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イチゴの最先端:キャリア編~イチゴ作りと仕事の哲学~

2011年3月11日の東日本大震災から今も帰還困難区域を抱えている、福島県大熊町。
しかし、町の人や関係者の努力から、2019年に新庁舎が開庁、2020年には大野駅が営業再開など徐々に町に人が戻りつつあります。
その町に2018年、避難指示が解除された大熊町大川原地区で、新たな産業として立ち上がったのは、IoTを活用するイチゴ植物工場「ネクサスファームおおくま」。
放射能汚染による農作物の流通ストップなどの困難にさらされてきた大熊町ですが、ネクサスファームおおくまは、2020年には農業生産を通じて環境、労働者、食品の安全に配慮した持続的な生産管理、生産活動を実践する農場に与えられる国際認証であるGlobalG.A.Pを取得。質の高い生産と、最先端技術の使用モデルとしても注目を集めています。
「ネクサスファームおおくま」が追求するイチゴ作りの哲学とビジネスとしての成功を掴んだ最先端技術とは?

ネクサスファームおおくまに焦点を当てる「農業編」、工場長・徳田辰吾さんに焦点を当てる「キャリア編」の2回に分けてお送りします。

(書き手:農業編・河村青依/早稲田大学,キャリア編・光野梨沙/上智大学)

キャリア編: 
東日本大地震の後、「人が住まなくなった町」でイチゴ作りを始めた徳田辰吾さん。地元というわけでもないのに、なぜ帰宅困難区域という特異な土地に行くことを決めたのか?
そのキャリアを紐解くことで、現実主義的でありながら情熱に溢れた経営者像が見えてきました。

登場人物紹介
徳田辰吾(とくた・しんご)さん
2018年、福島県大熊町に設立されたネクサスファームおおくまの準備段階から携わり、現在は取締役兼工場長を務める。

<IoT技術を活用した、ネクサスファームのイチゴ栽培の特徴とは?農業編はこちら

「美味しかった」が忘れられなくて。

ネクサスファームおおくまの徳田辰吾さんは、転職の末に大熊町へやってきた。農業、東北、震災復興、どこに興味があって今イチゴ作りをしているのか?
まずは徳田さんが、今につながる原体験を教えてくれた。

「小学校の調理実習で、自分の作ったものを周りの人が美味しそうに食べて、そして褒めてくれたんだ。多分美味しくなかったろうけど(笑)その時に自分は誰かを喜ばせることができるんだって気づいて。その喜びが忘れられなくて、ずっと食の世界に興味を持ち続けているな」

その後の学生時代には、パン屋さんやパティシエを志したそう。一時は専門学校に進学しようとした徳田さんだったが、進路に選んだのは一般大学。そのきっかけはある人からのアドバイスだったという。

「当時の先生に『大学に行けるのだから会計学をやってみたらどうか。視野を広げてみるのもいいよ』と言われたんだ。その言葉に納得して、専門学校志望から方向転換した」

「食」の世界から離れたかのようにすら見えるこの選択。しかしこの決断が、今の徳田さんを形作る上で重要な転換点となる。


キャリアを“掛け算”する人生設計

大学で学びを深めた後、徳田さんは飲食関係の会社に就職。飲食店で接客や店舗マネジメントを行いながら、いつか自分のお店を持ちたいと考えて調理師の免許も取得したのだとか。
ここで、徳田さんの人生設計に通じる印象的なお話しが。

「料理がうまい料理人はたくさんいる。料理がうまくて店舗マネジメントができる人もたくさんいる。でも料理がうまくて、店舗マネジメントができて、接客や交渉に生産工程管理もできて、会計の専門知識を持った人は多くない。
自分の人生、キャリアはそれまでの経験や知識を基として設計していくもの。他人にはない強みをいかに増やして、自分の付加価値を高めることが必要だよね」

「キャリアは掛け算だ」と徳田さんは話す。「食×マネジメント×会計」という掛け算を通してキャリアを豊かにしてきた徳田さんは、そのマルチな視点を活かしてこの後被災地に新しい産業を作り上げるのだ。

ネクサスファームおおくまのイチゴ

被災した町でイチゴを作る?

