8.偶然の重なりって、結局必然な出来事で計画されていたらしい!

今年2020年に、最後の作品製作を手伝って欲しいと言ってくださってる先輩画家O先生から、10年以上前に今は亡き先輩画家のKu先生を紹介されました。

そしてKu先生が私の個展で紹介してくださった方が、松島瑞巌寺の前ご老師様の奥様でした。その方が天麟院さんとも繋がりがあることがわかったのは天麟院の五郎八姫様ご霊廟再建漆塗り作業も終えた後で、、、それは今から数年前のことでした。その後奥様に連れられて、瑞巌寺の現在のご老師様に紹介されたり、大法要に参加させていただいたりしました。

話は戻り、天麟院のご霊廟漆塗り作業のいよいよ最後の段階でへんがくの修復に入りました。漆の先生が修復をしていましたが、何と私に額に書かれた文字の左端の朱漆(朱色のうるし)をやりなさい、と言って下さったのでした。

そんな大切な部分をやらせて頂けるなど思いもよらなかったですが、敷物の上に平らに置いて細い筆で丁寧に修復させていただきました😲

金箔も貼り直され、文字も完成し、今では立派にご霊廟の正面に掲げられています。

今年令和2年12月に天麟院でご住職とお話しした際。その、へんがくの文字は何と、瑞巌寺前ご老師様が書かれたものだと知りました。「え?え?っ」と2度見、と言うか2度聞きしてしまいました。「えーと!えーと!前ご老師様とはあの奥様の旦那様?で、、え~、、、えー?その方が書かれた文字だったのですか?」、、、と、本当に驚きました。

するとご住職が、「今さっき奥様来られて本堂で家の家内と喋ってるよ!あれ?会ってなかった?」と言うのです。

またまた私は「えっ?えっ?奥様今いらっしゃるのですか?」と聞いてしまいました😁本堂に行くと天麟院の奥様と仲良くお茶飲みしてました。奥様も私をご覧になり、「えっ?えっ?TAKAKOさん?なの?久しぶり~びっくりしたわぁ」と。

何年ぶりかの再会でした。一年に一度訪ねるかもわからない天麟院さんでこうしてバッタリお会いしたのも、ご老師様や五郎八姫様のお取り計らいなのでしょうーと本当に不思議に思う、ご縁の深さを感じさせて頂く事件でした。

先輩画家のKu先生は仙台市内のある劇団の背景画家として所属されてましたが、歳だからTAKAKOさん代わりに入ってくれない?と勧められました。2年位経ちようやく所属した後に、東日本大震災が起こりました。

震災の翌年、仙台市の防災活動の一貫でメディアテークと言う各種イベントができ、図書館もある施設にて、震災で津波被害にあった方々の実際の体験談を朗読劇にまとめた中で私も出演させていただきました。その背景で4枚の油彩画を制作し、プロジェクターで舞台後ろの壁に大映ししました。

震災前のその土地の風景、津波が来た瞬間、津波後、津波後の希望を描いた絵、の4枚でした。不思議にこの絵から色々な感覚が出てきてしまい、霊感のある劇団員もそれを感じていました。結局この絵は不思議過ぎて迫力や見えない世界からの何かを感じすぎるので、しかるべき飾る場所が出てくるまでは、しっかり封印して保管してます。

この朗読劇で、実際津波被害から生き延びた方々が未来を見て下さりその後も明るく生活していらっしゃる報告など受け、すこしでもお役に立てて良かった、、、と皆で喜びました。翌年は仙台市から依頼受け、更にグレードアップした朗読劇を演じさせて頂きました!

それから数年後に、瑞巌寺前ご老師様の奥様を劇団に連れていって差し上げると、ご興味持たれ入団となりました。元々Ku先生が所属していた劇団に、先生から紹介された奥様を今度は私が紹介して、所属することになるなんて、、、。

しかも、その後理由あって私がその劇団から抜けても奥様は今も所属してます。

ぐるぐる回る、ご縁が繋がり、不思議な出会いや再会、、、面白、、不思議❗偶然と見せかけて実は必然だったのかな?と思う連続が人生なんですかね~?と思ったのでした😄









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