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想いでにゆすられて

ここは母方の祖母の家。
母の姉妹とその子どもである私たちは、泊りに行くといつも一番奥のカビ臭い部屋に布団を敷いて寝ていた。
欄間には時代を感じさせる黒縁の遺影が並び、その中で強張った顔をしてこちらを見ている人たちは、なにかの気まぐれが起きればぬっ…と出てきそうな気がして、子どもの頃からその部屋は嫌いだった。当然、上を見ることはできなかったし、見られている感も拭えなかった。

ガタガタと噛み合わせの悪い木枠の窓に、風が吹けば外れてしまう差し込み式の鍵。湿気に歪んだ襖は破れ、梁が見えているところもあれば、時代を感じさせる黄ばんだ新聞紙や、東京からやってくるお土産の、有名デパートの包装紙などが無造作に貼り付けてあった。
歩けば畳はふにゃりと凹み、黒塗りで金具のついた和箪笥の下はわずかに沈んで、誰が使っているのかそれが開くのを見ることはなく、風が吹けば隙間風と一緒に、カタカタ、キシキシと、なにかが棲んでいるような音がする。物心つくようになるとそれらは、危険な音に聞こえて、震えるうちに寝落ちして…。


その時、家の中はオレンジ色の裸電球でもなお暗く、まるで停電の蝋燭の炎のような、儚い灯の中にいた。奥の部屋の襖を開けると途端に明るく、日が照っていて、眩しいくらいの夏が覗いた。
一歩前に出ればそこは外で、さっきまでの陰鬱な屋敷内が嘘のように、それが夢なのだと解った。まるで壁を透かして家の外が見えているような、そんな映像が目の前に広がり、とにかく眩しくて、照明を間違えて調節したかのような、目を開けていられないくらいの光で、慣れるとそこは見慣れた家の外の景色で、安堵したのを覚えている。

気づくと、上の方から人だかりが談笑しながら降りてくる。
「じいちゃん!」
思わず声を掛けていた。確かにその人だと確信はあるのに、私の記憶の中にある姿よりも若いのか、健康的で幾分ふっくらしているようにも見えた。
するとその塊の中から飛び出して「姉貴」と、私を呼ぶ声がする。
それを祖父が苦い顔で引き留める。
まるで悪いことをしてしまったあとのように、肩を竦め一歩下がったその人は、私を「姉貴」と呼びながら、私よりも全然年上の、おじさんの風情をしていて、誰かは解らないのに、でも「姉貴」と呼ばれるのが一番自然で、懐かしささえあった。
「じいちゃん、私の息子、13歳になったの」
いいながら私は、隣にいる学生服の男の子を紹介していた。学生服で丸坊主であることに疑問を感じることなく、私の「息子」という言葉で湧いて出て来た彼を、だが当時の私に息子など、まして結婚すらしてもいなかった。なのに「息子」であることに間違いはなく、祖父に紹介できることを心から喜び、嬉々として笑顔を傾けた。
「おまえはここに来ちゃいけない」
祖父は息子に一瞬の優しい目をむけながらも、厳しい顔で私にそういい、早く「元の部屋に戻れ」と促した。

わけが解らなくても、本能的に、それには従わねばならないと胸に迫るものがあり、部屋に一歩戻ると、また暗闇に逆戻りしていた。そして彼もいなくなっていた。

目が覚めて、今のはなんだったのかと考える。久しぶりに母の実家を訪れ、妙な夢を見たと思うだけだった。
現在、母の実家はすっかりとリフォームされ、カビ臭い襖も取り払われて、オレンジ色の裸電球でもなければ、あの黒々としていた和箪笥もない。隙間の空いた木枠の窓もサッシに変わっている。そもそもこの家に寝泊まりする習慣さえ既にないのだ。転寝でもしていたのだろうか、それとも白昼夢だったのか。
「ねえ、じいちゃんて太ってた?」
リビングに飾られている黒縁の中は、紋付き袴の細身の老人だ。だが、明らかに彼だと言わしめるのは、ぎゅっ…と力の込められたあの厳しい目つき。私は母に尋ねながら、そうすると同時に私を「姉貴」と呼んだ人物が誰か理解した。
祖父の隣の黒縁のカラー写真、まだ制服を着ている彼は、数年前、自ら自分の余命を決めた5つ下の従兄弟だった。
「え、成長してた。そんなことあり得るの?」
しかも、祖父に居もしない息子を紹介している。「こっちに来るな」と言われた、あの明るい日差しの中は、見慣れたあの風景は、本当はどこだったのか。


目が覚めた。心臓がドキドキしている。心音が喉の奥まで来ていて動けなかった。ひとまず目だけで確認できるのは、引っ越し間もない新居のベッドの上ということ。
「夢の中で、夢を見た…?」
今の私は自分の実家にすら住んでいない。そして、5歳になる息子がいる。
13歳といったのか…その数字が途端に怖くなった。鮮明に覚えていることもまた恐怖を煽る。まさか、13歳で息子は…!?
連れていかれるのだろうか、と疑った。
あの眩い光の中のあの人たちは、見たことはなくとも、確かに知っている顔ぶれだった。皆が自分の身内だと解る。見たことがなくても知っているのには、全員が墓標に刻まれているだろう人だと想像できるからだ。身震い。急に怖くなって隣の部屋を覗きに行く。2段ベッドの下の段で、息子はすやすやと寝息を立てていた。
安堵するも、それから私の口癖は「お母さんに黙ってどこにもいかないで」になった。13…いやな数字だ。悪い予感は、ない。だが、用心に越したことはないと思った。
学生服に丸坊主。今どきそんな中学生はいない。早く、13歳が過ぎればいいのにと願うばかりだ。

まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します