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外国語を学ぶなら現地へ!なんてもう言えない。

留学生が受ける記述試験の対策テキストで
「外国語を学ぶとき、母国で勉強した方がいいか、それともその国へ行った方がいいか、それはどうしてか」を書く問題があります。

数年前に学生に書かせた時は、
多数が「その国へ行った方がいい!」だったのですが、
最近書かせた際には、「母国で学んだ方がいい」って学生が多くて驚きました。

せっかく留学してきた人達なのに、母国で学んだ方がいいなんて・・・。
自分の教え方が悪いんだ・・・と落ち込みもしたのですが、
他に原因はなんだろうと考えてみました。

理由その1
彼らが言うには「母国語で学んだほうが効率がいい」ということ。

日本語を教えられる外国人教師、
つまり彼らにとっては同じ国の教師が増えてきたので、
その人から母国語との違いを含めて、母語で教えてもらったほうが
質問もしやすいし、理解しやすいということだそうです。

え、でも実際の会話練習はどうするの?
との問いには、母国で、日本人を探して話せばいい、
という意見があがりました。
その日本人も母語が話せるから安心ということもあるようです。

留学すると、現地の人とたくさん習った言葉を話す機会があって
母国で学ぶより、断然上達度が早い、って思っているのは、
もう既に時代遅れの考え方なのかもしれません。
じつは夢を持って日本に来ても、
悲しいことに、日本人と話す機会は少ないっていう
そもそもの交流機会が足りないことも一因だと思うのですが・・・。

日本語を教えるのに日本人講師が直接法がいいのか、間接法がいいのか、
と悩むのとレベルが違う話になってきているなと感じました。

理由その2
これはやっぱりネットの発達があるようです。
ネットで日本のドラマやアニメも見られますし、
ゲームでは世界中の人とネット上で対話をしながら、
対戦ゲームができたりします。
日本語学習用のアプリや動画もいろいろ出ていて、
わざわざ日本に来て学校へ行く必要が感じられないのかもしれません。

そういえば、道を日本語で尋ねる、なんて方法を覚えても
いまや誰でもスマホで自分で調べるので、使う機会がありませんよね。
コンビニやスーパーでは商品を差し出すだけで、ほとんど話さないですし、
セルフレジになってしまったら、もはや人と交流すらないのです。
「必要に迫られて使う日本語」の機会が減っていますよね。

授業中は答えたり、発音練習のために声を出したり、ジョークを言ってみたり、それなりに賑やかに参加していても、
授業の休み時間になると、シーンと静まるクラスがあります。
各自のスマホと向き合っていて、学生同士で話をしないこともあるんですね。

聞くと、友達は別のクラスにいるから、とか、友達は国にいるから、その国の友達とSNSをしているんだとか・・・。

もっと目の前の人たちと交流することを、交流する楽しさを
知らないといけないのかもしれません。

実はこれは留学生だけでなく、今の日本の若者にも言えることかもしれないですし、若者だけでなく、私たちいい年をした大人たちにも当てはまることなのかな、と思いました。

目の前に座っているのに、社内のネット経由で指示が来る、ネット経由で返事する、そして職場は常にシーンとしている、なんて状況もあるあるですよね。
状況によっては、効率がいい場合もありますが、それに慣れてしまうと、
社内の雰囲気を良くする方法を忘れてしまうような気がします。

相手の状況や様子を窺うことなく、
タイプする「文字」のように誰かに仕事をお願いする人、
声の大きさ、言葉のトーンや、クッション言葉などに
気を遣うことのできない人、
相手に取って嫌な印象を与えてしまう人になってしまったりしないでしょうか。

私たち母語話者の日本語力も再度見直さなくてはという気になってきます。

読む「文字」としての日本語は、確かにどこでも学習できるかもしれません。
でも生身の交流をしながら、その言語を使う人たちの文化的背景なども学びながら、お互い不快感なく交流するためには、話す日本語がしっかりしている必要があります。
その日本語を教えていくことも、当たり前ですが、私たち教師の役割の一つなんですよね、と
そんないろいろな事を考えてしまった授業の日でした。





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