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20世紀の天才が考える戦争への心理とは?【ひとはなぜ戦争をするのか】

 おはようございます.遠隔授業で進捗MaxなYoshidaです.

 今回の本のoutputは,講談社学術文庫で,A・アインシュタイン,S・フロイトの文通である「ひとはなぜ戦争をするのか」です.この本について語っていきたいと思います.

普段の本のoutputならいきなり本編を語りだすのですが,まず,背景から語っていきたいと思います.この本は,背景が重要になります.

背景と人物

 この本は,1932年に国際連盟がアインシュタインにした依頼です.

今の文明でもっとも大事だと思われる事柄を取り上げ,一番意見を交換した相手と書簡を交わしてください.

この議題にアインシュタインが選んだのは,戦争,そして相手は心の専門家フロイトです.

 アインシュタインといえば,相対性理論(E=mc^2)やマンハッタン計画と,第二次世界大戦後の平和運動を思い浮かべるだろうと思います.言わずと知れた物理の天才です.


 一方のフロイトといえば,あまりイメージがない人も多いかもしれません.フロイトは,オーストリアを中心に活動した精神医学者で,精神分析の創始者です.心の状態について考え,自我や意識について考えました.心の天才です.

 特に,人間の心には,無意識の領域が存在し,無意識が意識に影響を与えると考えたことは,現代でも,精神状態や心についてのお話を聞いたことがある人なら聞き馴染みのあることかもしれません.

 あるいは,防衛機制などは高校で倫理を学習した人には,覚えている人も多いかもしれません(清水書院の倫理の教科書の画像張っておきます).まあ,その通りですね...

 

さて,この2人は,どちらもユダヤ人です.そして,特筆すべきことは,この書簡が交わされた翌年1933年,ドイツはナチス政権が誕生します.

 アインシュタインは武器隠匿の容疑で家宅捜索をうけ,暗殺の脅威すら感じ,アメリカへ亡命します.
 フロイトもまた,家宅捜索をうけ,自分の本が発禁になり,ついに亡命し,第二次世界大戦がはじまる1937年に亡くなります.
 さらに言えば,フロイトは,第一次世界大戦中ウイーンでの寒さと飢えと苦しみに耐え,弟子たちの支援で何とか生きてきました.そして,その後死別や離反が相次ぎながらも,診断と執筆をしていたのでした.

 結局,この本もまたナチズムの一つの犠牲者や,戦争の被害者かもしれません.

 おそらく,当時の2人もナチズムの脅威や,世界が狂気の時代へ突入していく足音を聞き,恐怖を感じていたかもしれません.しかし,それぞれに学者ですから,具体的な脅威(ナチズム)には触れることなく,少々抽象的な戦争そのものについて議論します.

 だからこそ,今読んでいて,とても含蓄のある内容です.

アインシュタインの手紙 ―人の本能が戦争を引き起こすのか?―

 技術が大きく進歩し,兵器も強力になる中で,戦争は,人類の滅亡と繁栄をも決定してしまうようになりました.実際,第一次世界大戦での死傷者はこれまでの戦争を大きく上回ってます.この問題には,解決策が見つかっていません.

 このために必要なのは,もっと人間そのものの根底にある,人間の生活や人間の衝動,つまり心に深く精通した人だと,アインシュタインは考えました.だからフロイトに手紙を出しました.


 ナショナリズムに縁のないアインシュタインにとって,戦争の問題を解決する方法は,全ての国家が一致団結して国際機関を創り,国家間における立法権と司法権を与え,各祭問題の解決をゆだねること,だと考えています.

 さて,アインシュタインは,ここで司法権について疑問を投げかけます.司法権,すなわち裁判は,人間が創り上げたものですから,裁判官の良心に従った判決であったとしても,その判決を実行する権力が必要になります.

ですから,決定を押し通す権力が必要な,国際的司法機関は実現できないようにも思えます.一方で,この国際的司法機関のために,各国が主権の一部を完全に放棄することができれば,可能かもしれません.

 次にアインシュタインは,心の問題に言及していきます.つまり,人の心の中には,平和の努力に抗う様々な力が働いている,ということです.

 アインシュタインなりの考察の答えを提示します.

人間には本能的な欲求が潜んでいる.憎悪にかられ,相手を絶滅させようとする欲求が!

 この破壊の衝動は,特別な事件が起きたときに,顔を出します.しかし,この特別な事件は,簡単におきてしまうのです.


