旅が消えた日
大切な大切な、人生をかけて愛してきた「旅」という場が、不意に消えてしまいました。
旅、とりわけ海外へ旅に出ることは、僕にとって生きる希望そのものでした。
海外旅行なんて言うと、人によっては、ただの遊びと思われるかもしれません。
でも旅は僕にとって、遊びや娯楽、趣味といったものを超えた、人生に欠かすことのできない存在でした。
仕事がうまくいかないとき。家族との関係が悪くなったとき。未来の自分の姿が見えなくなったとき。
異国へ自由な旅に出ることで、自分の心は救われ、また頑張ろうという気持ちになって、日本に戻ってくることができました。
海外への旅は、ただ楽しむ場というだけでなく、日頃の疲れを癒してくれて、自分をリセットさせてくれて、明日を生きる力を与えてくれる場だったのです。
旅は僕にとって、つらくなったとき、悲しくなったときに自分を支えてくれる、「心のよりどころ」でした。
きっと、人それぞれに、生きる希望があるはずです。
ある人にとっては、子供の成長を見ることかもしれない。
ある人にとっては好きなアイドルを応援することかもしれないし、またある人にとってはスポーツを観戦することかもしれない。
僕にとってのそれは、異国へと旅に出ることだったのです。
生きる希望だったその「旅」という場が、突然のウイルスの流行により、ふっと消えてしまいました。
異国への旅に出られなくなったいま、いかに自分の人生が旅に支えられてきたのか、心から実感しています。
旅があったから、自分はいままで生きてくることができた。
決して大げさではなく、本当にそう思います。
いままでだったら、こんなつらいときこそ、旅に出ることで、そのつらさを解消してきました。
たぶん、旅は僕にとって、つらくなったときの「逃げ場所」でもあったのです。
でもいま、その「逃げ場所」は失われてしまいました。
なんだか、まるで見えない檻の中に入れられてしまったような、そんな気持ちを感じています。
もしかしたら、自分は旅というものを、あまりにも愛しすぎてしまったのではないか。
もっと他に、趣味でも仕事でも、旅と同じくらい夢中になれるものがあったなら、こんな気持ちにはならなかったのではないか。
正直、そう思うこともあります。
でも、旅というものを一途に愛し続けてきた自分の人生に、小さな誇りも感じています。
いまのつらい気持ち、それこそが、自分にとって旅というものが本当に愛する存在だったことの証明だと思うからです。
もちろん、ウイルスはいつの日か終息するはずです。
数ヶ月後なのか、数年後なのかわかりませんが、また海外へ自由に旅に出られる日も来るでしょう。
でもその日まで、僕は旅という心の支えを失ったまま、生きていくことになります。
たとえ一時的だったとしても、大切な生きる希望を失ったとき、人はどう生きていけばいいのか。
その課題と向き合いながら、僕はしばらくの間、生きていくことになるはずです。
ひとつ言えることは、たぶん僕にとって、「旅」の代わりになるものなんてない、ということです。
他に好きなことを見つけたり、本や動画で旅気分を味わうことで、ある程度気持ちをごまかすことはできるかもしれない。
でも、「旅に出たい」という気持ちを叶えてくれるのは、やはり「旅に出る」という行為以外にありえないはずなのです。
僕にとって、あれほど自分自身が自由に羽ばたける場所は、たぶん「旅」のほかにはないのですから。
最後に、日々感染症と向き合っている医療従事者の皆様に感謝するとともに、一日も早いウイルスの終息を祈ります。
そして、また自由な旅に出られる日が来ることを願っています。
旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!