あいちトリエンナーレ感想

1日で回るという超絶強行軍であいちトリエンナーレに行ってきた。単なる感想文で、僕は別にアートに強いわけでもないので、単なる放言であることをご理解頂きたい。

豊田市美術館

名古屋からかなり遠い。1時間くらいかかる上に、行きはタクシーが使えるけど、帰りはタクシーも見つからないので急いでいたこともあって駅まで歩いたら汗が滝のように流れた。

そもそもこの美術館が谷口吉生の代表的な建築でもある。法隆寺宝物館もそうなのだけど、池とソリッドな建築がただただ美しい。建築から25年が経ったとは思えないクオリティ。

このエリアで最も記憶にのこった作品は高峰格のプールを壁にした作品。大きさというのは理屈抜きに人を圧倒する。学校のプールは基本的に懐かしく優しい思い出が詰まっている場合が多いと思うのだけど、その壁を無理やり屹立させる。高さはトランプがメキシコとの国境に立てた壁と同じ高さ。暴力的で強烈な分断。

あと、スタジオドリフトの作ったレース付きのランプの作品にもなんともいいえない可愛さと優雅さがあった。一番最初に目に入った作品というのもあるのだろうけど、かなり記憶に残っている。

豊田市美術館では先日東京で見たクリムト展もやっていた。ある程度混んではいたものの、東京のような絶望的な混み方じゃなかったので(平日朝一番で行って20分待ちとかになる)、あいちトリエンナーレに合わせてこっちで見たら良かったな。。

あと、すっごくくだらないことを書くと、人生初の豊田市、車は全部トヨタ車かと思っていたら意外とそうでもなかった。

愛知芸術文化センター

名古屋に戻り、展示を見る。この愛知県の美術館が展示の規模としては最大。印象に残ったものをいくつか。

孤独のボキャブラリー、ウーゴ・ロンディノーネ
ポスターにもよく出てくる、ピエロたちが大部屋に座ったり寝そべったりしている作品。一つ一つの造形が違っていてしかも頭蓋骨部分以外やけにリアルなので、本物の人間がやっているのではないかと錯覚する出来。本作品もやっぱり、スケール感で人目を引く作品だったし、かつインスタ映えするから人気だったんだろう。

60分間の笑顔、アンナ・ヴィット
ただただ映像の前で8人組がずっと笑い顔をしている作品。こんな長い時間笑い顔をするのなんて基本的に不可能なので、途中から表情が意味のわからない感じになっていく。現代社会の世知辛さを皮肉っぽく感じさせてくれる。

「tsurugi」「peak」、今村洋平
4番目に印象に残った作品。薄いシルクスクリーンをひたすら積み上げて山のような作品を作る。単純なことの積み重ねなのだけど、ものすごい労力がかかっている、狂気じみた作品。何ていうんだろう、「好き」という漢字を1万回書いて大きな「好き」という字を作っているみたいな狂気を感じさせる。

日常演習、袁廣鳴
個人的には第3位の作品。まだ中国との緊張関係がある台湾では、定期的に防空演習が行われていて、その時間帯は街にはサイレンが鳴り響き、道路から一切の人がいなくなる。そもそも僕もよく訪れている台北の大きな道路に全く人間も動く車もいない風景があまりにも非現実的すぎて、最初は編集で人間を消したのかと思っていたのだけど、そんなことはなかった。視覚的な驚きから人の関心を引き、同時に事実を僕たちに突きつける。「!」から始まるメッセージは往々にして強い。

43126、タニア・ブルゲラ
個人的にはこれが第二位。展示室に入るまえに手に押されるスタンプの数字は2019年に無事に国外に脱出した難民と、それが出来ずに亡くなった人の合計。そのスタンプの意味をいぶかりながら入った部屋にはメントールが立ち込めていて、入ると確実に目から涙が出てくる。悲劇を前にしても全く心を動かさない人々に対する抗議として、無理やり泣かせる作品。これも強烈な五感的な体験からメッセージという入りかたをしている。なんというか、よく出来ているなと思った。

総じてだけど、こういう現代アート見ていると、一番大切なことはアジェンダセッティングであり、いかにして人間の感性を揺り動かし、それを通じて伝えたいことを伝えるか、ということなんだと思う。そういうことでいうと、僕も作って人を困惑させたいものがいっぱいあるんだけど、いつか現代アート作品とか作ったりできないかなとか思った。

