アーユルヴェーダとの出会い(ほぼ昔話)

只今、バンコク時間16時20分。
目的地は久しぶりのスリランカ、コロンボ。
スワンナプームでのトランジットが6時間と長いので、ラウンジを巡りながらちょこちょことアーユルヴェーダ体験記を書き始めようと思う。

と言っても、施設に入るのは週末から。
なのでまずはなぜ2週間も休んで(正確には現地でもいくらか仕事はする予定)アーユルヴェーダを受けようと思ったのかを書いていこうと思っているが、とりあえず今回は出会いから。

アーユルヴェーダという言葉を知ったのはもう10年以上前。はじめてインドを訪れた時だから二十歳かそこらの時だった。
同じ宿の旅人から「古代から脈々と受け継がれているインド発祥の医療がある」そう聞いて、好奇心の奴隷のように生きていた身としては興味を持たない理由がなかった。

インドではバラナシあたりの土産店で1日店番でもしていたら、1日に何人もローカルの知人友人が出来る。
しばらく滞在していた私は当時まわりのインド人から「シンカラ」とか「ジャスミン」とか勝手にあだ名をつけられたりしながらいろんなことを教えてもらったり、風邪をこじらせた時は随分と世話を焼いてもらったりしていて、そうして出来た友人らに「アーユルヴェーダとは何か」と聞いてみることにした。

起きてから寝るまでのアーユルヴェーダ的生活について熱心に語ってくれる人もいれば、あんまり馴染みがないという人もいて、理解や生活への関与度は案外バラバラな感じだった。女の子には「とりあえずHimalayaのコスメでも買って帰れば?」と言われたり。

「土着の健康法?美容?って感じなのかな・・・?」くらいしか結局わからないままに、その時は言われた通りHimalayaの美白クリームだけを買ってインドを後にしたのだった。



そして1年後、パキスタンに行くためにまたインドを訪れた時のこと。
やることもなくニューデリー近辺をうろつきながらカオスな電線(盗電しまくりで鳥の巣状態)を眺めていると、電柱のかげからアーユルヴェーダと書かれた看板がぱっと目に飛び込んできたのだった。

これは呼ばれているとかいうやつだ。


私はすぐにその雑居ビルに飛び込み、勢いでそのまま施術を受けることにした。
今思えばものすごく適当な問診の後、日本でも一番知られている『シロダーラ』を受けることになった。
多分結構な人がイメージする「アーユルヴェーダと言えば、これ」という、眉間に温かいセサミオイルを垂らすというもの。
予備知識もほぼないまま言われた通りに寝転んで、オイルが流れ始めるのを待った。
「始めるわよ」という声と同時にツツーっと、人肌より少し温かいオイルが額に届く。


一瞬にしてふわーっと意識が遠のいていく感じがした。


優しく、しかしどんどん遠く、体と意識が離れていく。
幼い頃に感じた母の温もりを思い起こさせるような絶妙なオイル温度のせいか、不思議と安心感もあって全くネガティブな感覚は湧き上がってこなかった。
今思えば一種の瞑想状態だったのだろうと思う。
考えていることが徐々に輪郭を失っていき、体の力が抜けていく。

何分経ったのか、少しずつオイルが冷めていくに従って遠くに行った意識が徐々に体に戻ってくるようだった。

施術後に特に何が治ったとかそんな劇的な効果はなかったけれど、「脳のマッサージ」という言葉の通り頭がとてもスッキリしていて、とにかくこれまで味わったことのない深いリラックス状態を体験出来たことは間違いなさそうだった。

とても心地よい、不思議な時間。
これが私が初めて味わったアーユルヴェーダだった。




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