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日中価値基準考察~「600元の“とうふ”を売るには」に思う

中国が抱える“とうふ”の悩み

いつも読んでいる中国のマーケティング情報メディアで、面白い記事を見つけ、日本と中国の価値基準について思いついたことがあるので書き出してみた。

近年は中国も「価値観の多様化」が始まっているので、一概に「中国では」と言い切る事はできないのは承知の上。なので、ここに書いたことはあくまで参考までというレベルであることを先に申し上げておく。

読んだ記事はこちら

吃一顿豆腐600元还得排队!廉价食品如何卖出价值感?

テーマは“とうふ”である。

中国ではとうふをはじめとする豆製品は日常食として定着しており、豆製品の市場規模も1100億元超と、極めて大きい。
庶民の食材として広く、深く浸透している。

じゃぁ別にいいじゃない、と思うかもしれない。
でも、そうではないのである。

ここで述べられているのは、「中国で、とうふがとうふ以上になるのは難しい」というお話。
たしかに一部では豆腐をベースにしたスイーツなども出てはいるものの、“とうふ”は“とうふ”のまま。庶民価格でなにも新しいものはなく、おとなしくスーパーなりコンビニに並んでいる。

“とうふ”的にはそれでいいのか?!と、この記事では問いかけている。
平たく言うと、「身近な商材はなぜ中国で高級化できないのか」というテーマなのである。

日本と中国の“とうふ”の違い

この記事で私を刺激したのは「日本を見てみろ!」という部分。

ここでは、東京は芝の名店「とうふ屋うかい」。
とうふ懐石の名店として名高く、なかなか予約が取れない店として知られている。
世界の〇部氏だって六本木のトイレ以上の情熱をもって薦めてくるはずだ。
コース料理も1万円を超える。
日本では「あの店ならそうだよね」という話になるのだが、中国では違う。

「え!とうふが600元?!」「とうふ食べるのに並ぶの?」
という反応が返ってくるときがある。
実際に以前、中国からの出張者をもてなそうとしたときに、そうした反応をもらったことがある。

この反応に、日中の「価値基準」が見えているような気がする。

中国では「とうふ=安いもの、庶民の食材」であって、高級なものでは“あり得ない”というのが共通の認識。
例え名店の匠の技が込められている、こだわりのとうふであっても、最終的に「でも、とうふだよね?」と聞かれてしまう。

そこに「アワビのエキスが入っている」とか「金箔で包んでいる」とかだったら理解されるのだろうが、出てくるのが「素材の味を生かした、あえて手を加えない、自然なままの“とうふ”」だと、「え……?」ってなる人も、いまだ少なくない。

つまりは、とうふそのものの市場価値は、どこで食べても大きくは変わらないもの。そこに有価値のものが付け加えられることによって全体の価値が高まることは理解するが、そこで“とうふ”そのものの経済価値が変化することは稀なのである。
その現状に、先の記事では疑問を投げかけていたわけである。

ただ、それが日本と中国の「価値」の違いのように見えて面白いのである。

価値ポイントの違いを考えてみる

日本では、同じ“とうふ”という食材であっても、その価値は一定ではない。

例えば名店や名工と呼ばれる熟練の、他者にはまねできない技術(機械的技術ではなく経験上の技術)を用いて作られたとうふは、化学成分が他と同じであっても、高い市場価値を見出す。
芝の「とうふ屋うかい」の例がまさにそれである。

ちょっとカッコよく言えば「形而上の価値」を市場価値として見出すか、という話になるように思う。

それに比すれば、中国で価値基準の多くは「形而下」のものであるといえるだろう。
大きい、思い、貴重品などなど、経済的に数値化できるものが価値となるケースが多い。

それに合わせてみれば「とうふ」の有する価値は数元のものであり、職人が作ったとはいえ、そのコース料理で600元を超えることなどありえない。
人によっては「暴利」とみる可能性もある。

「形而上」、すなわち「可視化できない価値」にピンとこないのである。

これを聞いて「中国の教養は…」とディスる意見もあるのだが、ここで私が言いたいのはそういう短絡的な話ではない。
そもそも、どちらが「良い・悪い」、どちらの「レベルが高い・低い」という話ではない。
「異なる」というだけである。

その背景を紐解くことは極めて重要なのだが、国の成り立ちや変化、そしてそれに伴う社会の在り方を考えていかなければならない。
ただ、それを話していると長くなるので、別の機会にしたい。
でも、この背景部分を考えることを止めてほしくない…。

何はともあれ、こうした価値観の違いを社会背景に部分から理解してからでないと、中国に商品を売ることはできない、という事ははっきり言いたい。

日本には、「何の変哲もないけど、見えない技術が詰め込まれ、高級化した商材」というものがある。
以前、上海でお目にかかったものでは「ご飯がくっつかないしゃもじ」、「キレのいい保護ラップ」、「高級樟脳」などなど。

こうした商材、中国の普遍的価値観でいうと「安いもの」の部類に入り、高性能であったからと言って「そこまでお金を出す必要はない」というものなのである。
これらはマーケティング以前の、商品選別の段階の話で知っておいたほうがよいだろうなぁと愚考する次第。

繰り返しになるが、上記は「現象」に過ぎず、本来現象だけを述べるのはNGである。
しかし、この現象からその背景を考えるきっかけになってもらえればよいな、と淡く思う。

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