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セレブになりたい妹と庶民派の姉

セレブになりたいよね。今年55歳になる妹がさらりと言う。
テレビにリモート出演していた、元祖国民的美少女の後藤久美子さんの暮らしぶりを見ての呟きだ。

確かに。本音をいえば「お金持ちになって自由気ままな暮らし」がしたい。生活に困らないお金があれば、なんでもできそうな気にもなる。だけど、それを素直に口にできる大人は案外少ない。

ちなみにセレブになったら毎日どうするのか訊ねてみたところ。
「なんにもせず、のんびりゆっくり、で遊びまくる」そうである。

妹にすれば素直に思ったことを口にしただけだ。他意はない。ただ、「労働が正義」という観念が強い日本において「なにもせずに遊んで暮らす」は悪に属してしまう。

本当はそうしたいと奥底では願っていても「なにもしない」という怠惰な選択を、私たちは除外してしまっている。妹はこういった「常識」が通じない。ある意味無敵なのだ。

聴覚障がい者である妹は、知能にも遅れがある。精神年齢でいえば小学校低学年レベル。日本語の文法は複雑すぎて理解できない。在日したばかりの外国人のような片言での会話が姉妹では通常モード。

子どものまんま大人になった妹は本能で生きている。好きかそうでないか。やりたいかやりたくないか。ほしいかほしくないか。

お金はたくさんほしいけど働くのは嫌。宝くじが当たってくれないかなぁとぼやきつつも、肝心な宝くじは買っていない。エアーで楽しめるお得体質でもある。

お金の価値についても理解できているかしごく怪しい。障がい者就労施設で働いている妹の給料はビックリするほど安い。しかも日給月給だから、祝日が多い月はスズメの涙だ。

給料の大半をなにに使っているかというとお菓子である。「子どもか!」って言いたくなるくらいお菓子が好きで毎日買ってくる。とくにお気に入りなのがチップスターのりしお味とアタリメ。酒のアテのような取り合わせである。

お菓子といえども、毎日買ってくるものだからお金はすぐになくなる。そうすると恨めしそうな顔で呟くのだ。「お菓子食べたいな」と。まぁ、大金をねだられるわけではないから、お菓子代として1,000円くらい渡してあげるのだが。

買ってきたものとレシートを見せ、おつりをきっちり返す律義な妹。そこらへんは常識的。でも2円とか小銭が溜まって仕方ないので「おつりはいいよ」と言うと、少女漫画の主人公のように瞳に星をキラキラ飛ばして大喜び。2円だよ、たった2円。私はそう思うのだけれど、妹にとってはたとえ2円でも「お金」なのだ。

「セレブになりたいけど、小銭もおろそかにせず感謝できる心」を持っている妹をこんなとき、ちょっとだけ尊敬してしまう。同時に1円、2円ではもう喜べない自分が『汚れた大人』気分になる。

なにもしないことに罪悪感を抱き、必要以上にがんばり過ぎる傾向がある大人たち。お金が好きだとか、お金をいっぱい稼ぎたいと口にすることも憚られる窮屈な常識。

仕事が生き甲斐な人もいるし、苦痛な人もいる。遊んで暮らしたい人もいれば、なにかをしていないと居心地が悪い人もいる。いろんな価値観を持っているからこそ、社会は成り立っているんだろうな。

セレブになりたいと照れもなく口にする妹を横目に、自分はどうなんだろうと考えた。お金はほしい。でも大金はいらない。自分が好きなことをして暮らしていける金額を考えたとき、私はそこそこでいい気がする。(そこそこってどれくらいだ)

ちなみに私は絵を描くことと本が好きだ。従って生活以外で必要なお金といえば画材と本代くらい。画材(主にコピック)にしても本にしても特別高級品じゃないし、毎日買うわけでもないから、月々のお金は知れている。

とはいえ、自分の生涯に必要な金額ってイマイチ想像しづらいよね。だって、人生100年時代だもの。今年58歳を迎える私の人生もこの先まだまだ長い。その間に、考え方も、価値観も、暮らしぶりも、今後どう変化するかわからないもの。

今はまぁ、特に不満もなくまぁまぁ幸せだから良しとしよう。

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