国民性と多様性と競争力

最近4カ国に深く関わるようになって思うのだけど、どんな社会や国にも暗い部分やいびつな部分はあって、そしてそれはだいたい良い点や長所の裏返しになっている。これこそ「国民性」というやつで、個人における性格と似たように変えようがない。日本のそれはずっと見てきたけど、今はカンボジア、ミャンマー、スリランカでもそういうのが結構見えてきた。

国民性における長所が活きて発展する時代もあれば、短所が理由で極端に落ち込む時代もある。なぜそうなるかというと、国民性は往々にして組織の行動様式の根底をなし、当該行動様式が勝ちパターンになりやすいかどうかは時代によって異なるからだ。

オーナー企業のように個人(当然だけど国民性からみた外れ値の性質を持つ個人はたくさん存在する)が大きな影響力を持つ会社はさておき、集団の意思決定で経営をするような組織が当該国民のみで運営される場合、往々にしてその組織は国民性に根付いた行動様式を示す。例えばいま日本で表出している大組織(行政組織や大学法人も含めて)の不祥事って、極めて日本的な感じがしている。

当該行動様式が勝ちパターンになりやすいかどうかは、その時代の技術的な状況や経済発展の段階によって決まるように思う。明治維新後の日本がだいたい40年周期で興亡を繰り返しているのはそのことと無縁ではないように思っている。

これまで長所であった国民性が仇となってダウントレンドに入った場合(日本はいまそんな状態にある気がしている)、状況を変えるのは社会の多様性を高めること以外にあまり無いのではないかと思っている。というのも、組織における多様性は、ある組織が時代に合わせてベストな行動様式を調整することができる可能性を高めてくれるからだ。

時代が変わると活躍する人材も変わる。多様性が大きな組織や社会であれば、時代の流れが変わったタイミングでもうまくピボットできる可能性が高まる。全員が同じような性別・社会階層・学歴・人種・国籍・母語・宗教を持つような組織だと色々辛いだろう。

明らかにダウントレンドに入っている日本の国家競争戦略における最重要テーマは、多様性を高めることなんじゃないかな。

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