「褒め」と「承認」の違いを学んだ。そもそも「褒め」は難しい。

僕はしばらく「褒め」は「認める事」であり「肯定する事」としてきた。
しかし今日の研修で、「褒めと承認は違います」と言われた。
なんと!
曰く、「褒めは承認の一部」らしい。

承認を5段階に分けて考えるとのこと。
・結果承認
・過程承認
・行動承認
・意識承認
・存在承認
このうち「行動が終結して結果が出てるもの」が上2つとのこと。
この上2つの承認が「褒め」らしい。
なるほど。

多くの人は1番上の「結果承認」=褒めと考えている。
結果承認における「結果」って「=成功」なんだと思う。
「結果」が「失敗」だったときのための「過程承認」だと思う。
「褒め」という言葉を「過程」にまで広げて話はあまり聞かないから、この時点で「おー!」ってなった。

よく聞くのは「褒めるところがない」という言葉。
そりゃあ結果(=成功)のみを褒めようとしてたら、意図的に褒めるポイントを絞ることになる。
結果承認が悪いのではなく、それ以外の承認が足りずに結果承認の比重が大きくなることで、「成功しなければダメだ」という意識づけに繋がってしまうのが問題。
身近な人とのコミュニケーションでも気をつけないといけない。

今回の研修で僕の考えと異なっていたのが、「行動承認」「意識承認」「存在承認」に対しての重要性だった。
僕はそもそもこの3つから入るようにしている。
「今日会えたこと=存在承認」、「今日来てくれたこと=行動承認」、「勉強しに来てくれたこと=意識承認」といった感じ。
ポイントは「当たり前のこと」を「わざわざ承認する」こと。
理由は、世の中「正解すること」「成功すること」が前提で回っている。
それ自体は悪いことじゃないんだけど、「正解」や「成功」が「して当たり前」って考えになりやすいのが問題。
さっきの結果承認の問題点とほぼ同じ。

口では「当たり前を当たり前と思わないこと」とか言うくせに、行動面でここを疎かにしてる人が山のようにいる。
コミュニケーションの量が多ければ承認機会が増えるから、結果以外の承認が増えるきっかけになる。
逆にコミュニケーションの量が限られると、結果の確認になりがちだから結果承認以外の承認が行われない。
コミュニケーション能力は「コミュニケーションを通じて人を動かす能力」って思ってるから、結果承認だけで人を動かせれば問題ない。
動かせないのであれば、承認機会を増やして行動につなげてあげるために、コミュニケーションの量を増やすべきだと思う。

あと、「褒め」を「評価」の形で行うのも危険だと思う。
「すごいね」とか「偉いね」って言う側は簡単なんだけど、本人が「すごい」とか「偉い」と思ってないなら響かない。
特に「成功して当たり前」って前提があると、「すごい」とか「偉い」は「当たり前」の前に崩れ落ちる。
結果だけを評価すると上のようなことに陥る事があるから、過程やもっと遡って行動や意識まで含めてまずは承認してあげて、その上で評価を載せた方がいいと思う。

まあ大前提として「承認されて嬉しい」と思われるような人間関係が大切だよね。
そのために挨拶やお礼を通じて「存在承認」や「意識承認」「行動承認」を増やしていく事が大切。
そこをすっ飛ばして「褒め」ようとしても効果がないときはある。
あとは人に合わせて5つの承認のバランスを調整する。
どの承認が本人にどの程度響くかを見計らっていく事が大切。
少なくともそれを意識すれば、「否定する」ことは減ると思う。
明日からの人付き合いに改めてとりいれていけたらいいな。

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