納得感と合理性

お世話になっている人が、統治における二つの「正しさ」の話をしていた。

一つが「みんなで決めたこと」、もう一つが「論理的に正しいこと」。正しさが前者に依拠しているのは政治家で、後者は官僚だ。そして、納得感は往々にして、合理性が高いと思われる意思決定を、みんなが代表と認めた人が行うことで初めて得られる。

だから、国民に痛みを強いるけど合理的に考えたらどうしても必要な意思決定について納得感を得るのは政治家の仕事であり、それを官僚に任せるべきではない(そもそも官僚の仕事ではない)、というのが彼の説明だった。とてもしっくりくる説明だった。今の日本の財政を見る限り、厳しい意思決定は避けようがないと僕は思っていて、それを行うのは官僚ではなく政治家であるべきだ。

そして、比較的合理性が重視されるビジネスにおいても、どうしても合理的な判断の積み重ねだけでは得られない合意形成はあって、それは皆が納得するプロセスで皆が認めた責任者が「こっちの方向にしよう」と決めることでようやく合意に至ることができる。

ソクラテスが聞いたら失望しそうな話ではあるけど、人間から感情を完全に取り除くことはできないので、どうしても「あなたが言うのなら」という合意形成は存在し続けるんだろう。







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