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シルクロード day9 青の都

夜中3時半、暗闇の中モソモソと動き出す影あり。
まぁ僕です。
昨日のうちに居座る蚊が軒並み抹殺されたドミトリー、暗闇の中でもとても平和。
安心して荷造りできる。

4時に宿前にタクシー到着。

昨日サマルカンド行きの鉄道を予約したのだが時間帯が問題。
てっきり本数も結構あると思っていたがそこはウズベク、時間的に使えそうなのがこの早朝というのも烏滸がましい4時55分ブハラ発便。
話によると深夜3時にサマルカンドに着く列車もあるらしい。客の都合を全く考えてないその姿勢、日本なら袋叩き間違いなし。

ブハラ駅と言うので市内にあるかと思いきや、15キロ北東にあるカガンという街にあるので徒歩は論外。タクりましょう。

どうせ遅延するやろと思いきや定刻通り。なんなら20分前には入線してるし、たぶんワザとタイムラグ取って遅延回避してる。
早速キリル文字で書かれた切符を係員に見せる。あの車両や、の指差す先には…VIPの文字。

VIP車??

一等車とかそんなものを飛び越えていきなりブルジョワ車両登場。夢の超特急、アフラシャブ号というらしい。
てっきり東欧のオンボロポンコツ車両を身構えていた僕、嬉しさ半分、コンテンツ力磨けないので残念半分だ。
ただこれで100000スムだったしコスパ的には良すぎでは。

↑VIP車内部。俺がブルジョワや!

内装も近代的だしこれだともっと長距離鉄道にしても良かったかもしれない。
後で分かったが鉄道をメインで利用する組はヒヴァ→サマルカンド→ブハラ→タシケントと、サマルカンドとブハラの順序を逆にするらしい。
その方が列車の時刻的にベストとのこと。

1時間半ほどの鉄道旅(爆睡していただけだが)を経てサマルカンド到着。

遂に青の都に到着

当然こんな時間にバスなんて走ってないのでタクシー課金。50000スムと言ってくる奴を無視して35000スムを提示してきた車に乗り込む。うーんどうも今回タクシー使い過ぎてるような。アホスケジュールだからか。

↑夢の超特急アフラシャブ号

↑サマルカンド駅

宿に8時前に到着するも当然チェックインできるわけもないので荷物を置いて早速観光。
歩いて10分弱のところにあるレギスタン広場に開場凸。8時開場と日本的には普通に感じられるが、やはりウズベクは朝が遅いのか世界的にも有名なこの広場をほぼ独り占めできる。観光客の皆様に置かれては昼間だと更にアホ暑くなるのに今動かないで大丈夫なのだろうか。

↑朝のレギスタン広場

広場には3つのメドレセが配置されており、向かって左からウルグベク・メドレセ、ティラカリ・メドレセ、シェルドル・メドレセとなる。メドレセとは神学校の意味だぞ!モスクとはまた別だぞ!

値段は40000スム。他の遺跡が軒並み25000スムなのでここだけ高い。でも10000スム=1ドル強なので実質450円くらいなので某マチュピチュとか某ペトラとかと比べるとだいぶお得。
なお現地人はタダや。

ウルグベクメドレセ
ブハラにも同名のメドレセあり。実はこいつが一番古い。二階に上がれる秘密の階段があるので頑張って見つけてみよう。

↑内部。これがサマルカンドブルー。

ティラカリメドレセ
センター張ってるから一番古いと思いきや、最古参はウルグベク。青ドームが目を惹くが3つのメドレセの中では一番最小。ただし内装は金ピカで豪華

↑内装は豪華

ジェルトルメドレセ
こちらもイスラムの禁忌をぶち破り。顔とライオン付きのメドレセ。案の定顔がヘタクソなうえに、どう見てもライオンではなくトラである。

↑ライオン(虎やん)と人面画

各メドレセとも色彩がめちゃくちゃ綺麗でオシャレ。カラフル具合も中東諸国のイスラム建築はステータスが内装全振りだったので外装まで美意識を持ってるシルクロード諸国には感銘を受ける。特に青タイル、サマルカンドブルーの名に恥じない透き通るような青色だ。

こんな素晴らしい広場を残してくれた先人にお礼を言わなくてはいけない。
広場を西に向かい、サマルカンドの英雄、ティムールの墓地であるグーリアミール廟へ。こちらも青のタイルが空によく映えている。
当のティムール自身は生まれ故郷のシャフリシャーズ?とかいう街に埋葬してほしかったらしいが、なんかダメだったみたい。悲しい。
内装は金ピカで真ん中にはティムールを示す黒い暮石が。この地下3メートルの同じ位置に本当の棺があるとのこと。 ただ誰も墓石に目を向けず、金の内装をひたすらカメラに収めていた。
哀れティムール

