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タッキー先生
2021年11月25日 11:46
今日の話は、母が、これからの「風」の時代に「最も手放すべき思考」の代表だったというようなお話です。ずっと母は控えめでおとなしい人だと思っていました。祖母の亡くなる前は2歳の私を背負って看病し、お姑さんでありながら最期は母を頼りにしていたと聞きました。小さい私は「私のほうが先!」と祖母の顔を洗ったり、身の回りのことを手伝う母を困らせていたそうです。商売をしながら・・・自分の子
2021年10月29日 11:49
私の鼻炎歴は長く、小学校の時にはプールに入ると鼻炎が悪化するという状態を繰り返し、未だにお水が嫌いでほとんど泳げないという私がいます。では鼻炎のこころって?一口に鼻炎と言っても風邪の延長の時もありますし、急性の鼻炎、それが長引くと慢性の鼻炎と移行していくわけですが私の場合は慢性鼻炎。そして治療とは別に、私のメンタルに焦点を当ててお話しますね。この本には悲しみとそれを捨て去る恐れと
2021年9月26日 20:49
商売家に嫁いだ母には厳しいお姑さんがいた。毎日の買い物も子供の使いのようにお金を渡され管理され夜ふたりで出かけるなんてもってのほか。。。玄関に草履を揃え、勝手口からこっそりでかけてお好み焼きを食べにいくのが楽しみだったそうだ。仕事も私を背負いながら自営の父の仕事をずっと手伝っていた。そのころは九州から雇用していたので母はその子達の母でもあり毎日、賄いもしていた。よく一緒に嫁いでいた伯母
2021年8月29日 20:56
来月母が亡くなって6年。7回忌のなります。供養とは「忘れないこと」「思い出すこと」私が介護生活に入ってから両親をどう捉えるようになったか自分自身の家族の中での役割生きるということの意味などたくさんの思いを備忘録として残しておくことにする。これはおそらく今後の私の人生の大きな宝物になるはずだから。。。そして介護の話をすると「大変ねー」と言われずに「おもしろいねー」と言われる私