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ぼくが論理学を勉強する理由

近頃、論理学にチャレンジしています。その初心に帰るために記事にまとめようと思いました。

論理学というのは簡単に言うと「論理とはなにか」という問いに答えるためにいろいろと考える学問です。

そして、面白いことに論理学は現在では唯一無二の論理があるとは考えられていません

いくつかのバリエーションがあって、あっちの論理学ではこれが成り立たないけどこっちでは成り立つ、などさまざまな点で異なったりします。

わかりやすい例を挙げれば、矛盾を許す論理学というものがあったりします。これは古代ギリシャ時代から続いてきたアリストテレス論理学とはもはや異なる論理学です。

しかし、それはそれで論理学として成り立っています。

ぼくはこのようなことを知った時に大きな衝撃を受けました。論理学というのは数学の基礎でもあるので、唯一無二の心理に近い当然成り立つべきものだと思っていたからです。

その論理学にさまざまなバリエーションがあるなんて、そんなことあってよいのか?

そのような疑問を持ったことも論理学を勉強するようになった1つのきっかけです。

そして、なにより、ぼくの中では論理学は倫理学と深いつながりを持っています

これはべつにゴロが似ているからとかそういうことではなく、単に倫理学的な議論を明晰にしていこうとするとそこには論理が絡んでくるはずです。

そのときに使用する論理があやふやなものであってはならない。人間の感覚だけに頼らず、わからない問題には徹底的にメスを入れられるような道具でなければならない。

そして、倫理学的な分析が人間の言語によっては不可能であるのならば、それもまた論理によって示されるべき事実です。

つまり、倫理的に生きるために、正しく善く生きるためには何が必要なのか。これを議論し考えていくうえで、現人類の持っている道具はあまりに貧相だ。そう感じます。

善く生きるとはどういうことか。これは古代ギリシャより議論されてきたことと思います。

しかし、人類はまだそれを議論するための道具すら整えられていない。

ぼくが本当にしたいことは倫理的に善く生きるということです。そのために論理学を整えるなんて遠回りしていたらその間に人生が終わってしまいそうです。

でも、だからといって「善く生きるとはなにか」という問いに、実践だけでぶつかっていこうとは思えないのです。

どうしても議論できるだけの下地を整えるほんの一助を与えるくらいの努力はしてみたい。

それが論理学を勉強する理由です。

でも、いつまでもそんなことしていたら死んでしまう。

まったくどう生きればいいのやら。

そんなことを考えながら、論理学を勉強しています。





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うつの経験があり、人生で2回メンクリに通院しました。根本的に自分の心理面を見直すことでかなり改善し、うつを治す上で自分の心理を丁寧に分析する大切さを知りました。うつから立ち直るために必要だったことや、その後生きていくうえで大切だと思ったことを発信します。
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