消えてしまいたい、つぶやいて10年が経った。

わたしが初めて消えてしまいたい、と思ったのは大学1年生のちょうどGWが終った頃でした。所謂5月病というやつを、こじらせてしまったんでしょう。

それからもずっと五月病が治らず、なんやかんや10年経って、ようやくここ数年、消えてしまいたくなくなりました。

突然生きやすくなってしまったのです。息、することがとても楽になりました。

でも、そうすると別の問題があらわれて。

わたしは20代はまるっと、『自分が消えないように』ということを第一優先してバランスを取りながら生きていました。

社会で生きること、ではなく、生き物として単純に生きることを優先させてしまった。

というより、生きやすくなるなんて思ってもいなくて、わたしは消えてしまうまで、消えてしまいたい自分と生きていかなくてはいけないと思っていました。

でも、そうはならなかった。

けれど、良く言うじゃないですか。

20代で、苦労しなさい。とか、社会でいろいろな経験をしなさい。とか

20代は大切だよ。等々。

耳が腐るほど聞いたんですけれど、でもわたしはそんなこと気にしている場合ではなかったのです。

30代になるほんの少し前に、消えてしまいたくなくなったのは良いのですけれど、じゃあ、わたしは20代なにを経験して生きてきたか、と問われたら、なんにもないんですよね。ほんとうに何もない。空っぽのぺらぺら。

これは困ったなあ、と悶々と考えて捻りだした唯一の答えが

消えたい自分と苦しみながら、それをなんとか克服した。

ということしかなくて。厳密に言うと、克服したわけでもないのかもしれないですけど。

消えてしまいたかった、というなんともセンシティブな部分を本当は隠して社会で生きたい。でも、その部分を隠して生き抜くことができるほど、社会は甘ったるく出来ていないような気もする。

この部分を恥じて隠して、社会を生き抜こうとすると、わたしの20代は、何も経験していない人、なんですよね。きっと客観的に観たら、ただ社会から逃げていた社会不適合者、になるんだと思います。

でも、わたしは、もう、消えたくない、と強く思うのです。

社会で生きていくならば、もう腹くくるしかない。

10年間消えたかったという経験は、これから社会で生きる上で、個性になるだろうか。個性に出来るだろうか。

消えたかった自分を受け入れて、それを強味にできるような、そんな社会の居場所を探して、今は20代を取り戻すかのように色々な実験を自分にしている最中です。

(ああ、甘ったるいな、と思う。恥ずかしい。)


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

5
自分を実験するところ。英語と心理学を趣味で勉強しています。旅が好きです。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。