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町の小さな美術館

 学生時代(高校生~美術専門学校)に油絵をたくさん描いた。描くのはいいのだけれど、キャンバスに描いていたので、置場所に困った。そこで、実家の車庫の上が倉庫になっていて、その場所に絵をしまっていた。

それから、10数年経ったある日、唐突に父親が言い出した。「お前の絵を使って、車庫の2階を美術館にする。」自分は反対した「確かに作品の数はあるけど、美術館と名乗るのは…恥ずかしい…恐縮する」それに対して父親は「じゃあ、なんのために描いたんだ?誰かに見せるためだろ、このまましまいこんでどうすんだ?ギャラリーや、画廊って名乗ったら商売になっちゃうし、そうなると色々手続きが必要なんだろし、美術館でいいだろう?」父親もちょうど退職した時だったので、父の退職後の時間潰しにもいいかと思い、自分も美術館オープンに同意した。

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「町の小さな美術館」がオープンし、しばらくして、様子が気になり父に電話した。自分の実家は「ど田舎」だ。ネットで調べると、日本の「秘境」とまで形容されている。そんなところで、一体絵を見に来る人はいるのか?しかも、あのアクティブな父が、じっと座って来客者に案内をする姿が思い浮かばなかった。

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「どう、美術館は」と自分。「ぼちぼちだな」と父、「見に来る人いるの」と自分、「ぼちぼちだな」と父、「じっと、座って待ってるの?案内してるの?」と自分、「してない」と父。「してない?してないってどういうこと?」自分は驚いた。じゃあ一体誰が案内してるのか?

「案内は、Rおばちゃんだよ。」父は、察して答えた。

Rおばちゃんは、実家の「本家」のおばちゃんだ。実家のすぐ裏にある本家でTおじちゃんと2人で暮らしている。2人とも退職していて、Tおじちゃんは畑や田んぼをやっている。Rおばちゃんは、地域のボランティア活動をしていたが、最近は家にいることが多くなったと聞いていた。だから、Rおばちゃんが案内なら、なるほど適任だと思った。

Rおばちゃんは、自分が小さい時からよく面倒をみてもらった。東京に自分が出てきてからも、作品の展示をすれば、お祝いに花や、手紙を送ってくれていた。

Rおばちゃんには、子どもがいなかった。だからかもしれないが、実家に帰ると自分に「いつかはこっちに、戻ってきてくれるといいなぁ」と言っていた。

そう言われると、なんとも言えない雰囲気になって、自分も、その場ではあいまいに答えていた。

小さな美術館が、オープンして半年ほど経った春、父から連絡があった。

「Rおばちゃんが…亡くなった…。」

あまりに、突然だった。

葬式の後、Tおじちゃんと話をした。        「小さな美術館は、おばちゃんにとって良かったよ。数年前から、おばちゃんは少しづつ認知症が、進んでた。でも、美術館の案内をする時は、昔の接客をしてた頃のおばちゃんだった。亡くなる前の日も、見学の人が来て、おばちゃんは、案内してたよ。」

Rおばちゃんが、どう思っていたかは、今となってはわからないが、Tおじちゃんがそんな風に語るのを聞いて、「小さな美術館」があって良かったなと思えた。

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最近、「小さな美術館」には小学生が学校の課外学習で来ているようだ。案内は父と、ときどきTおじちゃんも手伝ってくれているらしい。



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