インドに入るまでの話

もう一段落着いたので、一連の出来事について書いておきたい。

前にも少し書いたけど、いまGlobal Governance Futures 2025というプログラムのフェローになっていて、インターネットガバナンスの2025年までのシナリオを添えた政策提言レポートを書いている。ベルリン、東京/北京ときて、今回はデリー。最後は5月にワシントンDCだ。最初の頃はインターネットガバナンスとはなんじゃらほい、という状態だったのだけど、今となっては、五常で僕が習得しなければいけない能力とぴったり合致してすごくラッキーだった。

パスポートを持っていないので、まあ長めに時間がかかるだろうと思い、今年の早々には一度ビザの出願を出した。インドのエキスパートとなりつつあるNが僕の代わりに手続きを進めてくれた。

年明け早々(インドのビザセンターはインドの祝祭日に合わせて営業しているので、1月2日からやっている)に、Nから電話がかかってきた。

「慎さん、いまビザセンターにいるんですが、ビザは出してくれないそうです。6ヶ月かけて次のプロセスに進めてもいいけど、それで出る確率は1%とのこと」

「なんじゃそりゃ。どうしてそうなったの?」

「ほとんど説明はないです。パスポートが無いのならビザは出ない、という回答しかされませんでした」

こういうことで人にお願いごとをするのは本当に嫌なのだけど、このプログラムの主催団体の人たちにすぐに連絡して助けを求める。時間も無かったので、本来は一つ一つのチャネルをたどるべきところを、4方面から同時に要請やらレターやらを出してもらい、結果としてビザセンターで再度手続きを進めることになった。心から感謝。

で、改めて自分でビザセンターに行ってビザ申請をしたのだけど、その手続きの厳しさにびっくり。まず申請をするには、ウェブサイトに必要情報を打ち込んで(しかも、サーバーが弱いのかとても遅い)、それを印刷してビザセンターに持ち込まないといけない。そして、写真の背景色、スペルミス、出身地の都道府県の記載漏れなどが一つも許されず、間違いが一つでもあると情報打ち込み→印刷→並んで待つをやり直すことになる。

間違いの指摘は一度に2〜3箇所しかしてもらえないので、何度も何度も書き直して持っていく。それでも僕はPCを持ち歩いているので、家に戻るとか近くのネットカフェに行くといった面倒は経験せずに済んだのだけど。極めつけは、一部のプリンタではそもそも表示されない隅っこ(ページ端から4ミリくらい)に小さく表示されている自分の名前が切れていたからやり直し、というものだった。この非効率さは、大使館からビザ業務をアウトソースされているビザセンターの陰謀(わざと忙しくする)なのではないかと疑わせるほどのものだった。

とはいえ、ビザは無事に出発前日に出た。こんなに苦労して取得したビザは始めてだ。成田からインドに向かう。

そして今度はデリー空港のImmigrationコントロール。ビザを得るまでのプロセスを見るからに、多分無事には済まないだろうなあと思いながら、そこに向かう。

果たして予感は的中。まず、自分の立っている列が全く進まない。一人ひとりの入国審査にとんでもない時間をかけているようだ。更に、並んでいる列に横入りしてくる人まで出てくる始末。窓口に辿り着くまで30分待った。読書していたので苦ではなかったけれども。

で、自分の順番がようやくやってきた。窓口の職員はこう言う。

「これは初めて見る書類だな。ボスに確認が必要だから、その列に立って待っててくれ」

素直に指示に従って、また本を読む(ちなみに、新しい国に行くときにはその国の本を読むことにしているので、このとき読んでいたのはバガヴァッド・ギーター)。20分ほど経って、まだかなと顔を上げると、窓口に座っている職員が変わっていた。ボスを呼びにどこかに行ったのかと思ったけど、結局彼は戻ってこなかった。

振り出しに戻る。そして、またもう一度一から説明し、待たされる。次の人も受け付けるのが嫌なようだ。結果、また振り出しに戻った。

3人目の職員が僕の書類を見る頃には、Immigration Controlには誰もいなくなっていた。彼は書類を一瞥しただけで、ポンポンとハンコを押して僕を通した。何だったのだろう、いったい。でも、入れたからよかった。読書も進んだし。

結局90分以上経ってからようやく空港を出ることができた。出口には、ずっと僕を待ってくれていたSanjayがウロウロと熊のように歩き回っていた。待たせて申し訳ないなあと思いつつ、知っている顔をみてホッと安堵の息をついた。


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