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コロナの時代の育児―育休復帰篇・前編/谷崎由依

4月23日(金)
 緊急事態宣言の発出が決まった。発出そのものは月曜から。今日決めるということを数日前に確か決めていたような気がする。決めることを決めることを決める、みたいな。いったいそれはなんなのだ?
 昨日のオンライン授業を踏まえて、いろいろやることがある。わたしの勤務する大学は、今年度の授業運営について、対面とオンラインを併用しつつやるという方針を2月くらいまでは打ち出していた。それが3月になって急に、全面的に対面で行うというふうに方針転換された。文科省から何か言われたせいらしい。新学期になって蓋を開けてみればキャンパスはひとでごった返しており、教室に入りきらずに床や廊下に溢れて授業を受ける学生の様子がツイッターで拡散され、メディアにも取りあげられた。それが理由かどうかは知らないけれど、やっぱりオンライン併用します、と大学側が慌てて言い出して、一週間の準備期間を設けたのち、今後は隔週での対面授業という方針に、4月中旬からなっていた。つまりキャンパス内の施設を、この週は文芸学部と法学部と経営学部で使って、次の週は残りの文系学部で、というようにかわりばんこに対面にして密を避ける、という理屈のよう。そんなにうまいこといくかなあと思っているうちに、緊急事態宣言が出る運びに。 
 昨年度は育児休暇を取っていたので、オンライン授業ははじめてなのだった。大学のアカウントでZoomに入るやり方から、何から何までわからない。最初からオンライン前提で進めていたならもっと準備もできていたはずだけど、3月はひたすら対面授業に怯えてすごしていたので(職場までは片道2時間電車に乗るし、感染拡大している大阪方面にはできるだけ行きたくない等)、いろいろと無駄だったことになる。とりわけやっておけばよかったと思うのが、授業で使う資料の紙での配付だった。これは事務に頼めば業者にまわして印刷しておいてくれる。半期の授業で使う分を、一冊にまとめて簡易製本し、初回の授業で配っておけば、その後学生たちはPDFをプリントアウトするためにいちいちコンビニへ走らなくてもすむのだ。お金だって使わせなくてすむ。デバイス上でももちろん読めるが、紙媒体に鉛筆でメモしながら読むのとでは、理解度も目の疲れ方も違う、と、わたしは考えている。
 初のオンラインでの講義が昨日だったのだが、そこで学生から出たアイデアが、隔週である対面授業のときに紙で資料を配っておく、というものだった。それで今日は朝から事務に電話をかけ、こちらから原本をPDFでメールし(普通は直接紙で渡す)、印刷所へまわしてもらう算段について相談した。来週あるはずの対面授業に間に合わせるには、今日手続きしなければならない。しかし緊急事態宣言の発出が決まっている状況で、そんなことをしても無駄ではないのか。「緊急事態宣言出たら、授業はすべてオンラインになるんでしょうか」つまり紙の資料は渡せなくなってしまう。「それはここではわかりません」ということで別部署に問い合わせるも、まだ偉いひとたちが会議中で、はっきりしたことは言えないのだという。
 またオンライン授業で使うマイクを購入することにしていたので、それについても方々に連絡する。その過程で、まあ当然すべてオンラインになるでしょう、という同僚のメールに行きつき、まあそうだよね、ということで、マイクも判子の必要ない個人研究費で買うことに。
 大学という場所はたくさんの人間が動くから、ひとつ行動するにしても幾つもの段取りが必要になる。そんな世界で、大局において右往左往されるととても困る。元凶はオリンピックに決まっているのだが。
 それにしても、ということは、4日前の月曜が当面最後の出校日ということになる。迫りくる保育園のお迎え時間を睨みつつも、すべての教材を念のため自宅へ送っておいてよかった。まるで夜逃げのような作業だったが、あれをやらなければ詰んでいた。