 最後に,アインシュタインは,問を投げかけます.この破壊への衝動という心の病に侵されないようにすることはできるのか?です.

 そして,アインシュタインこの問題を教養の問題として考えていません.むしろ,教養のある人(知識人)は,この大衆操作の暗示にかかりやすいと言います.なぜなら,知識人は,現実を,自分の眼と耳で捉えないから,そして神とペンによって,練り上げられた複雑な現実を安直に捉えようとするからだと,説明しています.

フロイトの手紙ー外面的事象から世界平和は実現できるのか?―

 フロイトは,権利と権力の議論から始めます.しかし,権利と権力を法と暴力と読み替えて,それらは,密接な結びつきがあるとして議論していきます.

 対立する敵を徹底して倒するために,人間は敵を殺す戦略をとります.このメリットは,その敵と再び相まみえる必要がなくなること,他の敵への見せしめになること,それに加え本能的な欲求(後述)が満たされます.
 このような戦略は,支配に対してもいえることです.暴力による支配がそうです.次に,特定の個人の暴力よる支配の対抗軸として,集団や共同体の権力が誕生します.
 この共同体の権力は,共同体に所属する各個人の意見の一致と協力や感情の結びつきなしには続きません.

 つまり,法や権利による社会を持続的なものにするには,まず人々の間に感情の結びつきや一体感,権力を集団に委譲される必要があります.


 ここまでの議論にはある大仮定がありました.それは,社会を構成する個人の持つ強さが,同程度であることです.ですが,実際には,個人には,所得・年齢・身体的特徴に起因する様々な格差が存在します.ですから,ここまでの議論は,現実には実現できません.
 そして,社会の法(権利)とは,こうした現実の格差や不平等な力関係を映していることになります.法律は支配者により生まれ,支配者に都合よくできています.被支配者の権利など考慮されないものです.


 しかしながら,社会には法を揺るがし,同時に法を発展させる要素があります.社会のパワーバランスの変化と文化です.しかしながら,パワーバランスが変化するとき,ともすれば反乱や内戦が起き「法による支配」が崩れてしまいます.ところが,最後には,新たな法秩序が生まれます.(文化については,後述します)

 さて,歴史を振り返ると,「パックス・ロマーナ」のような中央集権的な征服国家が,対外戦争を続けながらも広がる領土内では平和を謳歌したこともありました.とすれば,戦争は「永久平和」の実現に不適切な手段ではないかもしれません.しかし,長続きしません.なぜなら,統一感が瓦解していくからです.

 ここまで考えたとき,フロイトもアインシュタインと同様の結論「皆が一致協力し,強大な中央集権的な権力を構築し,利害対立をゆだねる」に達します.
 しかしながら,この中央集権的な権力である国際連盟(下画像)は,結局のところ戦争を止めることが出来ていません.

 さて,ここで皆の感情的結び付きが,帰属意識を高めると書きました.しかし,みんなに対して適応できる感情的結びつきはあるのでしょうか?ありません.
 歴史を振り返れば,キリスト教社会の内側であっても,ある勢力の対抗上,イスラム社会に協力を仰いだりしました.あるいは,今日(当時)の世界中の民族を支配する概念の一つにナショナリズムがありますが,つまるところ,ナショナリズムは全ての国々を敵対することです.

フロイトの手紙ー人間を戦争に駆り立てる心理を抑える方法―

 さて,精神分析をしてみましょう.人間の心理は愛と憎しみから出来ています.これを昇華させて,「エロス的欲動(cf.プラトン『饗宴』)(一般的な性欲よりも広い意味)」と,「破壊本能や攻撃本能」です.

 とだし,この2つの心理は必ずしも対立することはなく,どちらも人間には必要不可欠です.2つの欲望は互いを促進することも,互いに対立することもあり,結果生命のさまざまな現象が生まれてきます.
 何より,人間の行動はとても複雑で,単一の欲望だけで行動が引き起こされることなど極めてまれで,2つが組み合わされて,行動になります.

 人間を戦争に駆り立てるのは,さまざまなレベルの,数多くの動機が何かしらのカタチで,戦争に賛同しています.この動機にも,卑賎なもの,高貴なもの,公然と主張するものさまざまですが,強い破壊欲動と結びついています.
 そして,この破壊欲動に理想への欲動(=エロス的欲動)が結び付けば,破壊欲動はより満たしやすくなります.結果,残虐な行為に至るのです.

 ここまでの議論を総括すれば,人間から攻撃的な性質を取り除くことは,できそうにもない!ことが分かります.

