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④2001年ユーラシアの旅 (陸路一周): シベリア鉄道→モスクワ

シベリア鉄道7日間

北京発のシベリア鉄道(満州里経由)モスクワ行きは、商人風の中国人でいっぱいだった。いかにも出稼ぎ・在住っぽい人や、大量の荷物を持ち込んでいる人。乗客はロシア人の方が少なかった。なぜかほとんど男性しか乗っていない。

なお、シベリア鉄道内の狭い通路では、すれ違いざまに触ってくる中国人の老人2人から痴漢に遭ったので、若い女性の一人旅は気を付けられたい。10代末の私は、ヤンキー金髪で細い眉毛がそり上がっているような風体で、日本で痴漢に遭うことはまずなかったので、最初まずびっくりした。

寝台列車は人生で初めてだった。例の古ぼけた湯沸かしサモワールのある通路を通って、ドアのある4人用のコンパートメント(部屋)にたどり着いた。上はベッドになっていて、下は昼間は座れて中に荷物が入れられる箱になっている。

同室は中国人の30代位と思われる出稼ぎっぽい、眼鏡にポロシャツの男性。乗る前は勢いだけであまりよく考えていなかったが、7日間風呂なしなので、旅の後半この男性の足の匂いで懊悩することになる。いい人だっただけに実に残念だ。

最初もっと人がいたような気もするが、同コンパートメントで最後モスクワまで乗ったのはこの足の匂いが強烈なお兄ちゃんだけだった。

最初は初めての寝台列車でテンションが上がっていて、ロシアに向けて北上しながら日本史で習った満州に思いを馳せつつ、歩き回ったり他の乗客とからんでみたりしていた。ロンプラに書いてあった、ロシア国境での軌道幅が変わるための長時間停車の間に、うろついている闇両替商のおっさんにルーブルをいくらか売ってもらう

中国ーロシア国境では、係官も含めロシア人が明らかな東アジア人の顔立ちをしていることに妙に感心しながら、ロシアの東西の大きさを実感した。


しかしロシアの大きさを体感するのはこれからになる…。

無事ロシア領に入って、道中大きい町にいくつか停車しながらモスクワまで向かうのだが、ずーーーーーーーーーーーーーーっと同じ光景(何もない、針葉樹林がある、以上。)にあっさり飽き始めてしまった。バイカル湖のあたりは、ああこれが世界で一番大きい湖のか、と最初は嬉しくなったが、バイカル湖もしばらくそればっかり続くとあっさり飽きてしまった。恐ろしあなことに5月のバイカル湖方面ではまだ雪が降っていた

初めて乗るので私は知る由もなかったが、シベリア鉄道に乗っているのはほぼ商人か地元の人だったので、みなさんは車中での過ごし方を心得ていた。

トランプなどのゲームを持ち込んだり、ロシア人はびっくりするくらい毎日ひたすらウォッカを飲んでいた

中国人はお茶(水筒)とカップラーメンを大量に持ち込んでいた。文字通り毎食カップラーメンを食べていて仰天した。そして食事時に立ち込めるラーメンのジャンクな匂いに閉口した。旧ソの列車に標準装備の大きな湯沸かし器サモワールがあるから、熱湯は自由に使えるのだ。

食堂車はあったが、超貧乏旅行の私には無縁だった。風景が単調すぎて飽きているので、駅で停車しているときが唯一の楽しみで、定刻運航の列車に合わせて町人が食べ物などをもってプラットフォームまでいろいろ売りに来る。

ロシアに入ってすぐプラットフォームで、おばちゃんが家から作って持ってきた感満載のピロシキをいくつか買い、日本でピロシキと信じられている揚げパンのあれとは違うことが興味深かった(じゃがいもなどの入った平ための焼きパンみたいなものだったと思う)。そして美味しかった記憶はない。

バイカル湖の近くの駅では味のない謎の鳥の丸焼きを買ってみたが、これも味がなく食べられる代物ではなかったので持て余してしまい、同乗のロシア人に「これ困ったどうしよう」と話した覚えがある。残念ながら極東ロシア方面では美味しいものを食べた記憶がないが、お金を出せばいろいろあったのかもしれない。

気に入ったのはアイスクリームで、駅に着くとすでにおばちゃんが待機していて、ただの段ボールに詰め込まれたアイスクリームコーン(5月で保冷剤なし。こってりしていないロシアのアイスなのでマロージュナと呼ぶべきか)を買うことができた。これが私のシベリア鉄道紀行で一番おいしい食べ物だった

シベリア鉄道編の最後の方はもう消化試合状態で辛かったので、またシベリア鉄道に乗ることがあれば、今度は絶対途中の町で降りるだろう。ミドルオブノーウェアの田舎町は味があってかなり楽しそうである。北京から乗って仲良くなったイケメンロシア人(中国への留学生)は途中の町が地元で降りて行った。

前述のとおり、丸7日間風呂なしだったので(人生初だったし、そのあとも7日レベルはなかったかも。しかしこの後まだモスクワから移動したので、風呂に入ったのは9日後くらいだったかも)、途中は中国人の同室のお兄ちゃんがいない間に時々着替えた。


いい加減降りたい!!!気分は7日後に叶えられ、私は露都モスクワでついに解放された。


なお私がこの旅で得た教訓は、ロシア語をやれ、である。車掌さんが各車両にいるのだが、英語どころかHelloも通じなくて大変だったので、後に大学生を始めてから第二外国語はロシア語を選択するに至った。

To be continued...







野宿出身、未だにおよそ野良ですが、まだサバイブしてます。