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耳かきをめぐる冒険 第十二話 招き猫耳かきと28歳にして預金残高が4万円になった話

みなさんこんにちは。タバブックススタッフの椋本です。
この連載では、僕の耳かきコレクションを足がかりに記憶と想像をめぐる冒険譚をお届けします。
さて、今日はどんな耳かきに出会えるのでしょうか?

招き猫耳かき
かき心地 ★★★★☆
入手場所 浅草寺の仲見世通り

「耳かきの宝庫」として知られる浅草寺の仲見世通りで購入した招き猫の耳かき。右手には一千万両の小判、左手には打出の小槌を持ち、満面の笑みを浮かべる猫はいささか縁起の渋滞を起こしている。細部にわたる丁寧な色づけに作り手の愛情を感じる一本だ。

ところで、一千万両といえば、先日社会人6年目にして銀行の預金残高が4万円になった。正確に言うと39,398円だ。

統計によると20代後半の日本人男性の平均貯蓄額は300万円らしいので、ざっと296万円ほど足りないことになる。これはおかしいぞと引き出しの奥をさぐってみたがホコリまみれの付箋しか出てこない。僕の全財産は正真正銘39,398円になってしまったらしい。

なぜこんなにもお金がないのかというと、一週間前に自費出版本の制作費を一息に支払ったからだ。有難くも完売してしまった前作の反省をふまえて出来る限り多く刷ろうと考えた僕は、こんな計算式を立てた。

〈全財産 – 1ヶ月間生き延びられる生活費 = 制作費〉

制作費なんてたかが知れてると思うかもしれないが、今作は271ページのオールカラー印刷に加え、表紙は箔押し、そして今や高級製本とされるガンダレを採用している。請求書に記載されたガンダレ製本の欄を参照すると一冊あたり約150円もかかっている(高い…!)。でも、いいのだ。作りたいものを作りたいように作るということが、最も「生きてる!」って感じがするから。

そして持てるお金の全てをつぎ込んだ結果、1300部刷れることになった。次の15日には給料が振り込まれるものの、本を1冊売ることが比喩ではなく明日1日生き延びることにつながるというのはなんだかとてもリアルである。


本の制作を始めたのは今からちょうど一年前。前職のガラスメーカーを辞め、貯金を食い潰しながらまったりと生活していた無職の時期だった。「新作を作りたいなぁ」と思い立ち、企画書を書いてみると10ヶ月間で制作費を110万円調達しなくてはならないことが判明。しかしクラウドファンディングは嫌いだしパトロンもいない。となると自分で働いて稼ぐしかないということになる。現実的に考えると厳しいが、政治学者の丸山眞男が言うように「理想には現実を変えてゆく力がある」と腹をくくって走り出した。

日中は色々と仕事を始めたが、生活はできても制作費までは十分に稼げない。そこで「早朝バイト 下北沢」と検索したところ、池尻の生協の倉庫バイトの募集がヒットした。毎朝5時とか6時に出勤し、3-4時間ほど仕分けしてトラックに荷積みをする作業だ。時給は1200円、1ヶ月で8万円ちょっと稼げる。8万円×10ヶ月=80万円。ウン、いいぞ。勢いそのまま働くことにした。朝焼け空が広がる人気のない茶沢通りを自転車で走り抜けるのは案外悪くない。

ただ計算してみると少しばかり制作費が足りなくなりそうだ。日中の時間は埋まっているから、あとは交際費や食費を削るしかない。そこでほぼ毎食、米と納豆と卵のみで済ますというストイックな食生活を2ヶ月ほど続けてみた。食費は浮くし、体調も割と良い。ただ、たまの飲み会でお酒を飲んだり揚げ物を食べるとすぐに吐く体質になってしまった。そして6月、終電間際の山手線で急性すい炎になった。腹部に走る激痛と額に浮かぶ脂汗…なんとか大崎駅のトイレに駆け込み、朦朧とした意識の中でやっぱりご飯はちゃんと食べようと心に誓った。

他にも通常の仕事に加え一ヶ月間にインタビュー記事を6本書いてみたり(後悔した)、社会保険の支払いを差し押さえギリギリまで延滞したり(意味ない)…。そんなこんなで無茶を重ねて10ヶ月。なんとか目標の制作費を稼ぐことができた。そう、いつだって現実は理想に引っ張られるのだ。

まあ無茶したとは言っても特につらかったわけではなく、自然と身体が動いてくれたように思える。そうして稼いだ制作費を一週間前に全額支払ったため、預金残額が39,398円になったというわけなのだ。なんとも清々しい心持ちである。


とはいえ、肝に命じなくてはいけないのが、どんなに苦労したからといって必ず売れるとは限らないということ。苦労と売上の間には何の因果も存在しないのだ。

では多くの人に手に取ってもらうためには何が必要か。技術や経験、才能やセンスはもちろんだが、さいごのさいごに重要になるのは「運」の要素であると思う。

「運」は能力や想いの強さでコントロールできるものではない。日本人は古来からその気まぐれな「運」の習性と重要性をよく理解していた。だからこそ、幸運を引き寄せるために手招きをする(一見奇妙な)猫を「縁起もの」として今日まで大切にし続けてきたのだ。僕らはいつだって幸運がやってくる「かもしれない」という可能性に期待を寄せて、様々な物事や兆候に特別な意味を見出すのである。

この本がここからどんな動きを見せてくれるのかは分からない。ただ僕は、この10ヶ月の制作の日々が良い運を引き寄せてくれると信じたい。

心もとない預金明細の残額をよく見ると、39(サンキュー)が2つ並んでいることに気がついた。しかも末尾は末広がりの「八」ではないか。なんとなく、良い運がすぐそこまで来ているような気がした。

(椋本)

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