Taddy de ナイト~色々重なって偶然気づいた自分という人間の本質~

こんばんは!Taddy de ナイトです☆*

最近、あるyoutubeの投稿を見たり、毎日のようにやっているオンライン飲み会を通して少し思うところがあったのでそれについて書いていきたいと思います。

これは自分の高校(部活)の先輩が高校生のころを振り返っている動画です。動画以外のことでも彼は、ATSUさんのもとで英語の勉強をしてTOEICの点数を2カ月で200点以上伸ばして955点取得していたり(自分の認識が正しいのか分かりませんが)、今は大学を休学しオーストラリアで会社の設立をしているというクレイジー(最大の賛辞)な方です。

高校関係者以外の方にとっては何だこれって感じなのですが時間があるとき(特に高校生は絶対!)見てください!到底真似できないという意味で尊敬できる先輩です!

高校関係者が彼が語っている高校についての内容を見たら爆笑必至で共感すると思いますが(笑)、ホントにそんな学校だったんですよ(今は分かりませんが!!!)。。。要約すると成績至上主義(大学受験)、軍隊みたいな部活(今となっては(自分にとっては)良い思い出ですが笑)といったところです。成績至上主義に関して(自分の考察は後述)、彼はその中でかなり葛藤があったのだと思います。確かに彼は自分の周囲でも名の知られた人で学校の成績がよろしくなかったのもあって(入試直前なのにもかかわらず赤字が入った学校の成績を見せていただいた記憶があります笑)、誰にも期待されていなかったのですが、慶應に受かったと分かったとたん急に周りが噂をしたり群がるようになった(彼はもともと人気者でしたがそれ以上に)印象があります。

前置きはここまでにして本題に入ります。成績至上主義に当時の自分は何も疑問を抱かず(他の判断軸を認識できていなかったため)、良く悪くもその環境に適応していたので今考えたら異常だったなと思うところもあります。成績至上主義の学校にいると、成績が良い人は高い評価をされ、成績が悪い人は他の才能があったとしてもそれだけで評価(印象含む)は低くなります。彼みたいなタイプを見ていると、自分はたまたまその環境に適応したから生き残れたのか、それとも与えられた環境にうまく適応できたのか疑問が生じたので両方の側面から考えていきたいと思います。前者は、受験勉強が何だかんだ楽しかった(やった分だけ成績に反映されたため)という意味では当てはまるのだと思います。後者に関して、恐らくこちらの方が自分という人間の本質の1つにたどり着けると思います。はっきり申し上げると、自分には特別な才能がない(もしかしたら1つだけあるかもしれません)と思っています。「ストイックで努力家だよね」と尊敬する親友に言われたことがあります。確かにありがたいことに様々な面(大学での学業成績や珠算、サッカー、テニスなど幅広く)で評価していただくことはありますがそれはある程度の努力(:アマチュアとしては高いレベルだが、プロには到底達しないレベルに引き上げること)の成果が運良く出せたからにすぎません。先日、転職されてからもいつもお世話になっているSさんに言われたのですが

中牟田君って誰もやりたがらない仕事を(嫌がらずに)やれるのがすごいところだよね

これが自分の本質の1つなのではないかと自覚し始めました。様々な分野で天才(:自分では到底敵わない人間、本能的にこの分野では絶対勝てないと思った人間)と出会ってきた中で、挫折を繰り返しながら自然と身についた生き残っていくための能力才能というのであればもしかしたら自分が唯一持っている才能なのかもしれません。その才能があったからこそ上述の与えられた(異様な)環境にも嫌気がささず適応できたのだと思います。ちょっと受験勉強が楽しいと思ったくらいなレベルではあの雰囲気に耐えられないのは高校関係者からすれば自明です(笑)。さて、この才能を今いるフィールドでどのように活かしていくか考えよう。。。

という感じで高校の先輩の動画やオンライン飲み会の話から大きな発見をしたので勝手にシェアしました!(笑)

自分の持つ才能を自覚し、どう活かすかを常に考えることは大切だと思うというのが結論です!

近況報告についてはまた近々書きます!

以上、Taddy de ナイトでした☆*

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