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「バスターミナルは今日もヒマ」

世界一周(290日目)291日目(4/15)

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食べ放題の朝食をめいいっぱいお腹に詰め込んだ。

イランのグニグニしたナンにカレーやバター、ジャム塗りたくって食べる。それに飽きてしまうと食パンを同じようにして食べた。キュウリやトマトもしっかりと食べておこう。旅をしているとどうしても野菜が不足しがちになってしまうから。早めにベッドを空けてチェックアウトを済ませておく。昨日の僕の様な旅人がここへ来てもベッドにありつけるように。

ここはイランの中心地ヤズドにある「シルクロード」という宿。
ドミトリー8ドルという値段設定の割には内装が抜群に素晴らしく、バックパッカーなんぞがここに泊まっていいものかと思ってしまうほど綺麗な宿だ。レストランは宿泊客以外も利用することができる。

きっとこの宿はそういう宿の外から来るお客さんに力を注いでいるのだろう。宿の吹き抜け、レストランは確かに素晴らしい。
だが、薄汚いバックパッカーの姿を客に見せないようにかドミトリーは施設の地下に設けられている。それは少々言い過ぎだけれども、どこにでもある安宿と違っていることは間違いない。上半身裸でシャワーまでなんていけないし、テーブルにパソコンを広げて長い時間作業することもできない。ランチやディナーの時間には他のここに食事に来たお客さんの迷惑にならないように気を遣わなくてはならない。ドミトリーはベッドといくつかの椅子があるだけだ。清潔で各ベッドにコンセントがついてるけどね。

宿泊費だって高くないし、Wi-Fiもある。朝食は食べ放題。もちろん君はお金さえ払えばいつだってご飯を食べられるよ?それにツアーの手配だってできる。そう言われれば文句のつけようのないハイ・クオリティな宿なんだけど僕はここに長いする気にはなれなかった。また別の時に行ったら3泊くらいしたかもしれない。

ランチの時間までテーブルとコンセントを使わせてもらい、情報収集や日記などを書いたあと、僕はこのお上品な宿「シルクロード」を後にした。

いや、良い宿なんだよ。君がヤズドを訪れた際にはきっとここを気に入るはずだ。だけど、僕は先に進むよ。前日は宿の周辺をブラブラしただけで、僕はこの町の雰囲気をなんとなく理解した。「ああ、ヤズドはこんな町なんだな」と思った途端にまた次の町を見てみたくなったのだ。

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 僕はこれからマシュハドに向かう。

最初はイランの南東部へ行こうかなと考えていたんだけど、どうやら場所によってはヤバイらしい。ケルマンという街では麻薬マフィアと警察の抗争が行われているとかいないとか。情報収集をしていた僕はケルマンから命からがら逃げ出した男の子のブログを読んで『あ~、ケルマン行くのや~めっぴ!』と迷うことなくルートを変更した。

それに移動距離が長くなってしまうと、その分交通費もかさんでしまう。そこで僕はいくつか行く予定だった街をカットし、「聖地」と呼ばれるマシュハドに行こうと考えた。マシュハドからは首都テヘランへ行こうと思う。ここの区間はバスより電車の方が安いんだとか。じゃあもしかしたらヤズド、マシュハド間も電車の方が安いかもしれないな。


バックパックを背負って駅を目指す。宿を出発して15分。

車をヒッチハイクできたらなぁとPennyに乗りながらそんなことを考えていると一台の軽トラックが止まった。

「日本人ですカ?」

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イラン人、やさし~~~~っっっ♪

「メルスウィィ~~~~~!!!」

軽トラックの荷台にバックパックを置いて僕は助手席に乗り込んだ。

乗せてくれたのは日本で6年働いていたというヤズさん。

しかも1990~97年という日本国内においてイランが一番ホットだった時代を過ごした人だった。「あの時はお酒買って、女のコとバイクでドライブなんてしてさぁ~」なんて言うヤズさんはさもプレイボーイだったことでしょう。

とりあえず、ヤズさんに駅まで送ってもらうことに。

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ヤズさんは仕事へ向かう途中だというのに、僕と一緒にチケットオフィスまでついてきてくれて、マシュハド行きのチケットがいくらするのかを聞いてくれた。

ヤズドからマシュハドまで電車で言った場合、20ドル以上してしまうことが発覚。たぶんグレードの高い席だと思ったので、それよりも安いチケットはないかと尋ねたのだが、どうやらここで買えるチケットはそれしかないようだった。

「ヤズさん、仕事へ向かう途中なのに送ってくれてありがとうね。もし、すぐに仕事に行かなくちゃいけないようだったら、僕のことここに置いていっていいからね。ローカルバスかなにかでターミナル行くよ」と日本人の謙虚さを発揮した僕だったが、ヤズさんはそんなことを聞く様子もなく、「ほら!ターミナルに行くぞ!」と一旦職場に顔を出し、そのまま僕をバスターミナルまで送り届けてくれた。