 午後は整骨院へ。1歳3ヵ月になる子はまだ母乳を飲んでいて、夜中にその姿勢のまま寝かしつけるので、ものすごく肩が凝る。鍼を刺しても刺してもよくならない。
 帰りに花屋に寄る。玄関に飾る枝ものを求めると、地下に案内された。ひんやりとしたそこは壁いちめんに緑のものがあった。目にとまったのを訊くと、ウツギで、白い花がこれからたくさん咲くという。
 ほかにはボロニアとダリアの鉢を。どちらも盛りはすぎている。紫陽花が旬だと言われるが、まだ紫陽花の気分ではない。ぜんぶで四千円のところを三千円にしてくれた。
 ボロニアは金平糖のような、ピンク色の細かな花が華奢な葉をつけた枝のあいだにたくさん咲いていた。エリカに似ていたが、調べると蜜柑科らしかった。道理で匂いがよい。鉢花と思うと残りが少ないけれど、切り花の代わりならと、ダイニングへ置く。

4月24日(土)
 起きると子の額が熱い。37度で微熱がある。そういえば昨夜、咳がよく出ると思ったのだった。保育園に通っているため、しょっちゅう病気をもらってくる。
 ネットの予約システムは埋まっていたが、朝いちばんで電話を掛けると、すぐ来られるなら診るという。急いで準備をして病院へ。コロナ禍のため風邪症状の患者は発熱外来として建物を分けている。聴診器を当ててもらったところ、肺の音はきれいでほっとするが、鼻水が喉に入って痰が絡んでいるらしい。子どもは痰が出せないので厄介である。
 背中に貼って咳を止めるテープと飲み薬をもらって帰る。日中はたいしたことはないのだが、寝入りばなの咳がひどい。やっと寝ついたと思ったら咳で起きる、を、昼寝どきと夜は何度も繰り返す。寝るまでに2時間くらいかかる。寝かしつけは夫には無理で、わたししかできないので消耗する。子もつらそうで可哀そう。

4月28日(水)
 月曜からの緊急事態宣言発出に伴い、大学の入構制限はステージ5へ。隔週で対面という4月半ばの計画にもとづけば、対面授業のあるはずの週だが、従ってそれもオンラインに。
 水曜は授業を入れていないのだが、明日が祝日で休みのため、授業回数の関係上、木曜の時間割になっている。キャンパスの建物に集っていなくても、大学という場は仮想のかたちでここにあるのだった。ここ、というか、関係者たちを、インターネットの網の目で繋いだそれが、“大学”なのである。

 オンライン授業の疲れるところは、なんといっても受講者の顔が見えないところだ。去年などはビデオをオンにしていた学生もそこそこいたらしいのだが、今年はオンライン2年目だからか、講義科目では当然のように誰も顔出ししていない。真っ暗な画面に向かって喋っていると、この向こうに誰もいなかったら、というような気持ちになる。それは不安というのとも違って、やはり何か、じわじわとした疲弊、というのに似ている。終わるとものすごく肩が凝る。
 とはいえ創作の授業なので、双方向性を担保しないことにはどうにもならない。毎回の授業終わりにコメントを提出させることにした。すると、これが結構面白い。一年生向けのクラスでは森茉莉の『記憶の絵』を読んだのだが、その感想もいいのがあるし、何よりこの授業が楽しいというコメントが散見されて嬉しかった。オンライン授業初心者で手探りのため、ひとまずほっとする。
 次はどんなコメントがくるかなと、時間をおいてグーグル・クラスルームをひらいてみるのだが、提出者が増えない。60人前後で止まっている。おや? 受講者は80人いるし、Zoomの参加者も80人を数えていたはずだけど。
 ははあ、これがそれか、と思い当たる。Zoomは繋ぐだけ繋いでゲームとかしてる学生がいるとかいないとか。まあ対面授業でも80人の履修登録者が全員出席しているとかあり得ないので。ならば今後はこの授業終わりのコメントを出席に替えるとしよう。

