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5.あなたのそれはコルセットかも?/生田美保

入院して強制的に食事をしないといけない状況というのは、「本当にこのままだとヤバい状態」なわけですよ。なのに医者に危険だと言われるのも心の中では嬉しくて。

‘진짜 이러다 큰일 날 상태’라는 게 입원해서 강제로 음식을 먹어야 되는 상황이거든요? 그런데 의사가 위험하다고 말하는 것도 속으로는 좋아요.

イ・ミンギョン『脱コルセット 到来した想像』 第12章「死から生へ」より

 2003年からソウルに暮らしている。最初は私も20代の学生だった。学校で見かける普通の韓国人の女の子たちは、まだみんな素朴なファッションをしていた。だいたいは化粧なんてしていなかったし、トレーナーにチノパンみたいな格好で学校に「本当に勉強をしにきている」子たちが多かった。

 もちろん、当時も「着飾らなくてはいけない場面」、「自分を美しく見せなくてはいけない場面」というのはあった。合コンに出かけるときもそうだし、特に就職を控えた学生たちは、容姿を気にしないわけにはいけない。大企業に入れるかどうかでその後の給料が全く違ってくるので、書類で落とされては泣くに泣かれぬと、少しでも多めに修正してもらえる写真館に履歴書用の写真を撮りに行ったりしていた。でも、社会人になる前の普通の女の子が「毎日つねにきれいであること」は今ほど要求されていなかったように思う。少なくとも、アラフォー世代の“学生時代”には。

 しかし、世代が下がると話が変わる。2000年以降、韓国は一気に美容大国にのぼりつめた。毎日至るところで目にする美容整形や審美歯科の広告。そして、テレビをつければ、スタイル抜群のアイドル歌手だらけ。また、ここ10年くらいは、「小中高生にも人権を!」という流れの中で、学校での持ち物検査が禁止され、頭髪も自由に、メイクやマニュキュアなども比較的自由になった。すると今度は、オシャレをしないと友達づきあいも難しい環境になった。そういう日常を過ごしてきた女子たちの間では、11月の大学修学能力試験(日本の大学入学共通テストみたいなもの)が終わった途端に、整形に通いだすことも珍しくない。そして、社会に出て露骨な外見差別を目にしてきた親たちも、割りとこれに肯定的だ。

「K先生は一回も同じ服を着てきたことがないんだよ」。

 小学生の息子が塾に通いだして1年くらい経ったころに言った言葉だ。小学生の、それもファッションにまだ興味がなく、毎日ジャージばかり着ている男児の言うことだから、最初は話半分くらいに聞いていた。でも、忘れた頃にまた「K先生ってすんごいお金持ち」と言うので、「なんでそんなこと分かるの?」と聞くと、「毎日違う服着てる」と言う。もちろん私はK先生の私生活は知らないが、20代の若い先生だから、上述したような学生時代を送ってきたのではないかと想像する。
今回、8人の女性がチームとなって翻訳した、イ・ミンギョン著『脱コルセット:到来した想像』にも、K先生と同じように毎日新しい服を着ることにこだわる塾講師のハンビという女性が出てくる。

ついこのあいだ、9月の末頃に炎上したニュースがある。きっかけは、あるオンラインコミュニティサイトになされたこんな書き込み。

『一週間だけ着て返品するつもりだった服に、コーヒーをこぼされました。なのに向こうは、服代は弁償できない、クリーニング代だけ払うって言うんです。私は買うつもりもなかった20万ウォンの服をずっと着なくちゃいけないことになりました。どこかに通報したり、服代を払わせる方法はないですか』

 この書き込みをした人は、服を買うお金がないので、(タグをつけたまま)一週間着て、返品・払い戻しを繰り返してきたというのだ。この行為を批判するコメントに対しては、「お店の払い戻し規定にも違反していないのに、なにが悪いのだ」と強気。もちろん、これは極端な例で、すべての若い女性がこうというわけではない。実際、批判が殺到したからニュースにまでなったわけで。だが、示唆する点は大きい。

 どうして若い女性は、お金をあるだけ全部、服につぎこまなくてはいけないのか。どうしてお金がないのに、こんなにまでして新しい服を着ようとするのか。

 理由の一つに「外見権力」がある。ルッキズムによって生じる権力のことだ。ところで、その権力は、いったい誰によって与えられ、誰に対して行使するものなのだろう。男の視線で女が品評されてきた歴史と、連帯すべき女同士のあいだで美を競い合う理由を考えてみる。服を脱いだら消えてしまう権力。化粧を落としたら消えてしまう権力。体が老化すれば消えてしまう権力。どうして女は、そんな薄っぺらい権力を手に入れようと必死になって、自分自身を追い込むのか。

 その権力へのあこがれが過度に進むとどうなるか。「プロアナ」という言葉をご存知だろうか。拒食症を表すアノレクシア(anorexia)に、賛成する・支持するという意味のプロ(Pro-)がついたもので、拒食症をライフスタイルのひとつととらえ、それを目指す人たちを指す。韓国には「ピョマルラ族(뼈말라족)」という言葉もできた。ピョ(骨)+マルラ(痩せる)で、骨が浮き出たガリガリの体を意味する。彼女たちのあこがれは、ストッキングがだぶつく細い細い、細い脚だ。上述のハンビもプロアナだった。このブログの冒頭に載せた文章もハンビの言葉だ。命を危険にさらしてまで手に入れたい権力とは何か。

 自分の20代の経験を振り返っても、私みたいな40代の人間から「痩せなくてもいい、着飾らなくてもいい」と言われたところで、若い彼女たちの心に響かないかもしれない。でも、だからといって黙っているのは違う。私たちのまわりには、外見以外にも女を締め付けるコルセットがあふれている。態度や考え方まで締め付けるコルセットは、女性の行動を、女性の人生をも締め付け、自由に動けなくする。20代でそれに気づいて、コルセットを脱ぎ捨てたハンビの言葉を借りて、この原稿を終わりにしたい。「フェミニズムって男の悪口を言うことじゃなくて、女自身が変わることなんです」。

生田美保(いくた・みほ)
2003年より韓国に暮らし、会社勤めと子育てのかたわら翻訳に携わる。訳書に『野良猫姫』(ファン・インスク著、クオン)、『中央駅』(キム・ヘジン著、彩流社)、『いろのかけらのしま』(イ・ミョンエ著、ポプラ社)。『怠けてるのではなく充電中です』(ダンシングスネイル著、CCCメディアハウス)など。


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