 人間から攻撃的の欲望を取り除けないとすれば,その欲望を戦争へ向けさせなければよいのです.

 ところで,アインシュタインの言及した権威について,考えたいと思います.人間の指導者と被支配者についてです.彼らの差をなくすことは不可能です.
 そこで,優れた指導者をつくるためには,そのための努力をしていく必要があります.

 ここから戦争をなくすために必要なことも浮かび上がってきます.人間が自分の欲動を余すところなく理性のコントロールしたに置く状況です.しかし,夢想的な希望かもしれません.


 ここで,フロイトから一つ問題提起させてください.

「平和主義者は,なぜ戦争に強い憤りを覚えるのか.彼らも,人生の数多くの苦難を甘んじて受け入れているのに,戦争だけは受け入れようとしないのはなぜなのか」

 もちろん,さまざまな答えが簡単に浮かぶかもしれませんし,意義お唱える人はいないかもしれません.
 しかし,その答えにさえも疑問を投げかけることは出来ます.社会は,そのメンバーである個人の生命に関する権利を持っていないのか?自衛権はどうなのか?です.

 このような疑問が浮かぶ中で,フロイトが出した答えは,こうです.

平和主義者が戦争に憤りを覚えるのは,文明と文化が発展し,心と体が反対するからです.

 この文明と文化の発展について述べていきます.
 文化や文明が発展することで,人間は生物的でストレートな欲望に導かれることが減り,本能的に欲望の度合いも弱まってきました.例えば,知性が強まること,攻撃本能を内に向けること.

 フロイトは最後にこう答えます.戦争への憤りは,単なる感情レベルの拒否や知性レベルの拒否ではありません.その意識の在り方が戦争の残虐さに劣らないほど,戦争への嫌悪感を強める要因になっているのだと.

考察

 20世紀を代表する天才が議論したかったのは(いや,アインシュタインが考えたかったのは),専門家としての議論(ディベート)ではなく,人類を愛する一人の人間としての対話(ダイヤログ)だったと思います.

 フロイトが最初に書いたように,このような戦争と平和は,政治家の,実務的な仕事です.しかしながら,アインシュタインとフロイトがしたかったのは,実務的な提案(平和条約とか,国連とか)ではなく,もっと個々の人間にアプローチした,ミクロで心理的なことを考えようとしたのです.

 フロイトが指摘した,文明が戦争を止めるという思考はある意味で正しいかもしれません.第二次世界大戦や米ソ冷戦以降,文明の発展した先進国の間での大規模な戦争は起きていません.しかしながら,それは文明の発展によるところかは分かりません,むしろそうでない気もします.


 このあとがきには,養老孟司先生による解説が付記されます.そこで,養老先生が指摘するのは,この対談が行われたころの社会システムは,一部(国際連盟など)を除いて,自然に発生したものです.しかしながら,現代は違う.「アルゴリズムに従って創られた,合理的とか,グローバル化などと表現する社会システム」です.

 この本が出版されたのは,5年前2016年ですから,今日との違いはあまりないかもしれません.しかし,この5年間で,世界はよりグローバル化が進み,デジタル地政学という概念が一般化し,サイバー攻撃や,それに伴うデジタルハイブリット戦争なども言われてきました.

 サイバー攻撃の報復に通常攻撃をするようなことはいいのかという,問が誕生しています.


 今日の文明の行く先に戦争はなくなるのでしょうか?


 一方で,今日にあてはめて考えれば,現代のSNSは誹謗中傷の温床になり,破壊への欲求を強めているかもしれません.
 しかし同時に,愛などのエロス的欲動も強めていると思えます.嫌いな人物がいたとしても,その人の生活が垣間見えたとき,思考の転換があった人もいるはずです(もちろん,嫉妬が付加された人もいますが,)
 あるいは,テロや戦争の現場を全世界に知ってほしくてSNSに上げる人がいたとしても,その人にも普段の生活があり,なにも特別なことなんてなかったことさえも意識させます.凶悪なテロリストとて同じです.それは,見ている私たちの,生きることや隣人愛への欲求を満足させるものです.

 そうして考えると,フロイトの指摘する文明の発展は,戦争を無くす一つの解のようにも,思えてきてなりません.


 つまり,戦争とは,アインシュタインとフロイトが描いた未来(なくなる)ことはないが,増えることもなく,新たな象限に達するように考えます.


拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました.

画像はアインシュタイン、フロイト、国連のwikiからいただきました

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