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誰からも文句のこない表現なんて

昨日発表された2025年大阪万博のマークに久々に嬉しくなった。好きか嫌いか?ではなく「誰からも文句のこない表現を選ぼう」と言う審査側の意思がないセレクトだったからだ。
オリンピックとか万博とか大きなイベントは必ず行政が絡む。行政=お役所はクレームを怖れる。だから自分たちが決めたなんてことは滅多にしない。有識者とかそう言う人たちを集めて決めてもらうことにする。それでもそこには集めた行政サイドの意向が多かれ少なかれ反映される。これが「出来るだけどこからも文句のこないこと」であることが大きい。特に昨今は「炎上」なんて単語がありますから益々そのことを気にかけます。終いには全国の小学生の投票で決めたりする。

表現物に正解なんてない、と思っている。言ってみればどれも正解だしどれも不正解。表現物がある人にとっては心地よいものだしある人にとっては気持ちの悪いものであることは当たり前。仕方ないのでそれを多数決で決めましょう!なんて本当にナンセンス。それも一般人の投票でなんて。その表現が何年も何人もの人の感性に届くのか?の判断はやはりその道のプロに任せるべきです。

このプロたちが間違えることもあります。どれも正解だしどれも不正解なのに”間違える”があります。これは自分自身の経験のど真ん中にあることですが「電波少年」がそうでした。緊急発進のようにスタートした番組でしたので選考過程はなかったに等しいですが放送が始まってからのプロたちからの反応の悪かったこと!「こんなのテレビじゃない!」でも一般視聴者はすぐに視聴率という投票で「これが次のテレビだ!」と反応してくれました。
だから長いことその業界の中にいると目が濁ることも確かです。その調整を常に意識しながら「プロの眼」を養っていくことが大切です。

もう一つこの表現物を選ぶ時に大切なのは、その向こうにある”技術”です。
テレビ番組が久々に話題になって賛否両論を巻き起こしているのが「半沢直樹」です。地上波テレビのほとんどの番組が10%前後となっている中、毎週20%超えをしています。視聴率という人気投票が高いので否定の意見があまり表に出てきませんが「あんな歌舞伎役者の顔芸みたいなドラマあり得ない」と否定したい人はたくさんいるはずです。あり得ないかもしれないけど「面白い」からたくさんの人は見ているのでしょう。僕も日曜日の夜にリアルタイムで毎週見ています。見たとしてもほとんど録画で見るテレビを「半沢直樹」だけはリアルタイムで見ています。何故ならそれが一番早く見ることができるから。とっても好きな人がいる代わりにとっても嫌いな人がいる。そんな表現物がたくさんあるプラットフォームが”豊か”なプラットフォームだと思っています。「半沢直樹」の今の高視聴率はそのことを示していると思います。みんなに好まれる。みんなに嫌がられない。このことをいつの間にか目指してしまっているプラットフォームは考え違いを修正した方がいいのです。
そしてもう一つ「半沢直樹」をよーく見てみると気がつくのはその表現の技術なのです。もちろん役者さんの演技もそうですが、それらを束ね調整して一つの作品にする演出の力が非常に高いと思います。よくテレビで起こりがちなことですが一つの番組が当たるとその表面的なことだけを取り上げて真似てオオコケすることです。「これからは企業ものだ」とか「歌舞伎役者オールスターだ」とか「大袈裟芝居だ」とか。そうではない。人は総合的に番組を見てその感想も持ち、そして来週も見るかどうか決めている。
しかし表面的要素だけを真似て編成されている番組のいかに多いことか。そしてそれらは視聴者に見抜かれて低視聴率になっています。
(このことは僕自身が30歳の時に「風雲たけし城」のパクリで「ガムシャラ十勇士」という番組をやってオオコケしていますからよくわかります)

「あそこにカッコいい家が建ったねえ」と思って見様見真似で建てた家が大工さんの技術も何もなくてヒドい事になった、みたいな事です。

技術に裏打ちされた強い表現のコンテンツが世界にもっと出てくる世界になって欲しい。”みんなに文句の言われない”事から選考されたものはさっぱり人に響かないし世界を豊かにしない。
そんな中の今回の大阪万博のマークの決定は久々に気持ちの良いニュースだったのでした。いやだ!気持ちが悪い!目玉みたい!カエルの卵みたい!たくさん言って良いんです。みんなに好かれる表現なんて「つまらない!」と同義だと思って良いのだから。

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