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根本は変わらないのだ

小学生の頃、めちゃくちゃハマっていた。
両親は共働きで家にはいない。帰るところのない私は、学童に預けられていた。

上級生たちと遊ぶ。弟がいるのに、昔から年下が苦手だった。無遠慮に距離を縮められると戸惑ってしまう。同級生は馴れ馴れしい上に、面白くないから好きではなかった。

カードゲームをする時、よく声をかけられた。
今でも思い出すゲームだが、正しい名前を知らない。ルールもイマイチ思い出せない。でも最高に面白かった。自分から誰かを誘うことは今でも苦手だが、当時このゲームがやりたすぎて人を誘いまくっていた。とにかく、片っ端から声をかけまくる。とんでもない尻軽女だ。

「水道管ゲーム」と呼んでいた。
手札が配られて、ひたすら水道をつなげたり修復したりという内容だったと思う。
ハマっていた物だが、ここまで思い出せないとは。間違いなくブームだった。しかし学童をやめてからやっていなければ、見てもいないので記憶が薄れていくばかりなのだ。
とにかく水道のゲームだった。それだけの記憶だ。誰か知っている人はいないのか。やりたい。無駄遣いはしないし、職場でドケチNo.1の座を手にしている私が自腹で購入しても良いと思うぐらいには思い出のあるゲームなのだ。
なんも思い出せないのに、ただ面白かったという記憶だけが先行しているゲームだ。
見つけたらもう一度やりたい。

もう一つハマっていたものがある。
これは水道管ゲームがやりたいのに人が集まらなかった時にやっていたゲームだ。

「ダイヤモンドゲーム」
単純なゲームだ。コマを反対側に移動させれば良いだけなんだが、なかなか頭を使う。
おもしろい。変にややこしいルールがない分、シンプルに頭を使うだけのゲームだ。
これもまたやりたいと思うが、勝ててしまうのだ。勝てるゲームはつまらない。
勝ちの回数より少し負けが多いくらいの方が燃えるだろう。
私はきっとギャンブルには向かない性格だと思う。勝てるゲームはつまらない。負ける可能性が見える方がうんと興奮する。

中学生の時、一度ボードゲームから離れた。しかし高校生で再熱する。
流石に現金を賭けるわけにはいかない。現金を“物”で見える化する。
学校前のスーパーでお菓子を大量に購入しロッカーに常備。
放課後のチャイムがなったら、机に集まってトランプ大会だ。全員がルールのわかる大富豪でお菓子を賭ける。賭けるお菓子がなくなったらその日は終いにする。

掻っ攫ったお菓子は食べずに次のゲームに持ち越す。
毎度「これはこの間〇〇ちゃんから貰ったお菓子だよ。」なんていらん説明をしてから置く。貰ったもなにも勝って得た菓子だ。
そんなことをして遊んでいたことを懐かしく思う。


大人になって、流石に何かを賭けたりはしない。
ただ仕事の休憩時間にオンライン花札で対戦相手をボコボコにする。そんな程度だ。



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