、初めて父親に対し理不尽を感じ憤りを隠せないのだ。
「羽子! 今さら駄々っ子みたいな真似しないで」
つい口調が荒くなる。
「ママにくらい愚痴ったっていいじゃない」
「えぇ…?」
(それは愚痴なの…?)
息を整え、
「羽子ちゃん…」
と、声を掛ければ、
「猫なで声出さないで」
ぴしゃりと返される。
「なによ…」
「なによ、ママ。なんでママはなにも言わないわけ? やっぱりあたしのことなんかどうでもいいんだ」
「どうでもよかったら、あなたをここへは置いておかないでしょうね」
少しキツい言い方をする。
「でもパパは、パパはあたしのこと『いなきゃよかった』と思ってるよ」
「羽子、あなたは賢い子よ。本当は解っているのでしょう?」
羽子はなにも言わず、ただ俯くだけだ。
「ママ。パパは、パパががっかりしてるのは解る…けど、あんなふうに無視されるのって」
ぽとりと一粒、涙がこぼれた。
羽子には泰英の詳しい事情を説明してはいなかった。ゆえにただの兄弟喧嘩で反対されているとは思いもよらない。だからこそ羽子の中にある苦しみは、自分が順序を違え妊娠してしまったことへの反省と自責の念だけである。それを玲は申し訳ないと思うからこそ余計に切なかった。
「そうね、パパは少し頭を冷やさないといけないわね。娘のために、くだらない意地を張るのももう…。いいおじいちゃんにならないと」
そう言って玲は羽子の頬の涙を拭った。
「ココアでも入れるわね…」
「ママ…」
キッチンに向かう玲の背中を羽子の声が追いかける。
玲はニコリと微笑みだけを投げ、食器棚に向かった。
「あたし、ママの言う通り我慢はしたくないの。…ママ、言ったよね?『女がしあわせになるためには遠慮してちゃダメ』だって。『一度遠慮すると一生遠慮する選択をする人生になる』って。だからあたし、わがままだと思われてもそれだけは守ったよ。どれでもいいわけじゃない。だれでもよくない、あたしは瑶ちゃんじゃないといやなの。遥ちゃんの赤ちゃんが産みたいの」
我が娘ながら「可愛いことをいう」と思った。
確かに玲は、なにに対しても遠慮がちだった幼児期の羽子にそのようなことを言っていた・・・・。
なにか大事な選択を迫られたとき、目の前に欲しいものがあるとき『どれがいい?』『どっちがいい?』と尋ねられたら『遠慮をするな』と教えたのだ。それは決して〈我を通す〉という意味合いではなく、自分に〈正直であれ〉という意味だった。たとえそれが他人に対する気遣いであったとしても『どれでもいい』と答え、自分の意に沿わないものが手元に来た時、それを『心から大事にできるのか』ということが重要なのだ。一度『どれでもいい』と答えてしまうと、いつでも『どれでもいい』選択になってしまう。本当に欲しいものや、自分がやりたいこと、例えば想い人ができたとき、後悔しないために『遠慮をするな』と教えたのだ。
「ママ、聞いてる?」
一生懸命に訴える娘の言葉に、玲は昔の自分を重ねて見ていた。
「聞いているわ…」
かつて自分も、似たようなことを自分の父親に言ったような気がする…と。

