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誰しも間違えるしのんびりいこう

産まなきゃ良かったとか、
いなければ良かった、

なんてことを母親から言われたことがあるし、

おまえを殺して俺も死ぬ、
と父親から言われたこともある。
包丁持って追いかけてきた父親は今では良い思い出だ。

こんな出来事を、
「今では良い思い出だ!」
なんて笑っていられる私は強いと思う。



自分の自信のなさに嘆き、本を読んでいた。

最近流行りの“自己肯定感”とは何なのか。
自信があるとかそういうのとは違うのかと。
その中で、自己肯定感と自己効力感という言葉を見つけた。
似ているようで違うと書いてあった。

たまにある自分への何とも言えないような自信というか、
自信と言い切るには脆いそれは、
自己効力感だということがわかった。


私は自分のセンスを信じているし、
私のことをセンス良いと言ってくれる人には
「私のセンスが理解できるなんて、キミはセンスいいね」と
本気で思っている。


こういう一部分だけをみれば、
自己肯定感の高い人間に見えるだろう。

ただ一部分なのだ。
学がない、スタイルが悪い、純粋で人の言ったことを信じすぎてしまう、お世辞を間に受ける、そんな自分は嫌いで仕方がない。

どこで何してても劣等感は付き纏ってくる。
資格を取っても、ファッションを学んでも、何をしてても。


こういう自己否定的気持ちを突き詰めていくと、
両親との関係が出てくる。
何を見ても両親との関係が出てくる。
親との関係は避けては通れないのだ。不可避。


そして冒頭に戻る。
良い思い出だと笑っていたが、
少なからず私はダメージを受けてたみたいだ。


過去は変わらない。
むしろ、あの出来事を良い思い出だと言える自分は中々良いのではないか?



親も人間。
親という役目があるだけで、
同じ人間だから間違えることもあるし、
自信がないこともあるだろう。

ああして!こうして!と人をコントロールしようとしてしまうミスだって、誰にだってある。


無条件に愛されるものだと思っている子供には
それは酷かもしれないが、
親だって、完璧じゃない。


親の自己肯定感が低いと子も低くなるらしい。

どうりで、私の両親は否定的で、攻撃的なわけだ。
と、勝手に結びつけるのは些か可笑しな話だ。
でも何となくわかる気もする。
本の内容は半分だけ間に受けることにしよう。

ポリスの叔父が言っていた。
信じすぎも良くない、世の中良い人ばかりじゃないと。


人の目を気にして、
しっかりしなくていいし、
強くいなくてもいい、
行き急がなくてもいい。

私は、
マイペースで、
抜けていて、
変に真面目な
そんな自分の方が

生きやすくて好きだ。


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