学童保育について思うこと
私は週に一回のペースで学童保育に出ています。
かれこれ十年近くになるでしょうか…
人手が足りないと聞いて、ほんのお手伝いのつもりで始めました。
利用希望者は年々増える一方、人手不足は相変わらずで、辞めるに辞められない状況…
こんな意識に最近変化が起きています。
私の勤めるところは、五十代から六十代の年齢構成で、ほとんどがダブルワーク、トリプルワークです。
幼稚園、小学校のスクールヘルパー、高校の寮の賄い、などなど。
私自身も、キルト講師、介護サービス相談員その他の掛け持ちです。
六年生まで受け入れますが現状三年生までの下学年で定員になります。
利用するには、保護者が働いていること、核家族で近くに放課後子どもを預かれる祖父母がいないという最低条件があります。
さまざまな例外はありますが…
土曜日と長期休みは午前中からですが、平日は午後の三時間程度の勤務です。
フルに出勤しても、お小遣い程度の報酬で賞与も保障もありません。
わずかな昇級はあれど、資格を有する専任のみ多少役職手当があるだけです。
これでは、働き盛りの若い人の定職にはなり得ません。
働く世帯を支援したいというボランティア精神に支えられているように思います。
私は、もっと若い人が働くためには、縦割りをなくして保育園や幼稚園、小学校中学校と連携して勤務時間を確保し、安定した収入と保障を充実させることだ、と思っていました。
でも最近少し変わってきています。
第一に、サードスペースとしての学童保育の在り方です。
私は専業主婦だったので、学校から帰った子どもを家で出迎えました。
それはそれで特に後悔はしていません。
充実した日々を過ごしたように思います。
私のように、子どもが育ち上がって曲がりなりにも一人前になると、自分が辿った道が最善であったように思いがちです。
けれども、それがどの家庭、どの子どもにとってもベストな環境なのだとは言えないのではないか…
親が家にいて子どもを迎え、手作りおやつを食べさせて宿題を見てあげる、というカタチは大多数の家族においては、もしかしたら極々短い期間に作られた環境であり、それは良くも悪くもないのではないか…
子どもの育ちに関わってくるのは、そういう環境ではなくもっと別のことなのでは…
なにかそれを裏付けるようなエビデンスがあるかもしれませんが、私は専門家じゃないので、自分で考えたことを述べています。
学童保育の子どもたちは、学校でも家庭でも見られない態度を取ることがあります。
学童保育の先生には、学校の持つ抑止力もありませんし、親の責任がありません。
子どもはそういうことをちゃんと見極め、それに応じた行いをします。
もちろん個人差や、親との関わり方などの違いで、一様ではありません。
それは、学童で子どもを見守る上での難しさでもあります。しかしこういう場所があることは、もしかしたら子どもにとって好ましいのではないかと思うようになりました。
学童保育の現在の位置付けは、働く保護者の支援ですが、特に働いていない保護者の子どもも、こういう第三のスペースはあった方がいいように思います。
もちろん、これが絶対ではなく、重要なのは選択できることです。
そして第二に、
学童保育で働く人も、専任として定点の位置にいる人が絶対不可欠であれど、それ以外は日替わりでかまわないのではないかと思います。
保護が必要なお子さんがいる場合には加配といって人員が多く配置されます。
小学生は、学校に上がった時点で必要なのは保育より見守りです。
宿題をするのを見守るけれど、教えません。(ヒントはあげますよ!)
子どもたちが怪我をしないように配慮したり、揉め事の火種を消火しますが、基本的に遊びを見守ります。
集団に馴染めない、大人と話すのが大好きなお子さんの相手もします。
中途半端と言えば中途半端な立ち位置です。
けれども、ありのままの子どもを受け入れるこうした緩い態度の大人の存在は、現代社会では希少にも思えるのです。
放課後、多学年の顔見知りの子どもたちと、安全を見守られながら過ごす…
オンラインゲームもタブレットもありません。
我慢できるのも、お家に帰ればできるという幸せがあってのことでしょう。
子どもにとって家が一番なのは変わりありません。
それでも学童が大好きというお子さんの気持ちが分かりますし、私の子育ての頃にこんなところがあったなら、連れてきてやりたかったものだと思うのです。
※画像はさいとうみかこさんよりお借りしました。
ありがとうございます♪
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