見出し画像

東洋経済の本の広告について(最後)

カンボジアは今が一番暑い時期で、今週は毎日35度以上。首都プノンペンは車の混雑とアスファルトが吸収した太陽の熱で、立っているだけで汗が吹き出す。冷房をつけずに眠っていると、朝起きる頃には汗をかきすぎて身体が脱水症状気味になっているレベル。

現地ではやることがいっぱいあり、本件の顛末について書くのが遅れてしまった。

前回の、「東洋経済の本の広告について(続き)」を書いたその日に、東洋経済の担当編集の齋藤さまと出版局長の山﨑さまが職場にいらした。そのときの主なお話の内容は次の通り(多分このブログを読んでいる齋藤さん、もし誤りがあったらご指摘ください)。

齋藤さん:「今回は私の落ち度。実は慎さんにお見せする前に販売部と広告についてやりとりをしていました。当初の広告はよりキツイ表現のもので、慎さんはこれは好まないだろうと思って押し返して、現状の形になりました。

慎さんにファイルを送った次の日が広告の入稿日でした。そもそも翌日が入稿日なのであればそれをきちんと話すべきなのに、それを怠っていたのは自分の責任です。なお、入稿日以降に広告内容を変更するのは可能なことではありますが、入稿した広告を改めて差し替えるというプロセスは弊社には存在していませんでした。これまでも、一度もそういうことを行ったことはありません。

慎さんは、『自分が大先生ではないからこのような扱いになったのだろう』と話されていたが、決してそうではないということを信じて頂ければと思います。仮に相手がどのような人であっても、私は同様の過ちをおかしていたことだろうと思います」


山﨑さん:「身内をかばうわけではないが、雑誌Think!で取材させて頂いたときから齋藤は慎さんのファンであり、この言葉を信じて頂ければと思います」


慎:「事情理解しました。しかしながら、広告のメールを頂いた次の日が入稿日とは一切聞いていませんでしたし、やはりそれはショックです。予想通り今回の広告では悪影響が出てしまっているようです。

ただ、こういった事態が生じうることはそもそも本のタイトルや『エクセルニンジャ』という単語を選択した時点で予想するべきことであったと反省しています。出版社側にとって本を売ることは大切なことですし、私もビジネスの世界にいる人間としてそれを否定するつもりは全くありません。ただし、今後は自分自身が気をつけないといけないと改めて思いました。」


山﨑さん:「改めて申し上げたいのは、私たちには決して慎さんを貶めようといった意図があった訳ではなく、この本が世に広まることを願って広告を作っていたということです。プロフェッショナルとしての仕事についての想像が足りず、行き過ぎであったことについては反省しています。

私たちもこの本が出版される前は、一部の人たちだけが読むものだと思っていました。しかし、出版されてみると、この本は予想以上に多くの人の手に取られることになり、類書が無いことから社会に大きなインパクトをもたらしています。私たちとしては、本書を引き続き売る努力をしていきたいと考えており、それを許して頂けますでしょうか。」


慎:「もちろん売るための努力をして頂いていることには感謝しています。私が申し上げたかったのはその方向です。もう起こったことは仕方がないので、二つお願いをしたいと思います。一つは、今後広告を出すような場合には、全てきちんとレビューをさせて頂くということ。できれば前に日経新聞に出したのと同じサイズの広告を出して頂ければと思っています。それ以外に、前の広告の影響をかき消す方法が思いつかないためです。もう一つは、本の帯に一部修正をさせて頂ければと思うこと。内容についてはまた別途お知らせします」


山﨑さん:「日経にあのサイズの広告が載せられるかについては、予算もあり紙面のタイミングもあり、確定的なことは申し上げられないのをご容赦ください。実は今度電車広告を準備しています。ドアの隣に貼っているものです。これを来週から都内の私鉄等(慎注:どの電車か忘れました)に設置しようと思っています。これについては、レビューをしっかりと受けてから入稿しようと考えています」


慎:「承知しました。レビューさせてください。」


山﨑さん:「それと、一つ差し出がましいとは思いながら、申し上げたいことがあります。」


慎:「なんでしょうか」


山﨑さん:「『まっとうな職業人であればあるほど本なんか書かないことが多いし、一部を除いて、本をたくさん書いている人はその分野の人たちからすればよくて1.1流。特に専門職であればあるほどそう。』と慎さんはブログでお書きになりました。これを読まれたら、他に本を書いているプロフェッショナルの方々が気を悪くされると思います。すでに書かれてしまったことではありますが、そのような発言は今後はされないほうが良いと思います。」


慎:「しかしながら、これは実際問題としてそうであると思います。例外はありますが、プロフェッショナルの業界の人が本を書くと『ああ、そっちの世界に行ったのね』と思われることが非常に多いのは事実です」


山﨑さん:「そう仰いますが、中には本当のプロの方々もいらっしゃいますし、私どもはそのような先生方を心から尊敬して一緒に仕事をさせて頂いております」


慎:「確かに言い過ぎたかもしれません。では、こちらは訂正させて頂きます」


お二人がお帰りになったあと数時間してから、僕が心から尊敬している横山禎徳さんが一般向けの本を書いていることを思い出し、なるほど確かにご指摘その通りだと思った。僕は何かに気づくのがいつも少し遅い。あの場できちんとお詫びができたら良かったのだけど、山﨑さんに改めてお詫びと感謝をお伝えした。

よくよく考えてみたのだけど、一般向けの本を書くことそのものが、プロフェッショナルでなくなることではないのだろう。ポイントは本を書くということに対する姿勢や意識にある。その本が売名や金儲けなどを目的にしたものなのか、社会的意義や自分の職業人精神に照らしあわせて書くべきと心から信じるものなのか。妥協せず、いいものを作っていきたい。売れるかどうかは別の話。

何度でも言うけれど、タイトルや帯はさておき、「外資系金融のExcel作成術」は、この本を読むことによって助かる人が相当人数(当初見積もり最大数千人)いるという確信をもって書いた。この本の内容を「当たり前」と思う人は業界で3年以上過ごして真面目にExcelをやってきた人には多いだろう。だけど、そうでない人は一定数いて、その人のための本は世の中に無かったから、書いた。本を書いたことには一点の迷いもない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?