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私が初めて日本の野球界に疑問を感じた時②

さて、前回から、私がボーイズリーグのオールジャパンに選ばれて、渡米したお話をしております。本当に多くの事を体験させてもらいました。この渡米はまずサンフランシスコを皮切りに西海岸を南下し、ロサンゼルス、アナハイム、サンディエゴ、国境を越えてメキシコ、そして最後はハワイに行き、15日間でその土地のオールスターチームと転戦していきました。

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左から4人目が私です。ちなみに左端はジャパンの主将を務め、後に大学(大商大)でチームメートになり、その後日本ハムファイターズ入団する南出仁氏です。

滞在中、ほとんどの場所でホテルの泊まるのではなく、対戦相手の子供たちの家にホームステイをしました。野球だけでなく、ホームステイをする事で文化の違いも学ぶことができ、間違いなく私の人生に大きな影響を与えてくれました。

この写真は、初めてのアメリカでのホームステイ先のリッチさんのご家族と撮ったものです。私は15歳で身長184〜5cmくらいでした。日本では、なかなか私より背の高い大人を見ることはありません。しかし、いきなり私より背の高いリッチさん(写真左端)に会って驚きました。

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この7年後大学4年生になった私はリッチさん一家にサンフランシスコまで会いにいきました。

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当時(1979年)の野球界の常識では、日本のプロ野球界から見ると、メジャーリーグのレベルは雲の上の、またその上の存在でした。今のようにメジャーの舞台で日本人プレーヤーが多数活躍するようになるなんて、誰一人想像すらしていませんでした。なので私は、当然アメリカの中学生の野球選手のレベルも相当に高いものだと思っていました。しかし、ふたを開けてみると、各地のオールスターチームと12試合中、戦績は9勝1敗2引き分でオールジャパンの圧勝でした。私は主に投手として出場していました。

その時の印象は、コントロールと変化球は圧倒的にオールジャパンの投手の方が良く、変化球も多彩でした。一方、アメリカの同世代の投手は、コントロールは悪いし、変化球はほとんど投げません。たまに投げてもチェンジアップばかり。当時のアメリカ野球文化では、子供が最初に父親から教わる変化球がチェンジアップで、ただ遅いボールを投げるので肩肘に負担が少ないからだそうです。

それでも、ストレートの威力には驚かされました。まだ固まっていないような投球フォームから、時折バランスよく指にかかったボールがストライクゾーンに来ると私たちは手が出ません。ところが、肝心なストライクが入らないので四球で出塁します。すると、ジャパンはほぼ毎回のように送りバントをし、たまにエンドランを絡ませて、わざと空振りし盗塁を助けたりし、3ボールになるとセフティーバントの格好をしてみたりと、相手を揺さぶり点数を重ねていきます。それに対して彼らは同様な揺さぶりを一切かけてきません。バント自体、ほとんどありませんでした。

それどころか、アメリカの同世代のバッティングは、全員が超フルスイングです。あまり当たらないのですが、時々芯に当たった打球の速さには、投手の私は「当たったら死ぬ!」と思ったものです。

彼らの野球は、ただフルスイングをする、ただ速いボールを投げ込む、出塁したら即座に盗塁を試みるという思い切りの良さに、感心しました。それぞれが個性あふれるフォームで、何よりも本当に楽しそうにプレーしています。

このアメリカ滞在の後半くらいから、私はだんだん気がつき始めました。「僕のやりたい野球はこれや!」と。それまで悶々としていた思いが晴れ、同時にアメリカの選手たちが羨ましく思いました。彼らの野球こそが私が以前に経験した少年野球チームに入る前の、ただただ楽しい無我夢中野球を、組織だった野球チームの中でしている、と思ったのです。

ここまでの環境は、子供たちだけで作れるものではありません。やはり大人が作るのです。この時、「アメリカの野球はいいな!」と感じた事は、私がもう少し大人になってから気付くのですが、「アメリカのコーチングっていいな!」という事だったのです。

大人になってから気づいたことはもう一つあります。それはやはりアメリカにおける野球はナショナルパスタイム(国家的娯楽)としての位置づけであるという事です。国を上げて野球は愛されているという事を肌で感じたのです。地域によっての差は多少ありましたが、少年野球なのに試合を見に来る人は非常に多く老若男女、人種も関係なく、観戦に来られていました。

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背番号3が私です。
  
また、イニング中エレクトーンを弾いたり、ホットドック、バーベキュー、コットンキャンディ(綿菓子)が売られたり、またイニングの間に様々なイベントがあるのですが、面白かったのは、地元の子供たちご自慢のラジコンカーを持ち寄り、ベース一周のレースをする地域もありました。本当に皆さんで楽しんでいたし、私たちも、恐らく野球の試合で初めて経験する楽しさだったと思います。

たかだか少年野球で、これだけ地元の人が集まり楽しめるのです。少年野球であっても多くの人々を繋ぐ、まさにナショナルパスタイムです。あまりにも日本の少年野球の現状とはかけ離れていると感じました。

ホームステイ先の家での生活も驚きの連続でした。同世代の選手の部屋に行くと、壁には野球のスーパースターのポスターだけでなく、アメフトやバスケットなどの選手のポスターも貼ってありました。そうなんです。彼らの多くは、シーズン制なので一年を通していろんなスポーツを楽しんでいるのです。逆に言えば一年中野球は出来ないということです。

そんなこともあるのか、試合が終わり一緒にホームステイ先の家に戻ると彼らはまた野球しようぜ!」と誘ってきます。私たち日本人はヘトヘトで、とてもそんな気になれません。私たちは大人に野球漬けにされていますが、彼らは自ら野球漬けになっているのです。

ある土地でのホームステイでは、同世代の選手が部屋でダンベルを使って筋トレをしていました。当時私の周りの大人は「野球のボールより重い物は持つな!筋肉が硬くなる」と
今では信じられない事を言われていたので、そのころは「大丈夫なん??」と思って見ていました。

さらに、その後、何やら白い粉を何かに混ぜて飲んでいました。なんか刑事ドラマでよく見るヤバイ薬か?とも思いましたが、大人になってからわかったことは、それは成長期中の軽い筋トレとプロテインだったのです。

他にもこのアメリカ遠征では、オークランドでアスレチックスの3Aの試合を見たり、ロスで初めてドジャースタジアムでメジャーの試合を見たり、ディズニーランドに行ったり、

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またアメリカの全ての食べ物のデカさなど、驚きの連続でした。そして最後はハワイで試合を行い、

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8月31日に帰国しました。

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私は、幼い頃近所の仲間とする野球の魅力にドップリ浸かります。ところが、組織だった大人が支配する少年野球チームに入って、野球の魅力が半減してしまったように感じます。しかし、この渡米でアメリカの野球を知って、「こんな野球がしたい!」という思いが明確になったのです。この事が間違いなく今の仕事へ繋いでくれていると思います。

こんな素敵な経験をさせて頂いたボーイズリーグには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

その後オールジャパンに選出された多くの後輩たちも、この素晴らしい経験をしています。その中から数えきれないくらいのプロ選手も育っていますが、前田健太投手もダルビッシュ投手もオールジャパンのユニホームを着て世界の舞台に立っています。これからも若い世代選手たちが世界の舞台を経験してもらいたいと思います。

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