ティラミス

ココアを入れてソファに戻ると、玲は静かに羽子の隣に腰かけた。
「こんな時は、あれね。〈たら、れば、ゲーム〉…」
「え~!? なんで」
子どもたちがもめ事や大事な選択を迫られたとき、いつも玲はこの〈たら、れば、ゲーム〉を提案した。
「いいから、聞きなさい。じゃぁ…『もし、パパとママが出会わなかったら』?」
玲は優しく問いかけた。
「今の暮らしはない」
「そうね。それどころか羽子とふたりきりでアパート暮らしをしていたかもしれないわね」
「それはないでしょ。御門の大パパが許さない」
玲の子どもたちはみな、玲の父親を「大パパ」と呼んでいた。
「それは解らなくてよ? 羽子の知ってる大パパとは違って、昔はもっと頭が固くて、人の話をまともに聞かない人だったから」
「へぇ…あたしはいつも笑ってる大パパしか知らない…」
「私はそちらの方が不思議」
ふたりは顔を見合わせて笑った。
「そうね。ママはもしかしたら御門の家に連れ戻されて、別のお金持ちと結婚させられたかもしれないわね。それはそれで違うしあわせがあったかもしれないけれど…そうしたら、あなたの兄弟は今と違ったかもしれないわね。そして、瑶平くんにも会えなかった」
「それはいや…」
「じゃぁ『もしパパが今のパパじゃなかったら』?」
「今の高校に通わなかったかもしれないし。そこにも、瑶ちゃんはいない…」
マグカップを両手に持ち、正面を向いたまま羽子が静かに言った。
「じゃぁ、もともと『瑶平くんとの出会いがなかったら』?」
「それでもやっぱり、どこかで出会うと思う。それが運命でしょ」
いつもの調子が戻ったのか、ついと玲を見上げる。
「やだ、かわいらしいこと言うわね」
「あたし、かわいいもん」
(ま…。だれに似たのかしら、その自信)
「ほら、いつものあなたに戻った」
ようやっと落ち着いた娘の髪をなでてやる。
「うん。…もしママが、あたしの本当のパパに会わなかったら?」
「それは私にはあり得ないわ。私は自分の選んだ道に後悔はしていないもの。必ずそこを通ったはずよ」
「それなら、あたしも同じよ。あたしはママの子だもん」
「そうね。なら、もうぐずぐず言うのはやめなさい。自分の心に従ってその時を待つの。本当に運命なら、あなたが望まない結果にはならないでしょう?」
「運命じゃなかったら?」
「自分を信じるだけよ」
「…ママってすごいね」
「えぇ。知っているわ」
「そういうとこだよね」
そう言って羽子はやっと普段の笑顔を取り戻した。
「解ってるわ。あなたは不安なのよね。ただ恋をしていただけだと思ったら、いきなりママになるのですもの」
そう言って玲は、羽子の肩を抱き寄せる。
「ママは怖くなかった?」
「ママはこの世の中で『手に入らないものはない』環境で育ったのよ? 女であることの悦びも痛みも、全部…ママが手放すと思う?」
「強いね」
「そう思わなければ『もったいない』ってことよ」
(でも、おばあちゃんになるのは…もっと先でもよかったかしら、ね)
複雑な母心を噛み締め、玲はこれから先の人生を思うのだった。
「ね、ママ。あたしのお父さんの話を聞かせて…」
「あなたの父親は、水本よ」
即座に答える玲。
「そうじゃなくて、」
本当の…羽子がそう言いたいことは解っていた。育ての親ではなく、実の父親の話が聞きたいのだ…と。だが、
「羽子。あなたは確かに水本の血はひいてはいないわ。だからこそ、瑶平くんとも出会えた…」
「わかってる…よ」
瞬間、羽子はしゅんとする。
「パパほどあなたを愛している父親はいないのよ、それは解っているわよね。でも…。ママの初恋の話なら、パパに内緒で聞かせてあげてもよくてよ」
横目で羽子を見、口の端を小さく上げた。
「え。ぁ…ママ」
子どもの笑顔は何物にも代えがたいものだ。

