自分の世界に対する態度が、世界の見え方を決めている

先日読んだHumankind:A Hopeful History(まだ翻訳は出ていない)がとても良い本だったので、ちょっと書いてみる。

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人間はそもそも社会的な動物であり、協力するようにできている。だからこそホモ・サピエンスは他のヒトと違って氷河期を生き残ることができた。災害が起きたときなども、多くの人々は極めて協力的になる。東日本に当時いた人であれば、震災時に大勢の人が助けあったことを覚えている。ニュースは一部の特殊事例を扱っているだけだ。

だけど、何らかの拍子で他人なんて信用できないと思うことがある。それは誰かにひどい目に遭わされた原体験のせいかもしれないし、孤独を味わう立場にいるからかもしれない。あくまでも個人的な経験論だけど、自己肯定感の高さと他人を信頼できる程度は比例しているように思う。

困ったことに、他人なんて信用できない、どうせ悪いことになると決まっていると思う人ほど、実際にそういう自体に直面する。

そのメカニズムは簡単だ。「この人から信用されていないな」と僕たちが感じたとしよう。そのとき、僕たちはその人に報いようとは思えないし、害意を持たなかったとしても一生懸命に働こうとは思えないので、パフォーマンスは下がる。そして、「人は信用できない」と思っている人は、「ほら見たことか」と確信を深めていく。天に唾して、唾が戻ってきて、「ほら、世界はひどい場所だ」と言っているのに近い。悲しいことだ。

もちろん、相手を信頼していれば常に良いことに遭遇する、といっている訳ではない。ここで話しているのはあくまで確率の話だ。

どうやったら不信の連鎖を断ち切れるのだろう、ということを時々考える。社会レベルで変革する仕組みはあまり思い浮かばないのだけど、自分に対して酷い仕打ちをしてくる人や、自分を明らかに信用していない人に対して、できる限り誠実に対応する他ないのかもしれない。


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