「大熊町でイチゴをつくる事業があるんだけどどう?」というオファーが飛び込んできたのは、徳田さんが宮城県の農業生産法人に転職した後の話。この頃の徳田さんは商品開発、生産工程管理、品質管理、物流構築に至るまで幅広いキャリアを形成していた。

町役場から伝えられた事業内容は「大熊町復興のシンボルとしてイチゴの栽培施設をつくる」というもの。具体的なことは決まっていない上に、場所は福島の中でも震災の影響が色濃く残る町。そんな大熊町で事業をすることの難しさは、容易に考えられた。

本当に何もなかった建設前の大熊町

一度は断ったものの、検討を重ねる中でオファーを受けることに決めた徳田さん。責任を持てないことを引き受けるわけにはいかないから、自分の経験をフル活用して事業の可能性について正直に話し合ったというが、決断の背景にはシンプルながら情熱を潜めた仕事上のモットーがあった。

「モットーは、『生活できるか、楽しいか、誰かの役に立つか』の3つ。

一つ目の「生活できるか」は、家族を養う上で必要な条件。

一方で三つ目の「誰かの役に立つか」は、自分のモチベーションに関わること。「イチゴによる復興」が成功すれば大熊町のため、町民のため、福島県や日本のためにもなるから条件クリア。農業業界の発展にもつながる仕事だと思っているよ」

さて、最後に残された条件はこの仕事が「楽しいか」どうか。徳田さんはその先に待ち受ける苦労を知りながら、「楽しめる」仕事であることを確信してイチゴ作りに携わる覚悟を決めたのだ。

「当時は人よりもイノシシの方が多いような状況。誰も住まなくなるってこういうことかと思ったし、本当に何もない場所に来たという気がした。
ごはんを食べるお店も街灯もなくて、それはもう大変だったよ。

でも本当に何もない場所で、本当のゼロから事業をするなんてとても貴重な経験じゃない?
覚悟があったから挑戦もできたし、挑戦も楽しめたと思う」

0から作り上げたイチゴの栽培施設

ファームの立ち上げから4年が経とうとする今、徳田さんは「ゼロから何かをするってワクワクすることだよ」と話す。

被災して人が住まなくなった町に何かを立ち上げるほど、ゼロから始まる仕事は他にないだろう。未知数の挑戦を楽しめること、仕事のモットーを明確に設定すること、覚悟を決めたら最後まで責任を貫き通すこと。どれもが、心がけようと思っても難しいことだ。

例えば新規就農するとき、はたまた農業とは関係のない何か新たな挑戦をするときにも、このようなマインドセットこそ重要なはず。勇気と覚悟を持ってネクサスファームを作った徳田さんの姿を見ていると、そのパッションに勇気づけられる気がした。


徳田さんが描く「農業の未来」

最後に、徳田さんが考える「農業の未来」についてうかがった。

「農業は遅れた産業だが、その分だけ伸びしろがある。ネクサスファームでIoTを整備しているように、他の業種を組み入れて開拓していける分野なのではないか。ネクサスファームが農業の最先端を走り、そして大熊町の雇用の場にしていきたい」

ネクサスファームを立ち上げる際、徳田さんたちは10年を超える綿密な計画を立てた。現在の達成状況をうかがってみると、

「成功も失敗もあるけれど、おおむね予定通り。今までに達成できたことはいちごの栽培方法を確立することで、誰でもいちごを作れる環境作りに取り組んできた。今後はよりイチゴの品質を上げていく予定。マネジメントができる人材も育てて、自分がいつ死んでもいいような事業体制を作っていきたいね。

徳田さんと共に働く従業員の方

僕の願いは、30年先もいちご作りが町の産業として残っていくこと。
自分の役目を終えたら、町に居続ける必要はないよ」

現実主義的で冷たい感じもするようだが、その姿勢こそが本質的に大熊町の未来を考えている徳田さんならではのものなのではないだろうか。

「またどこかで、僕のことを必要としてくれる人がいたら僕はどこにでも行くよ。楽しければ」

農業とIT技術、農業と雇用、農業と街づくり、農業にはまだまだたくさんの可能性が秘められている。
徳田さんは今後も、「キャリアのかけ算」を続けていくのだろう。

<IoT技術を活用した、ネクサスファームのイチゴ栽培の特徴とは?農業編はこちら



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