長編小説 夏の香りに少女は狂う その21
これまでの話は、こちらのマガジンにまとめてあります。
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8月4日。
日が落ちる頃、バーベキューが始まった。
キャンプが趣味だというだけあって、拓巳の準備は万全だった。
木炭、食材、食器類など、ほぼ完璧に用意されている。
「拓巳、さすがや。食材、昨日のうちに下準備したんや?」
コテージの脇に、バーベキューコンロとベンチが設置されている。
そのベンチに座り、義之は早くも缶ビールを開けた。
「もう、主任が昨日いきなり『明日キャンプ行くで』とか言い出すから…俺、仕事終わってからダッシュでスーパー行って、野菜とか買って家で切ったんですよぅ」
拓巳が、木炭に火をおこしながら、恨みのこもった目で義之を見上げる。
「悪い悪い。まぁ今回は俺のおごりやし、パーっとやろうや」
くいっとビールを飲んで、義之は豪快に笑った。
リンと明美は、食器と調味料の準備をしている。
「拓巳くん、タレとぽん酢と塩コショウ…持ってきたのん、これで良かった?」
明美が確認する。
「あ、部屋の冷蔵庫に、刻みネギが入ってると思うから、それも持ってきてくれる?」
拓巳は、汗をかきながら火おこしをがんばっていた。
「うん。ついでにうちわも持ってくるわ。あった方がいいよね?」
「あ、助かる。もうそろそろ、火ぃつきそうやから」
明美はうなずいて、いったんコテージに入った。
リンは、皿や割りばしなどの食器をテーブルに準備しながら、ちらりと義之を盗み見る。
温泉に行った時、髪を洗ったのだろう。
さらりとした前髪が、風になびく。
その姿は、いつもの義之より少し若く見えた。
『ヨシくん、まだ27歳やもんなぁ』
ふと、そんなことを考えた。
しっかり者で、頼れる「お兄ちゃん」で、大人の男で。
でも、ふだんテレビドラマで見る若手俳優と、歳はそんなに変わらないのだ。
ふわり。
温泉から上がった時、自分の手首につけたスピリットオブアユーラが香る。
甘く、それでいて、すっと芯が通った芳香。
その香りが、この3日間、義之に抱かれた記憶を呼び起こした。
義之の左手に、指輪はなかった。
外したままにしているのだろう。
「リンちゃんに癒されたかったんかもしれへん」
義之は、そう言っていた。
どこか辛そうな、切なそうな顔で。
ひょっとしたら、奥さんとはうまくいっていないのかもしれない…
リンは、ふと思った。
だが。
いずれ子供が生まれたら、義之は妻の元に戻るのだ。
それは、確かな事実である。
胸の奥が、ツンと痛む。
再び、義之の顔を盗み見た。
拓巳と何か言い合いながら、屈託なく笑っている。
カッコいい。
でも、自分のものにはならない…
どうしようもない。
でも、まだしばらくは、このままの関係でいたい。
リンは、考えるのをやめた。
コテージから、明美が戻ってくるのが見えた。
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