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ドキュメントバラエティとリアリティショー

写真は去年の12月に我が師匠テリー伊藤の古希の誕生日パーティーで久しぶりに一緒に撮った写真です。ですから「密」と言われる前のものww。
「師匠は二人いた方がいい」というのは僕の持論で、この伊藤さんと欽ちゃんの二人に会わなかったら間違いなく僕の人生は全く違うものになっていたと思うのです。
この二人から盗むだけ盗んでそれを僕という人間の上で再構築したからオリジナルになったのであって、師匠が一人だとミニ伊藤かミニ欽ちゃんになっていたという意味で「二人師匠を持つ」のがいいと思っているのですが今日はこの伊藤さんが始めた「ドキュメントバラエティ」と「リアリティショー」の関係について書いてみようと思います。

バラエティ番組がドキュメント性を持ったのは実はテクノロジーの進化が大きく関係しています。それはENGカメラというハンディカメラがテレビ制作に使われたことによるものなのです。

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ENGとは=Ellectric News Gathering の略ですからNewsの取材に使うものとして開発されたカメラなのですがバラエティ番組にも使われるようになってそれまでスタジオで撮っていたバラエティが外にロケに出ていけるようになりました。それによって本格的にドキュメント性を持たせたのが1985年に始まったテリー伊藤演出「天才・たけしの元気が出るテレビ‼︎」です。最初のヒットコーナーは「荒川区 熊野前商店街 復興計画」。まだシャッター商店街という名前もなかった頃、昔ながらの商店街が寂れていくのを番組の力で元気にしようというまさにドキュメントのお笑い番組の誕生でした。今でいうFAKEドキュメンタリーの「ガンジーオセロ」や「大仏魂(ダイブッコン)」「半魚人」「お嬢様シリーズ」などなどそこは笑えればなんでもありの虚実ない混ぜの世界が展開されました。「早朝バズーカ」や「神様・超能力者募集!」なんて罰当たりなビデオをディレクターの一人として作ったことも思い出しました。
この「元気が出るテレビ」を親に持ち生まれたのが「電波少年」です。
先ほどのオリジナルを足すという意味で僕がやったのが『更にリアリティを増す』ということでした。”虚実ない混ぜで笑えるものを作る”から”できるだけ虚を少なくする”ことで「電波少年」のオリジナリティを出そうとしたのです。そこでやったのが”アポなし”。首相官邸だろうが大企業だろうが松本明子、松村邦洋がアポ無しで突撃して何かをしでかしてくる。終いにはアラファト議長に会いに行ってデュエットする、なんてことまでやってしまいました。
そしてもう一本やった「ウッチャンナンチャンのウリナリ!」も合わせてこういう番組を僕が「ドキュメントバラエティ」と名乗りました。だから最近は欧米で始まった「リアリティショー」という名前が強くなってきましたが元々は日本では「ドキュメントバラエティ」というジャンルが日本独自でスタートしたのです。
実はこの「元気が出るテレビ」直系の番組がもう一つ生まれています。TBS「ガチンコ!」1999年〜 「ラーメン」や「ボクシング」などを不良少年を集めてトレーニングさせてそれを追っていく。基本的には煽ったナレーション・音楽・テロップでストーリーが展開していくという番組です。「ガチンコ!」も「電波少年」も『元気が出るテレビ』の流れを汲むものですが、それぞれどこに演出のポイントを置くかというところで元が同じというふうには見えなかったように思います。もちろんこの頃は「リアリティショー」という単語は日本には入ってきていません。
「電波少年」はアポなし時代から連続企画時代に入ります。「猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイク」1996年〜です。この企画もそれまでにはあり得ないほど旅のリアリティにこだわったから人気が出たと思っているのですが、ある僕の演出が”やらせ”と言われて新聞に大きく取り上げられます。それは「タイ〜ミヤンマー飛行機乗った事件」です。当時その国境は開いたり閉じたり極めて不安定でした。そして猿岩石がそこを越えるべき時にしまっているタイミングでいつ開くか目処が立たなかったのです。そこで僕は飛行機に乗るように指示をして、放送はバンコクからミヤンマーに向かった、という後ろ姿の二人で終わり翌週はミヤンマー首都ヤンゴンにいる二人から始めたのでした。(僕としては嘘は言っていない!というつもりでしたが帰国して何ヶ月も経って出た毎日新聞の記事は「やらせ発覚!」でした)96年はまだインターネットも発達していなかっしSNSもなかったからバレるのに何ヶ月もかかりました。
このヒッチハイクシリーズ三作目「朋友(パンヤオ)アフリカ〜ヨーロッパ縦断ヒッチハイク」でもアフリカで東西南北どこも危険で陸路では行けない時がありましたがその時は視聴者投票で「飛行機に乗っていいかどうか?」を決めました。だから日本の視聴者は「ドキュメントバラエティ」で育っているとそれが本当かどうか?を見極めるリテラシーが高いように思えます。
一方アメリカで生まれた「リアリティショー」は最初から「ショー」と言っていますから日本と全く作り方が違います。例えば日本の「マネーの虎」がアメリカで「Shark Tank」という名前で何年も放送されて何度もエミー賞を獲っていますが、日本で撮っている方式は志望者とお金を出す「虎」を本番まで絶対に会わないようにして緊張のリアリティを出すのですが、アメリカではきっちり何日もかけてリハーサルをするのだそうです。それがアメリカ式リアリティショーの基本の作り方なのだそうです。日本では状況だけ作ってあとは出たとこ勝負なので当然NGやリテイクはなしなのですが、アメリカでは納得できる画が撮れるまで何度もリテイクを重ねるようです。だから欧米ではリアリティ番組を虚実ない混ぜという前提で楽しむ。日本は歴史的に虚実の”実”へのこだわりが見る側も作る側も強くあるように思います。
日本の多くのバラエティ番組は「リアリティショー」というより「ドキュメントバラエティ」の系譜にあると言って間違い無いと思います。そこをゴッチャに語ると見間違えることが多いなと感じています。

さっき飛行機に乗った時の猿岩石と朋友の演出の違いを書きましたが番組を取り巻く環境は変化のスピードが増しています。その環境の激変を読み取ってあらゆるシミュレーションをし予測し手を打つということが製作者にとって難しいけれど絶対に必要なことです。
日本で生まれた「ドキュメントバラエティ」も世界の中に行けば「リアリティショー」という括りに収束されていくのでしょう。
人間が本当に思うこと。そしてその結果として行動すること。勇気。愛。友情。嫉妬。ためらい。これらの「人のリアル」は世界共通に人の心を動かす力があるから世界で同時多発的にたくさんのリアルを追う番組が作られてきたしこれからも作られるでしょう。その時にその番組を取り巻く環境をきちんと把握して予測して手を打つこと。
それが改めて問われていると思います。

テレビは「今」で、変わり続けるべきものだから。

(日本発のドキュメントバラエティと欧米発リアリティショーの違いは日本は新人芸人など芸能界に入っている人を使うのが基本的なのに対して海外は全くの一般人を使うことが多い。特に恋愛系ではそうなっています。なので所属事務所のフォローがあるかどうかの違いも大きいかと思います)
5/31付記

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