暗闇、サカナクション

芸術祭なのに申し訳ないのだけど、全体を通じて一番強烈な体験となったのはこれかもしれない。本当の真っ暗闇の中にいると、自分が起きているのか眠っているのかすら分からなくなる。その中でひたすら鳴り響く音楽。完全な闇は、平衡感覚すら不安にさせる。いつからか、思わず手すりにつかまっていた。

音楽のクオリティも、途中で少しずつ出てくる映像も、最後の舞台装置の使い方も全てがものすごくて、あの強烈な体験はそうそうないように思う。作品が音だけでなく空間すらも支配すると、そこには強烈な体験が生まれる。暗闇は一つの空間のあり方なんだけど、他のやりかたもあるんだろう。

名古屋市美術館

サカナクションのライブの感動が冷めない状態で、タクシーで名古屋市美術館へ。

無題、モニカ・メイヤー
あまりにも単純な作品とも言えるかもしれないけど、ジェンダー不均衡を可視化する作品。あいちトリエンナーレは男女作家比率を1:1にしたことで注目を集めていたわけだけど、それにふさわしい作品なんだと思う。こういうポスト・イットなどを用いて絵馬のように個人の参加型作品を作るのは、まあそんなに新しくないのだけど、それでも一つ一つのコメントはやっぱりおもしろかった。

Sholim Inspired by Tokyo Story
比較的よく知られているGIF作家。気持ち悪いけど、やっぱりついつい見入ってしまう。

圓頓寺商店街

そもそも町並みが素晴らしい。ギンギンギラギラの名古屋にこんな場所があったのか。しかも駅から歩いてすぐの場所。

Chilla: 40 Days Drumming、ユザーン
ユザーンさんが40日タブラを叩くという話は聞いていたし、フジロックで話を聞いたところ「毎日8時間だと定時出社ぽくて修行感が出ないから10時間にしよう」と自身で提案したということも聞いた。

10時間もやるので、結構インターバルを空けながらまったりとするのだろうと思っていたら、結構激しい。これ10時間毎日やるとか、本当に恐ろしい修行だなと思った。これを無事にやりきったらすごいことが起きるんじゃないだろうか。

音楽イベント、崎山蒼志
フジロックにもきていたシンガー・ソングライター。16歳の頃って、僕なんかただの鼻垂れ小僧だったのに、ただただ尊敬しかない。近くのイタリアンでビールを飲みながら楽しく聴いた。

表現の不自由展のこと

結局これが見れなかったので評価ができない。そもそも見ていないことを評論するのは難しい。だけど、この全体の展示の中で、愛知芸術文化センターの一室でこの展示がされていても、「まあそういうのもあるよね」くらいの感想を大勢の参加者は感じるんじゃないかと思った。作品のクオリティとしては他の作品群が凄まじいので、これが強烈に記憶に残らない人も多い気がした。

なお、僕は新大久保で「朝鮮人は全員出ていけ」的なプラカードを掲げたデモ隊の人たちを実際に見ながらも、その人達のデモを禁止するのは本当に良いことなのか思い悩んだくらいなので、この展示も普通に継続され、見た人たちで議論が広がれば良いんじゃないかと感じている。もちろん、何らかの表現を好まない人がいるのは事実で、僕だって「朝鮮人は死ね」とか言われたらちょっと悲しくなったりはするのだけど、それでもそういう言説をする人にはいろいろ背景があるわけで、それに向き合って自由に話し合うことができる世界に自分は住みたいなと感じている。

(2019年8月18日インド時間17時50分追記)
#DOMMUNE の放送を見た。理解が浅いかもだけど、
1.明確に政治的立場がある表現の不自由展の人々
2.上記をアート風の政治運動と感じ、それと同じ舞台に並べられるのを忌避するアーティスト
3. 本件を表現の自由の侵害と感じるアーティスト
がいて、3者の鼎立が極めて難しい、ということだと思った。そして、皆が多分引けない状況になってしまっているのかな。難しいね。

(追記終わり)

いずれにせよ、あいちトリエンナーレ、今まで見てきた芸術祭の中でも特別クオリティが高いと感じたので、時間がある人は是非に見に行ってみてほしい。

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