↑グーリアミール廟

↑真ん中の黒いのがティムールの墓標

ティムール廟の後は再びレギスタン前を通り過ぎ、タシケント通りなるホコ天を歩いてビビハニムモスクへ。
中央アジア最大のモスクらしいがなるほど圧倒的な大きさ。レギスタンに面するメドレセとかブハラのモスクもデカかったがこれは規格外。中東系のモスクだと中東にドームがあるため、全体的に三角形の外観なのだが、中央アジアではドームは外側、本堂が四角形のため、細やかな装飾と合わせて威圧感がより増している。

**完全にモスク界のゴジラだ。 **

↑モスク外門。観光客と大きさを比べよう。

↑本堂。外門よりも更に巨大化

デカさに半分呆れつつもモスクを後にし、更にタシケント通りを北東へ。橋を越えた丘の上に見えるのがカリモフ大統領廟。独立の父兼初代大統領のカリモフさん、国民の支持は絶大だったらしく、今でも大勢の人が慰霊に訪れていた。
観光都市サマルカンドのメインスポットの中でもここだけ撮影が禁じられていることからも、この人物の重要性が分かってくる。

↑カリモフ大統領廟

大統領廟からそのまま北東にあるウルグベクの天文台へ。がサマルカンド市内予想以上に広く、余りにも遠すぎる。
俺はブルジョワなんや!と自分に言い聞かせつつ、またタクシー課金。
ウズベクタクシー、安いと思いきや各スポット間の距離がかなりあるので結果高く付くのが痛い。
タクで天文台に到着。なお誰一人として歩いて来てる奴はいなかった。
今じゃ円筒状の建造物と地下の観測器の一部しか残ってないが、かつてはこの上に高さ30mの円柱状の建物があった。ただ、レギスタン40000は全然良いが、天文台25000は取りすぎやろレベルでショボい。撮影料金も別途とかいうこの何が何でも金を毟り取ろうとする姿、これが資本主義か。社会主義の誇りを捨てたのか旧ソ連よ。

↑ウルグベク天文台。

↑かつての天文台はこんな感じ

続いてアフラシャブの丘へ。
今では何もない殺伐した土地だが、元々のサマルカンドはここにあったらしい。その旧サマルカンドの正式名称がアフラシャブ。
アレクサンダー大王が絶賛した旧サマルカンドもモンゴル襲来で徹底的に破壊され、住民の75%を虐殺され回復不可能に。
もう無理やんということで今の位置に新しいサマルカンドを建設したとのことだ。
そんなモンゴルさんをボコボコにした九州武士団さん、戦闘力オバケでは。
丘自体は本当にただの丘なので麓の博物館以外は課金なし。勝手に発掘すると捕まるらしい(当たり前)

↑旧サマルカンド。窪みは建物の跡。

サマルカンド市内を見終えるとタクの運転手は言う。スザニ欲しくない?
スザニとはウズベク伝統の織物だ。土産屋だと30ドルぐらいするが、東のウルグットという街では安く買えるとのこと。
この時点でタクシー代のことを頭数に入れてない僕、快諾してしまう。

ドライバーがニヤリと唇を釣り上げたのは気のせいではないだろう。

サマルカンドから車で1時間弱でウルグットに到着。2000m級の山々の麓にあるこの街には途方もなくデカイバザールがある。そこらへんのイオンモールなんて相手にもならない。全部見ようとしたら1日溶けるだろう。
ウズベク中の商人がここでスザニを買い、地元で観光客に高値で売り付けるらしい。つまりここはウズベクの資本主義の権化。破壊しなくちゃ(確信)

↑ウルグットのバザール

↑スザニ製作中

スザニだが、面白いことに古いほうが価値が上がる。新品大好きの日本人からすれば不思議の感覚。そしてミシン縫いより手縫いの方が良いらしい。いや手縫いとか弱そう、と言いかけるも目の前で縫い始めるおばちゃんを見て閉口。迅速、確実、堅実にスザニを製作していく。
ミシンより早いんじゃね?
たしかにこの腕前だと少なくもミシンに劣るということはなさそうだ。

結局小さいスザニを7つほど買ってしまい90ドルを失う僕、一個が安いからと調子に乗ってしまったか。
サマルカンド市内に戻った際に、タクシー代を請求されてはじめて自分が失った額を認識し、絶望を覚える僕。当然金欠なので夜ご飯はスーパーで買った湿ったパン×2だ。

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