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ぼくの旅路 #11


【 エゴを見つめる / ネイティブ・アメリカンの教え 】

当時のわたし:26歳



 「きみがイエローネーションの代表として、ぼくたちと一緒にサンダンスを踊ろう」

 まさか、こんな話をされるとは思ってもいなかった。はじめにグラスホッパーにサンダンスのサポートをして欲しいと言われたことだけでも、とても光栄なことだったからだ。「サンダンス」という言葉が、彼から差し出された瞬間から、物語の中の憧れの情景だけだったサンダンスが、より現実的なものになって、意識下に配置されていくのを日々感じていた。しかし、あくまで、それは、サポーターとしてサンダンスに関わる意識だった。

 サンダンスを踊った者の証として、左右の胸に一対の大きな傷跡が胸に刻まれている。二度、三度とサンダンスを踊った者ならば、傷は二対、三対となる。その傷は、イーグル・ボーンのピアスを胸に突き刺し(ピアスという言葉から、耳につけるピアスを連想してしまうが、ここでいうピアスは、鷲の骨から作った先の尖った串状のものである)、痛みへの恐怖に打ち勝ち、断食をして、飢えへの苦しみに耐えながら、一年で一番太陽が強く照りつける荒野で、日が昇るその時から日が沈む瞬間まで、4日間、祈り、踊り続けた者の証だ。ぼくは、その話をはじめて聞いたとき、狂気の沙汰ではないと思った。そして、ネイティブの人たちは、どれほどに強靭なスピリットを持っているのだろうかと、遥かな畏敬の念を抱いたのである。

 グラスホッパーに、「一緒にサンダンスを踊ろう」と言われて、すぐさまにピアスへの恐怖が脳裏をよぎった。ぼくは、その痛みに打ち勝てるだろうか。そして、その傷跡を携えながら、今後の人生を生きて行く覚悟があるだろうか、と・・・。

 しかし、同時に、その大きな試練に立ち向かっていきたいという、渇望もそこに存在しているのを感じるのだった。渇望は、瞬く間に恐怖を飲み込んで、どんどんと大きくなっていく。ぼくは、その衝動に突き動かされ、すぐさまにもグラスホッパーに「サンダンスを踊れるのは、何とも光栄なことだ。ぜひ、踊らせてほしい」と、答えるところだった。しかし、わずかばかりの躊躇が頭によぎったのだ。それは、ぼくのような新参者が彼らのもっとも神聖な儀式に、こんなにも安易に参加してもよいものだろうか、という懸念だ。それを察したのか、グラスホッパーは、ぼくの無言の返答にこのような言葉を返してくれた。「しばし、考えたら良い。また後で、答えを聞かせてくれ」「しかし、サンダンスまで、もうそれほど時間が残されていない。答えがどうであれ、おれはきみがサンダンスを踊るための準備をはじめる。サンダンスを踊るためには、イーグル・ボーンのピアスに、レッドストーンから創る聖なるパイプ、他にもいろいろと準備が必要だ。おれは、きみが踊るためのサポートを全力でするつもりだ。」

 若かかりし頃のぼくは、より大きな挑戦によって、自分がより成長していくことができる場所を常に探していた。旅に出ての日常からの脱却は、同年代の日本の仲間たちができないような経験をすることを意味していた。そこには、日本の生活の中で、常に持っていた劣等感を拭い去っていきたいという思いが含まれていた。その意識は、ぼくをバックパックひとつ担いで世界を巡る旅へと、そして馬での旅へと導いていった。ぼくは、いままでのそれらの経験が我が身となり血となり、今の自分に対する自信へと繫がっているのを実感していた。ぼくは、この旅によって、日本に居た頃の自分よりも、確かに強くなっている。そして、いま、不意にも、新たな挑戦が目の前に差し出された。サンダンス。サンダンスを踊った後の自分を想像したとき、それは、いままでに経験したことがないような大きな挑戦へ打ち勝ったことへの、大きな満足感に包まれていた。そして、また一つ成長できた喜びに、満ち溢れているのだった。まさしく、胸に刻まれたイーグルボーンの傷跡が、また一つ、我が人生に加わった、輝く勲章のように。

バージョン 2


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