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「爪切りが済んだら終わりだから」
つかさはカフェスペースにいる織瀬(おりせ)に声を掛け、
「うん。ありがと」
返事を待って自分もコーヒーを求めて壁際に立った。
「おりちゃんは?」
「あたしはいいや」
コーヒーサーバーで〈カフェモカ〉を入れ、次の予約まで時間があるのか、赤いソファに腰かける織瀬の隣に座り込んだ。
「毎年クリスマスはそれぞれだったけど…おりちゃん、今年はどうするの?」
この日は織瀬の固定給の水曜日だった。開店以来初めての来店となる〈ちょきん〉のトリミングに出掛けて来た織瀬は、先週末に会ったときより幾分元気そうに見えた。
あの日は突然の「養子受入」宣言と「離婚」の意志と、爆弾発言をしたわりには…いやそうしたからこそ元気そうに見えるのだろうかと、つかさの中では問いただしたい問題が悶々としていた。だが、トリミングで来店した織瀬にそんな質問を投げかけられるはずもなく、ただ当然のことながら旦那様とのクリスマスディナーの予定はいないだろう…と、差支えのない事案を繰り出した。
「そう、だね。考えてなかった…」
無理もない答えだ。自分の人生が、たったわずかな期間で考えてもみない方向に覆ったのだ。
「でも今年は、な~んにもしないでゆっくりしたいかな」
「まぁ、そうだよね」
それは織瀬の正直な気持ちだろう。
「…出掛ける気はない? 仕事の方ははどうなの?」
くしくも〈披露宴〉やその他イベントの類の会場を提供する会社に所属している織瀬には、やはりこの時期は忙しいだろうか…と気遣う。
「普通に仕事だよ。今年は年末もギリギリまでイベントが入ってるんだ。年明けにまとまった休みを取ろうと思ってるから、いつもよりは忙しいかな。なんで?」
「もし予定がないなら、週末に一緒に食事でもどうかな~と思って。クリスマスディナーってわけじゃないけど。無理そう?」
「そんなことないよ。今年はイブが月曜日だし、仏滅だからそれほど忙しくはないのよ。土曜日の1件だけ。それに手術のあとから内勤にしてもらってるから、そこまで煽られることもないんだよね」
「そうなんだ。じゃぁさ、じゃぁってこともないけど、あたしも特別なにも予定してないから、一緒に飲みに行かない? あ、飲まなくてもいいんだけど…久しぶりに」
「ぅん…いいけど」
わざとらしくないだろうか…と懸念しながら、そしておそらく、織瀬は『kyss(シュス)』に行くことを敬遠しているのではないだろうか…と思われた。
「少し前にね、おもしろいバー見つけたんだ。見つけたっていうか、圭ちゃんに連れてってもらったんだけどね。そこのバーテンダーが…」
と、そこまで言いかけ、自分が圭慈に騙されたことを思い出す。
「とにかく、気分替えてさ。たまには違う空気吸いに行こう」
少し強引だろうか…だが、提案しながら気づいたことには、自分としてもひとりになって初めて迎えるクリスマスに「なにもない」のはさみしいと思ったのだ。
「いいけど、つかさ。彼と予定とかないの?」
つかさは一瞬虚を突かれたような顔をし、
「それなんだけど、別に『彼』ってわけでもなくなったんだよね」
そのまま正直な答えを発した。
「なくなった?」
「う~ん。最初から『彼氏』ってわけでもなかったけど、いろいろ解ったことがあって。あ、お互いね」
「そうなの?」
「うん。その辺の積もる話もあるしさ、ね?」
どうにもせっついているようで居心地の悪いつかさだったが、そこは考えないことにした。
「…わかった」
「無理してない? いやだったら…」
「つかさ、気を遣いすぎ」
くすくすと織瀬が笑った。
「あぁ、そうか。じゃ土曜と、日曜、どっちがいい? あ~でもあそこ、日曜は休みかも…確認しないと」
「土曜でいいよ。多分定時で帰れるはずだから」
「じゃぁさ、千蚊石(ちかいし)駅の東口通路で待ち合わせにしない? 駅からそうかからないところなんだ」
「千蚊石ね、あまり行ったことないけど…OK。でも、この時期だし、土曜じゃ混雑してるんじゃないの?」
クリスマスシーズンに、予約もなしに店に入れるのだろうか…と訝しむ。
「多分、平気だと思う」
予約こそしてはいなかったが、なんとなくそう思うつかさだった。
「店長。仕上がりました~」
店の方から声が掛かる。
「はーい。…終わったみたい」
返事を合図に、ふたりはソファから立ち上がった。
「じゃぁ、土曜に」
「うん。お世話様」

