この世にアイは存在しますか
『この世にアイは存在しません』
冒頭の一文から既に世界に惹き込まれていた。
シリアで生まれた主人公のアイは、裕福な夫婦の養子として大切に育てられる。周りから見れば恵まれた環境であり幸せそのものだ。けれどアイは自らの身に舞い込んだ幸運を抱きしめることができない。
なぜ自分が選ばれたのだろう
なぜ他の人は選ばれなかったのだろう
選ばれたというより『選ばれてしまった』後悔の念に縛られて生きている。選ばれなかった人たちの『不幸』な現実をつきつけられる度、アイは自分を責めるのだ。
自分が選ばれたことによって不幸になった誰かに想いを馳せて苦しくてたまらなくなる。今の恵まれた生活は誰かの不幸の上に成り立っていると思ってしまうのだ。
世界で起きている理不尽と不平等。
日々そんなことを考えていると人間はパンクしてしまう。考えてもどうしうもない無力さに打ちのめされるだけなのに、アイは目を背けることができず自らの意志で深い闇に身を投じていく。
主人公のアイに感情移入してしまうと、私自身も窒息しそうになる。息がつまって苦しくなる。小説だとわかっていても、フィクションだと知っていても、迫ってくる圧迫感から抜け出せない。
それでも光が射す瞬間があって、途中で「ふう」と息を吐く。気持ちがふっと緩んだ瞬間、さらなる荒波に飲み込まれ、すぐさま喘ぐことになるのだけれど。
希望となったのは親友であり恋人の存在。100%理解しあえなくても、少しだけでも本音を言い合えたり、他愛ないことで笑い合える存在は貴重だ。そういう人がいるかいないかで人生は大きく変わってくる。
途中幾度となく溺れそうになりながらも、最後のページまでたどり着くことができたのは、親友、恋人、そしてなによりアイを養子として迎え入れた養父母の存在が大きい。
なぜそれほど自分を追い込んでしまうのか、腹立たしさを覚える場面は数知れず、もっと肩の力を抜きなさいよと主人公に向かって説教したくもなったけれど。
ラストシーンで全てが報われ救われた気がした。
***
著者の西加奈子さんをはじめて知ったのは『さくら』という作品。『さくら』もそれぞれが闇を抱えつつ、『サクラ』という犬の存在によって危ういバランスを保っている家族の物語だった。
西加奈子という作家は、家族の在り方や生きることに真摯に向き合っている印象が強い。
家族とは、幸せとは、生きるとは。
そんなことを立ち止まって考えている人は少ないと思う。悩みや迷いが全くない人はいないけれど、日常に追われて思考を停止せざるを得ないのが現状だろう。なにより考えてしまうと果てがなくて、闇をのぞいてしまうと奈落の底に真っ逆さまな気がして怖いのだ。
見て見ぬフリ、気づかないフリ。
逃げだといわれても、凸凹が少ない道を選ぶのは人間としての本能だと思う。
だからこそ、『i』という作品は家族に難を抱えている人が読むと息苦しさを感じてしまうかもしれない。家族問題だけでなく、いわゆる生きづらさを抱えつつ砂を噛むように生きている人たちも。
この世にアイは存在しません
この言葉が主人公にとって呪縛となっているが、読者にとっては『i』という作品自体がパンドラの箱そのもの。自分自身と徹底的に対峙する覚悟がないと箱は開けてはならない。それでも人は好奇心に負けてしまう。
ついうっかり手をかけてしまった私も、読んでいる最中は呼吸するのを忘れていた時間があって、慌てて息をしたものだ。読書をして呼吸を忘れる体験ってそうそうはない。
自分と向き合うきっかけを与えてもらった一冊でした。
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