5月1日(土)
 子の風邪薬がなくなったが、風邪は治っていないので、午前中また病院へ行く。薬局で薬を待つあいだ、ついでの買い物を籠に入れると、子も真似してあれこれ入れようとする。棚と椅子とのあいだをよちよち往復するのを、居合わせた女性が笑顔で見て、すると子もにっこりと笑って返す。ずっと人見知りが強かったが、このごろは母くらいの年格好の女性に対してだと、かなり懐っこい。反対に、父のことはしばしば嫌がる。夫は娘のことが大好きなので、少し傷ついている様子。

5月3日(月・祝)
 子がわたしにべったりで、家で夫が見ていたとしてもどんどんわたしのほうへ来るので、まったく休めないし家事もできない。そこで一緒に出掛けてもらうことにし、そのあいだに懸案だったベランダの掃除をする。
 ウッドデッキに溜まった落ち葉を取り除き、浴室から引いてきたホースの水圧でゴミを洗い流す。途中で帰ってきた子が窓に張りついて、水の動きをじっと見ていた。

5月4日(火・祝)
 昨日、子とふたりで京都御所へ行った夫が、連休中でもそこそこ空いていた、と言うので、今日はわたしも一緒に、三人でまた御所へ行くことにする。明日は雨だし、休みのあいだに一度は一緒に出掛けたい。
御所内の北に児童公園があるらしく、そこを目指した。行ってみると親子連れで賑わっている。ぜんぜん空いてなどいない。取りわけ混んでいるのが中心部の丘のようになったところで、シャボン玉師のひとが来ていて、巨大なシャボン玉製造器で大量のシャボン玉を飛ばしている。子どもが大勢わあわあと群がっており、雲ひとつない晴天のひかりのなかで、何かこの世ならぬ光景にすら思える。
 はじめて来る場所で子が落ち着かないため、作ってきたお好み焼きもどき(細かく刻んで炒めた肉と野菜をパンケーキ生地に入れて焼いたもの)を食べさせる。ひとけのない樹木の下あたりなどを歩かせてみるが、すぐに手を伸ばして、抱っこをせがんでくる。
 仕方ないなあと抱いて歩きながら、密、と警戒していたシャボン玉のほうへ。興行師は長い二本の棒に鎖を渡したものを使っていて、シャボン液の入った皿に浸すと、鎖の輪のなかに皮膜ができて無数の泡になるのだった。棒を動かすと膨らんで、石鹸質の膜でできた玉が、はじめはおおきく、やがてだんだんちいさなものに変わりながら飛んでいく。空中に放たれるそれは、シャボン玉というより水底の気泡のようで、乾いた5月の公園につかのま水を幻視する。乾いた海、とでも言うべきもの。
 抱きかかえた子にシャボン液がつかないよう注意しつつ(帽子をかぶせているので、あまり気遣いはなかった)、そのたくさんの泡のあいだを縫うようにして歩いた。足許を駆けまわる、大人の背の半分くらいの子どもたち。その子たちにも近づきすぎないように。歓声がまぼろしみたいにこだまする。
 きゃー、と声をあげて笑う我が子を、擦れ違ったどこかの女のひとが、「あら、赤ちゃんも喜んでる」。
 赤ちゃん。まだ赤ちゃんなんだな。わたしにしてみればもうずいぶんおおきくて、ほんとうに赤い肌をしていた新生児のころや、寝返りやずり這いで進んでいたころが、懐かしいような寂しいような心持ちがするくらいなのだけど。

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コロナの時代の育児/ 谷崎由依

谷崎由依(たにざき・ゆい)
1978年生まれ。小説家、翻訳家、近畿大学文芸学部准教授。2007年「舞い落ちる村」で文學界新人賞、19年『鏡のなかのアジア』(集英社)で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。ほかの著書に『囚われの島』(河出書房新社)、『藁の王』(新潮社)、『遠の眠りの』(集英社)。訳書にジェニファー・イーガン『ならずものがやってくる』、コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』(ともに早川書房)など。20年1月に出産し、夫と子と三人で京都に暮らす。この4月より大学にも復帰。


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