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ヤズさんは日本で震災が起こった時に、日本で学んだ溶接などの技術を活かすべく、大使館に日本で働けるよう掛け合ったと言った。

僕はちょっとゲスだから『単に日本で働きたいだけじゃないの?』と心のどこかで思わなくもなかったけど、ヤズさんのように日本で暮らしていたことのある人と話をしてみて思うことは、彼らは日本に好意を抱いてくれているということだ。

日本にいるとイランは馴染みのない国に思える。日本中にイラン人が溢れ帰っていた時には僕はまだほんガキんちょだったし、日本にいた時も「イラン」と聞くと『核保有国』だとか『イスラム教徒の国』とかとっつきにくいイメージがあった。

だが、実際にイランに来てみてどうだろう?まだ一週間も旅していないのに、イランに対するイメージは大分変わってきた。ロシアとか中国もそうだったな。

日本でネガティヴな情報を与えられている国に行ってみると、そのイメージはほんの一部分でしかないことが分かる。情勢不安定で行けない国もあるけどね。

ヤズさんはヒッチハイクのお金を一切請求しなかった。困っていそうな人に声をかけて、自分のできる範囲で手を差し伸べる。

信仰心の差こそあれ、イスラム教の国が浸透したこの国では助け合うことはがごく自然なことなのかもしれないな。ヤズさん、ありがとうございます。



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マシュハド行きのチケットは10万リエル。4ドルくらいだった。

出発の時間は19:30。現在11:00。わーお。クソ時間があるじゃねえか。

幸いバスターミナルには漫画を描くのにうってつけのテーブルがある。僕はパックセーフを外し、一番上に置いてあるサンダルの入ったビニール袋と服が入った3つの圧縮袋を取り出し、背中の部分に差し込まれている原稿用紙とカッター・ボードを取り出した。ある程度荷物を出さないと漫画製作の道具を取り出せないのはめんどくさいが、準備するだけだったら5分もかからない。

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ドリンクを注文して、僕は漫画の構想を原稿用紙の裏に描き始めた。

バスターミナルがなんで街の中心部から離れたところにあるのか分かる気がした。

ヤズドのバスターミナルは立派な作りをしているのにも関わらず、ほとんど人がいないのだ。もちろん、バスが到着すれば人が増えるのは当然なんだけど、それもせいぜい30分くらい。バスターミナルは人が少ない状態の方がほとんどのようだ。

テーブルを貸してもらったアイスクリーム屋のおっちゃんはほんとヒマそうにしていた。

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ここで働くってそうとうヒマだろうなと思わずにはいられない。

僕も世界一周の資金集めの時、串焼き屋さんでバイトしていた時のことを思い出す。お客さんがいる時、特に混雑時には時間はあっという間に過ぎていった。反対にノーゲスの時は時間はちっとも進まなかった。そういう時はなんとか時間をやり過ごそうとお店の掃除をすることがほとんどだったのだが、ここで働いているおっちゃんたちは時間とどうつき合っているのだろうか?

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隣りの売店も、またその隣りの売店もお客さんは全く来ない。

だからバスターミナルに漫画家が現れたら、そりゃいい暇つぶしにはなるよね。もちろんおっちゃんたちは僕に絡んできた。こちらとしても、絵を描いているだけでコミュニケーションが取れるのはありがたいなと思っている。

「お!何やってるんだ?」

「どれどれちょっと見せてみ?」

とかペルシャ語でよく分からないけど、まぁ、たぶんそんな感じだろう。

おっちゃんたちは僕のテーブルの周りで興味深そうにして製作現場の見学をしていた。

そして一通り見学してしまうと、また各々の持ち場に戻り、ヒマそうに携帯をいじくっていた。

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こっちも初日なのでなかなか思うようにはノらなかった。

「何か?(イラッ)」

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「だから机を揺らすなっていってんだろうが!」

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まぁ、いい時間の使い方ができたかなと思う。

作業中に頼んだコーヒーは
洗面台の水を湧かしたお湯だった。


それを韓流ドラマのプレートと共に


さも、淹れたてのようにして出てきた。

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旅先で日本のそれのようなクオリティのものを求めちゃいけない。これが旅人にピッタシのコーヒーなんだ。

さてと、マシュハド行きますかね。

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僕はさっさと道具をバックパックにしまって、パックセーフを装着すると、30分前にやって来てバスに乗り込んだ。

まだいくらか外は明るい。
窓際の席でインドで新しく買ったペーパーバックを僕は読む。

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現在、自作キャンピングカー「モバイルハウス」で日本を旅しながら漫画製作を続けております。 サポートしていただけると僕とマトリョーシカさん(彼女)の食事がちょっとだけ豊かになります。 Kindleでも漫画を販売しておりますのでどうぞそちらもよろしくお願いします。