クリスマス

そしてその週の土曜日・・・・12月22日。
その日はあいにくの雨だった。
「なんだか、いやな天気になっちゃったね」
先に改札に来ていた織瀬を認め、つかさが声を掛けた。
「雪になるのかな?」
傘ごしに空を見上げて織瀬が言った。
「そうだね…そうなったら素敵! イブじゃないけど」
つかさは道すがら、自分と圭慈との関係をどう話したものかと考えあぐねていた。さすがに全部正直に話すには、織瀬には刺激が強すぎるだろうか。
「この前、店に来てもらったあとね、お店に電話して今日のこと伝えたの。そしたら貸し切りにしてくれるって」
「え!? そんな…?」
そこは、つかさ本人も驚くところではあったが、
「うん。そういうところなんだよ。お店の人はひとりだけでね。ちょっとクリスマスっぽくケーキとか用意してくれるって言ってた。お腹空いてるよね?」
どうも営業目的が他とは違うようなのだ。
「うん。食べてないけど…なんだか、急に緊張してきた」
「あはは。カウンターしかないからそんなに広い店でもないし、落ち着いた店だよ」
「なんて店?」
「え~とね…『persona(ぺるそな)』だって。実はあたしもね、電話するまで名前知らなかったんだよね」
「え? なんで?」
「ほら、圭ちゃんに連れてってもらったって言ったじゃない? 電話番号教えてもらったときにはじめて店の名前知った」
「つかさらしい」
「だよね。たまにそういうことある」
「たまに?」
「あ~いつもかもね」
「ふふっ…。そんなことないよ。でも、お店の名前聞かずに行ったの?」
「あ、最初? ん~その日はちょっと、お店につくまで考え事してたから、お店の名前まで覚える余裕がなかったんだよね」
「ふ~ん」
「ここだよ」
話し込んでいるうちに見逃しそうな、通りからは少し窪んだ位置にあるこじんまりとしたバーを指さした。
「うっかりすると見逃がしちゃう…」
「ホントだね」
今日はしっかりと木製の扉に打ち付けてある鉄製の看板を見逃さずに扉を開けるつかさ。
「いらっしゃいませ…」
少し高いキーのハスキーボイスが迎えてくれる。
ここへ来るのは2度目だったが、つかさは既に心地よさを感じていた。織瀬はどんな反応をするだろう…と、心持ち楽しみながら、
「こんばんは…」
相変わらず綺麗な京谷に挨拶をする。
店内は以前訪れたときより少し灯りが落とされていて、しゃらしゃらとオルゴールのクリスマスソングが流れていた。カウンター席だけの狭い空間がますます凝縮されているように感じるのは、カウンターに並べられたキャンドルのせいかもしれない。
キョロキョロと店内を眺めながら織瀬が後に続く。
「こんばんは…」
恐る恐る声を発する織瀬。
「いらっしゃいませ…」
にこりと京谷が微笑めば、
「え? 男の人…?」
と、これまたお約束の言葉が飛び出した。
「そう! きれいでしょう、この人」
思わず出た言葉だった。
「うん。この灯りのせい? ぅぅん、違うよね、お肌もつるつるだぁ…」
少し、ぽやんとする織瀬に、
「あは。あたしもね、最初見たとき超~びっくりした。それで、圭ちゃんに大笑いされたの。でも…今日は一段とかわいいね」
「そうですか?」
なぜなら、京谷はトナカイの角のカチューシャをつけていた。
「つかささんたちの分もありますよ」
「まぢ? ウケるんだけど…。そういうタイプとは思わなかった」
「今夜は女子会ですから」
ふふふ…と、本当に上品に笑う。
「おりちゃん、こちら京谷さん。京谷さん、こちら私のお友だちの織瀬さん」
「織瀬さん。キレイな名前ですね…」
「そんなこと、ないです」
なぜか照れてしまう。
「お飲み物はなににいたしましょう…?」
お掛け下さい…と、言いながら京谷は猫耳のカチューシャを取り出した。
「かわいい~♬ でもなんで猫?」
「トナカイだと期間限定なんで、猫にしました。プレゼントしますんで、お持ち帰りください」
「ふふ…こんなのもらうと楽しくなるね」
言いながらつかさは猫耳カチューシャをつける。
「うん。パーティー感でるね」
「あたしはワイン下さい。おりちゃんは?」
「あたしは…ジンベースのお酒をください」
「かしこまりました」
「しかし京谷さん、さすがというべき? 女子力高いね」
言いながら自分たちの前に置かれたキャンドルを見る。キレイな赤とエメラルドグリーンの水が入った丸いボウル状のガラスの器が交互に置かれていて、そこに球体のキャンドルが浮かべられていた。
「ホント、すてき~」
「頑張りました」
少し照れたように答える。
「ずっと眺めていられるね」
織瀬もすっかり馴染んだようだった。
「こんなことしてくれる彼がいたら最高だね」
「うん。…ぇ、京谷さん、彼女は」
ワイングラスを受け取りながらつかさは、言ってしまって「ひょっとして地雷を踏んだか」と一瞬戸惑う。しかし、
「いますよ、彼女。…彼氏もいますけどね」
京谷はさらりとすごいことを言う。
「え!?」
「僕、バイセクシャルなんで…」
シェーカーを振りながら照れ笑いをする。
「へぇ…」
ちょっと言葉が出ない。
一瞬、その彼氏は圭ちゃん?…と浮かぶつかさだったが、先日「ちがいます」と言っていたことを思い出す。
「ただものじゃないと思ってたけど…。この雰囲気に騙されそうだよ」
そういってつかさが織瀬を見ると、 
「でも、なんだか…どっちもありそうだね」
意外に織瀬はすんなりと受け入れたようだった。だがすぐに「やっぱり、雰囲気に騙されてる?」と言って笑った。
「ホワイトレディです」
織瀬の前に白い雪のようなカクテルが差し出される。
「ありがとうございます」
「でも、騙されるよね?…ひゃ~来るたび驚かされる。てか京谷さん、お歳はいくつなの?」
まったく想像ができない…とつかさが問う。
「それはナイショです。…でも、そんなに若くもないです」
「え~全然想像つかない。なんだかいろいろ謎だわ~」
だがつかさは、圭慈がここに通ってくる意味が解ったような気がした。
「じゃ、乾杯しましょうか…」
「は~い」
3人はそれぞれのグラスを持ち上げ、
「お肉もケーキも準備しましたからね、明日のことは考えずに楽しんでください」
京谷の言葉に顔を見合わせ、満面の笑みで答えた。

メリークリスマス!

その夜は結局、話したいことはそっちのけで楽しい時間を過ごした。


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まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します