ディスラプションの行き着く先

川鍋さんのインタビューに厳しいコメントが集まっていたNewsPicksで久しぶりにコメントを書いた。最近の個人的な問題意識の一つだったので。
https://newspicks.com/news/2878944?ref=notification

今後は、今以上に様々な分野で機械(ロボット)が人間労働を代替していく。少人数の人間&機械で、全人類を食べさせていくことが可能となる。ただし、無限に増え続けようとする資本の論理は変わらないので、企業活動はすべての人が餓死しない社会が実現してもより活発になっていく。

非常に乱暴に分けると、経済人はだいたい三種類になっている。
A. 課題設定をする起業家や経営者など
B. その課題を解くことに従事する高機能人材たち(弁護士・会計士・投資銀行・戦略コンサル、など)
C. 導かれた解の実施に従事する人々(比較的単純な知的労働、事務労働、単純労働に従事する人々など)

これから5〜10年で何が起きるかというと、Cの仕事は相当数失われるし(ホスピタリティ系はまだ残ると思う)、Bの人々の仕事も一部が機械に代替されていく(例えば弁護士業務の一部はAIに代替されてきている)。Aの経営者の仕事だってある程度までは例外ではないかもしれない。そして、その効率化によって作り出される富のほとんどをAの人々が持っていき、Bの人たちもその分け前に預かる。

ちょっと前に田端信太郎さんが「誰か、高額納税者党を作ってほしい。少数派を多数派が弾圧する衆愚主義じゃないか」と言っていて軽く炎上したようだけど、彼が口を滑らせただけで、同じことを言っている人を僕は時々見かける。

仕事にあぶれる人が増えた国でベーシックインカムが浸透していくと、富を作り出す人々の一部はこんなことを言い出すかもしれない。

「あなたたちは私たちが払っている税金で食べさせてもらっているんだ。そのお金でギャンブルとはけしからん」
「あなた達は働かないでいいんだよ。そういった問題は賢い私たちが担当するから任せてくれ」
「あなたたちの子どもが努力しないがゆえに将来に不利益を被るのは自己責任であり、怠惰の対価を享受すべきだ」

バイオサイエンスも発達していくので、特権階層にある人々は自分を改造しはじめるだろう。病気しにくい身体や冴える脳をつくっていく人もいるはずだ。身体の悪いパーツだって取り替え続けられて、いつまでも若いままの人がいるようになる。遺伝子操作をして、病気になりにくく、強い肉体を持ち、賢い子どもをつくる人も現れるだろう。

そうやって自己を改造していく人々と、特に何もしていない人々が、そもそも同じ人類なのかという議論すら発生しかねない。ホモ・サピエンスが他のヒトを滅ぼしたようなことがまた起こらないとよいけれども。民主主義だっていつまで維持されるか分からない。興味がある人はHomodeusとかを読んでみたらいい。

僕だって効率的なもの、便利なものがどちらかというと好きだ。だけど、そうやって全ての物事をより効率的なもの、便利なものにしていくと、僕たちや僕たちの子どもが暮らす社会はどこに行き着くのだろう。テクノロジーやイノベーションが大好きな人々の多くが、その数多くのディスラプションの先にやってくる世界が楽園のように思っているように見えるが、本当にそうなのだろうか。僕なんかからすると、それは結構なディストピアに思える。

僕は一部の人が我が物顔で闊歩してその他大勢が日陰者になる社会より、大勢の人が働いてお金を稼いで場末の飲み屋でグダグダやっている社会のほうが好きだな。そして、この既存業態破壊の濁流の中で、そういった社会を維持していくためにはどうしたら良いのかということを時々考える。まあ、僕の仕事だって、一部ではピープルビジネスだけど、一部ではテクノロジーによる効率化を進めているわけなのだけれど。

ちなみに、ここまでに書いた個人的な妄想は、人間とは働いてお金を稼ぐ(稼いできた)ことや誰かの役に立つ(立ってきた)ことに生き甲斐や自己肯定感を見出す存在であるという僕の個人的な確信に基づいている。そもそもその前提が間違っているかもしれないし、だとしたらそれは僕にとっては嬉しい誤りでもある。

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