大山さんの毒親問題の話への捕捉として、自分の話

前回のノートは本当に長い時間をかけて書いた。
最終的に公開したやつは、前日書き上げて「やはりそれは公開すまい」と思ったのを、朝になってほぼ完全に書き直したやつなのだが、おかげさんで大事な部分が書き直した奴からは抜け落ちていたことに、無名居士さん(ノートではichiroさん)の記事を読んで気付いた。

まずは、タバコのエピソードに関して、お父さんからもお母さんからも、大山さん視点でものを考えた気配が全くうかがえない、という点について述べた後、こういう文を書いていた。

大山家ではいつも、こういう感じだったんだろうか?
大山さんに何が起こっても、ご両親がそこで「これはそりゃあ傷つくはずだ」と納得できるだけのものを見出さなければ、ご両親は「なのだから、傷ついたはずがない」と判断し、大山さんの愁訴自体がない事になってしまっていたのだろうか?
大山家で「大山さんが誰であるか」も、大山さんが何を考え、何を感じ、どのような人間性を構築するかではなく、ご両親が大山さんに何を期待し、何を求めるかを意味したのだろうか?
だとしたら、そりゃしんどかったろうなと思った。

そしてこれ。

もしこのご両親のこの、「本質に対する無関心」とでもいうべきものが度を越したものだった場合、大山さんは子供として守られるべきとき守られないだけでなく、「それが当たり前」「ふつうの事」だと認識しながら育った可能性がある。
子供は、ふつう世間では子供なら守られているような場合に自分だけが守られないことに気付いたとき、それは「自分に守られるだけの価値がないから」だと、心の底から信じてしまったりする。
そして、守られるだけの、毎日ごはんを作ってもらうだけの、洗濯をしてもらうだけの、病気になれば看病してもらうだけの価値がある子供になろうとに必死になったりする。

後で読んでみたら、大山さんがほぼそのまんまをブログに書いていた。

その辺りは、わたし自身の家庭環境と似ている。
子供として愛されるためには、在り得ないほど多くを要求された。要求される要素が互いに矛盾しているようなこともあった。無欲で善良な人格者であることと、他人を蹴落として栄光を掴むことを同時に要求されるといった具合だ。
それも、「要求」という形をとるのならまだ楽だったと思うのだが、うちでは自主的にそれらを目指すように「誘導」された。要求に応えきれないと、二級市民に降格される。
世話をしてもらえなくなるわけではなかったが、その世話は親にとって苦痛で重荷で厄介な面倒で迷惑ごとになった。飯を作ってもらえるだけでありがたい話であり、それ以上何かを求めたり、期待したりするなんてとんでもない、という扱いだった。そこには、謙虚に努力し続けないならこちらは食わせることも放棄するぞという脅しが多分に含まれていた。

親に愛されたい子供に、何かを目指すよう誘導するなんて簡単すぎるほど簡単な話である。今のように、親から与えられた情報がどこまで公正で正しいものか、簡単に検索できるわけではない時代には特に簡単だった。
そうして誘導しておいて、「本人が選択」したら後は「自己責任」だ。
その「目的」のために生活だのプライドだのを全部賭けて、今更やらなくていいと言われたところで後戻りできないところまで入り込んでしまったあたりで、最低限の費用も出してもらえなくなる。何の助けも得られないまま孤軍奮闘を続け、下り坂に当たって結果が出せなくなり、物事が上手く回転しなくなると、さらに距離を取られる。困難すぎる挑戦ゆえに停滞すると、放置され、いつの間にか二級市民に降格されていることに気付く。
そこで踏ん張って勝利を得るか。諦めて二級市民に甘んじるか。その選択も自己責任だ。

そこで踏ん張って勝利を得ても、褒められることはない。たぶん、わたしの友人知人は皆、わたしが褒められているだろうと思っていただろうが、そういう場面でも大抵、誰のおかげだと思っているとか、調子に乗るのがいかに危険かとかしか説かれた事しかない。それでもアホみたいに高い目標に向かって繰り返し踏ん張り続ける中で、「誰にも意味を否定できないような、自分のために確実に意味のある何か」を得て満足するようになると、今度は妬みで憎まれたりもした。(子供の頃はなぜ突然邪険に扱われるのかただ純粋にわからないだけだったが、大人になるとわかることはたくさんある)

