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「50代で老後ぎみ」たこっぺの自己紹介① ☆楽器編☆

はじめまして。たこっぺです。50代にして引退ぎみの人生を送っています。一応肩書は主婦、家事はやっています。でも夫と2人なので、やらなきゃいけないことがそれほど多くありません。
ありあまる時間を使い、のんびり書いていこうと思います。

現在はヒマ人人生を送っていますが、若かりし頃は生き急いでいる風でした。止まると死ぬ、といわれ、あれやこれやに手を出していました。

ピアノ

母親が「娘が弾くショパンを聴きながら過ごしたい」という夢を持っていたため、4歳からはじめさせられました。
一応ショパンはなんとなく弾けるようにはなりました。楽譜が読めるようになり、絶対音感がつきました(現在は1音くらいずれている)。
そんなプラスより、苦痛のほうが大きかったです。夢を子どもに押しつけるのはやめましょう。
マンションだったので、下の階の方にもたいへん迷惑をかけたと思います。

バイオリン・ビオラ・コントラバス

中学、高校ではオーケストラ部でした。
パーカッション希望だったのに、先に入部した同級生に取られました。オワタ。
最初バイオリンに配属され、楽器にホコリがたまる部員ナンバーワンの称号をいただきました。
中3になったらビオラに転職させられました。なにこの楽譜。読みづらっ!
一貫校なので変化なく高校生へ。高校2年の部活最終年に一念発起、自発的にコントラバスに再転職しました。
それまでコントラバスというパートがなかったという驚くべきオケ。楽器はありました。なのでパートを復活させました。
低音パートはオケを支えてる気がして心地よかったです。が、ヘボ部なのでテキトーに弾いていました。
引退するとき、前に陣取っていたチェロの後輩たちから「たこっぺさんの音が聞こえなくなるのが寂しい」といわれ、ええーーっ!聞こえてたのか!!とひじょーに恥ずかしかったです。

ドラム

きました。これな!
自発的にやった唯一の楽器&現在も続けている楽器。
人間、やりたいものしか楽しくない、続かない。これ。
ドラムは中3から大学4年までやりました。
アマチュアだったけど、ライブハウスにもちょくちょく出ました。
それから30年。老後気分に突入したころ、あれ、わたしってドラムやりたいんじゃね?と気づき、ドラム教室に凸りました。
ハグぐせのあるファンキーな先生のもと、たいへん楽しくたたいています。
現在ハグは禁止よ@コロナ。

三線・胡弓・太鼓

どれも沖縄古典音楽のです。
沖縄、べつに好きじゃありません。嫌いじゃないがな。
結婚して最初に住んだオンボロ社宅友のお母さんが久高出身で、三線教室に誘われました。
その後結婚ウツになって、夫を置いて、また違う三線友と共に北谷に移り住みました。
そこで三線、胡弓、太鼓をきちんと習い、沖縄タイムス芸術選賞で三線優秀賞、胡弓新人賞、太鼓新人賞に合格しました。ついでに芸術選賞会場でお茶くみバイトまでしました。
去年、横浜の三線教室に参加して、超久しぶりに歌ってみました。やっぱり沖縄古典音楽、演奏するのは好きじゃないです。

タブラ・サントゥール

たぶん後でバックパッカー編を書くと思いますが、沖縄の知り合いに買ってきてと頼まれたので、インドでタブラとサントゥールを買いました。
タブラをインドでちょろっと習ってみました。難しすぎます。
サントゥールは日本に送ったあと試してみました。これはとっつきやすい楽器でした。
沖縄で音楽ユニットを組んで、1回だけライブでサントゥールたたきました。それっきり。

その他かじったもの

小学生のとき校歌の伴奏で弾かされたアコーディオン、かじってみたくなるギター、祖母の喜寿のお祝いでもらった10万円で衝動買いしたサックス、お気軽お手軽ウクレレ、学校行事でやらされたことをうっすら思いだしたハンドベル。うーんと、あとなにかあったかな?

こうやって書いてみると、もし自分が複数人いてバンドを組んだら、ベース以外はできますね。
ベースだけはやりたいと思いませんでした。手が短いからできないことがわかっているんでしょう。

そうそう、たこっぺの由来。
コントラバスを弾いている姿を「大木にたこやきが止まっている」といわれたからです。
若いころは顔がまんまるでした。
いまは老けて頬がこけました。やだなぁ。

楽器編を終わります。ありがとうございました。
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