かといって、要求に応えようとすらせず、それはわたしの望む道ではありませんと拒否すると、(大人になって実際に拒否してみて驚いたのだが)本当に国家反逆罪扱いになった。それは親や家族の愛や存在そのものへの否定であり拒絶であり侮辱だと解釈された。
以前わたしが家族と仲良くしていたのを知っている知人たちは間を取り持とうとして、最初はわたしに謝らせようとした。そしてわたしに謝るつもりなど微塵もない事を知ると、「まあ謝らなくても許してあげるよ」という態度に出てきた。

わたしが「いや、ここで許されることは求めていない、わたしは許される必要がある事なんてしていない。だからわたしが許しを乞うべきだけどまあ勘弁してあげるという事なら、わたしはそれを求めてもいないしそれに応じる気もない」と説明すると皆、どん引きしてそれ以上何も言わなくなった。

わたしが親の(彼らの人生の現ステージにおけるニーズを色濃く反映した)思いつきのために人生をかけた勝負に出ようとしない事を、詫びなければ維持できないのがわたしと親との関係性ならば、その関係性の枠組みからして歪んでいるーーというのがわたしの結論だった。
それまで自分がどれだけ誘導されて自己責任だと放り出されてきたかは、その結論を出してから「ああそうかあれも…」と言う感じで次々気付いた。
それによって自分のそれまでの人生がどう歪んできたか、わたしが自分自身の経験をふりかえって考えたことと、大山さんがブログで言っていた内容とは共通点が多かった。

これはもう問答無用で距離をおかなければ、と考え、自分の人生をいったん分解し、親や実家関係への依存を可能な限り排除する形で再建した。それなりに安定するまでに三年かかった。

ここでは淡々と語っているが、「謝れ」的な事を最初に言われたときは三日にわたって憤慨したし、二人目に言われたときは絶望を感じて深く落ち込んだりした。
昨夜、無名居士さんのノートを読んだときも動揺した。

私は信頼で結ばれている親子関係だったから
親は子を信じ子は親を信じる
信じるだけではなくどんなことがあっても信じ切ることが
真の愛だと親から学んだと思っているから
親を毒親と断言し断絶を求める思想生き方に言いようのない思いになる
嫌悪と言えるものかもしれない観るのも嫌だから

たぶん、この嫌悪は、わたしに謝ることを勧めたり、謝らなくてもいいから水に流して仲直りすることを勧めてきた人たちがわたしに抱いたのと同じものだ。

これは、我々みそっかす達からすると、圧倒的な正義である。
力強く、美しく、正しい。
わたしだって、「親に一切依存しないよう生活再建できたよ、よかった」なんて思いたかったわけではない。
年老いた親に育ててもらった恩に対し、愛情で報いたい。
それが正しい事だという事ぐらい、痛いほどわかっている。
だから、そういう嫌悪を向けられると、もうただただ辛く、申し訳なく、いたたまれない。

毒親という表現にも抵抗を感じないわけではない。
本当に食べ物も与えられないようなネグレクトや物理的な暴力を伴う虐待とはまたまた別次元の話であることもわかっている。
ただ、親が気分だけでこちらに向けてくる要求のために人生かけて勝負しつづけるのではなく、自分の求める人生を生きたいと思ったら、「親の期待に沿って愛される」こと、「家族と認められる」こと、いざとなった時に彼らに依存すること自体を諦めるしかないのだ。
それはすごく大変なことで、失うものは多い。激しい喪失感と孤独感の中、その選択が正当なものだと、自分が自分の人生を求める事に負い目は感じなくてもいいと信じるためには、「自分の親のどういうところがどう理不尽か」という事を語ったりそれを他人に認めてもらったりしたくて。究極は、「それでいいんだよ」、自分が楽になる道を選んでもいいんだよ、大丈夫何か大切なものを裏切ったりしていないよ、というのを求めたりする。


その真逆を言ってる文に、それでも圧倒的な正義を感じるというのは、なかなか辛いもんである。



そういうもんだったりするっていうことを言語化していくことで、ちょっとずつでも理解が広まっていけばいいなと思っている。


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